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40.水たまりで息をする(家族の最小単位と個々の尊厳)

水たまりで息をする 高瀬隼子さん著

このタイトルを見てひどく生きにくそうなような
でも自分だけの水溜りの中でひどく安らかに浮かんでられるような
社会からは疎まれても当人は気にならない
そんなイメージがわいた

あらすじ

30代半ばの二人暮らしの夫婦
ある時から夫が風呂に入らなくなる
水道水が使えなくなる
入浴しないことで生じる問題は、本当に問題なのか
個々の尊厳に踏み込まず並んで歩いた結果、行き着く先の話

お風呂に入らないこと

お風呂に入らない。当然垢が溜まって、匂いがする。
数日、数週間、何か月の変化がざらつく手触りをもって、でもガラス越しのような遠巻きの視点から語られる。
彼女は当事者だけど当事者じゃない
無理矢理縛ってでもお風呂に連れて行って洗ってしまうようなことはしない
色々試みるもできないことは、できない
(尊厳を)損なわれた感じ、になってしまう
彼女はそれ以上踏み込まない
感情的にもならないように見える
色々考えてはいる、感情的にもなっている。
でも踏みとどまる。狂うことを、爆発することを踏みとどまる。
気持ちが思考が破裂して、バラバラになっても
また元のような形に組み直す事ができる
何も感じていないわけではないが、何もなかったかのように出来てしまう
それは見えないが目の前の夫も同じことで、見えない破綻がおきているのは明快なのだ

でもそれがなんだって言うのか

彼はお風呂に入らない以外は仕事にも行って食事もして元気にしている
お風呂に入らなくてもいいじゃないか

生きているといこと

この本の次に
幡野広志さんの「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」を読んだ

がんになったこと、生活、家族、生きることを書いてくださっている。

家族の最小単位は直系家族。パートナーと子供、その配偶者までだそう。
そして自分の筆頭株主は自分であるということ。
自分の生き方、生き死にを他の人に決定権を持たせないということ。

幡野さんの本を読んでから、水たまりで息をするの話の内容にたくさんの解説をもらったように思った。

主人公たちは直系家族のみでくらす。

そして夫は風呂に入らない選択をする。これは自分の人生を自分で決定している。大病になったとして延命治療はしない、というのと似ている。風呂に入らないと言うだけのように見えるが、どうしても水道水にさわれないという事象について自分がどうしたいのかを選択した結果だ。

それから夫婦の間には線がある
線に見えるが深くて光も届かない細い溝がある
簡単に越えられる溝だが、彼女は越えない
越えて心の問題を暴くことも、治療を受けさせることもしない
たぶん誰もが思った100%源泉の温泉に行けば?とかそう言うこともしないし海にも連れていかないし、ミネラルウォーターでバスタブを満たすことも結局しない
思いつく範囲で行動し、彼に任せる
結果として職を失うようになるがそれも大きな問題になっていない
二人で生きていくことにだけ実は全部が注力されている
生きていくことは仕事をして都内に住むことではなく
彼が彼女の横で生きていて、生きやすい環境にいるということ
生きていると言うこと
誰もが生きるのが大変だとわかっているから、彼女は彼にその上に仕事や自分を乗せることをしていない
ただ、自分と一緒に生きていて欲しいとおもうだけだ

拡大家族に支配されない

親も兄弟も拡大家族なのだと初めて知った。
直系家族と拡大家族という言葉も幡野さんの本で初めて知った。

水たまり〜の中にもそれぞれの両親が出てくる。実際には母親のみが登場するが二人は介入を拒む。

幡野さんの本を読むまで分からなかったが、パートナーと自分が家族の最小単位でありその時点でもう親から子供として影響を受けることはなくていいのだ。

切り離してかまわないのだ。
実際ふたりはそうしている。自分たちの生き方を守る。

でも私もまだ両親の介入から抜け出せないし、人からの意見には左右される
それは文句を言いながらもいつか抜け出すと思う時間的な余裕を結局は持っているからだ

時間のない人ならそんなことは言えない。1秒もそんなことに労力は使えないのだから。

彼らに付き纏う雰囲気は、おわり、に向かって進んでいる感じがあるからかもしれない。風呂に入らないだけではない、異様な雰囲気、死に向かう先細る感じが付き纏う。だからか全てをかけることに躊躇がない。

あの魚

主人公が大事にしなかったのに生き続ける魚が出てくる
あれはどう解釈したらいいんだろう
不吉なものとして命がたくましいことが書かれている感じがする
命を大事にしなかったことが書かれている感じがする

最後に

彼女は彼との線は最終的に越えずに終わる
蓄積した垢は、二人の身体的な接触も困難にする

書かれていないけど彼はこどもを諦めたことや仕事、生活をどう思っていたんだろうか
その蓄積が現状なのだから、そういうことと思っていいのかなと思う

家族を選んで寄り添う
生きていける形を取る

それが愛というよりは
愛せるものだけを選んで生きる選択をしたと思う
だれもが祝福するような形を取る必要なんてどこにもなく
日上がったら死ぬだけでもそこで満足して生きることを選んだらそれでいいのだと思う








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