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『哲学とは何か』 – 日めくり文庫本【4月】

【4月30日】

  哲学者は概念の友である。哲学者は力=潜勢態(ピュイサンス)において概念をそなえている。ということは、哲学は概念を形成したり、考察したり、製作したりする技術にとどまらないということだ。なぜなら、概念は必ずしも、形(フォルム)や、思いつきや、製品ではないからである。より厳密に言うなら、哲学とは、概念を創造する[#「創造する」に傍点]ことを本領とする学問分野である。友とは、もしかするとおのれ自身の創造物の友ではないだろうか。あるいは、概念の現動体(アクト)こそが、創造者とその分身との統一において、友の力=潜勢態(ピュイサンス)を指し示しているのではないだろうか。つねに新たな概念を創造すること、それこそが哲学の目的なのである。概念を潜勢態(ピュイサンス)においてもつ者、あるいは概念の力(ピュイサンス)と権限をもつ者としての哲学者を、当の概念が指し示しているのは、まさに、概念は想像されるべきものだからである。創造ということは、むしろ感覚されうるものや芸術についてこそ言われるのだ、と反論することはできない。なぜなら、芸術は精神的な存在態(アンティテ)を存在させるからであり、哲学的概念はまた「センシビリア」でもあるからだ。厳密な意味での概念を創造する責任は、ひとり哲学のみに帰せられるとしても、科学、芸術、哲学は、実際、みな等しく創造的なものである。概念は、天体のように、すでに出来あがったかたちでわたしたちを待っているわけではない。概念にとっては、天空など存在しない。概念は公案され製作されなければならない、いやむしろ、概念は創造されなければならないのであって、概念は、それを創造する者の著名がなければ何者でもないだろう。ニーチェは、次のように書いて、哲学の責務を規定した。「哲学者たちはもはや、自分たちに与えられる諸概念を受けとって、それを浄化してみがきをかけるだけで満足してはならず、まずはじめに諸概念を製作し、創造し、目の前に置いて、それに頼るようひとびとを説得するというのでなければならない。結局、現在にいたるまで、みな、自分が手にしている諸概念を、まるで何かワンダーランドのようなところから贈られた不思議な持参金であるかのように、信用してきたのだ」が、しかしそんな信用は不信に置き換えなければならないのであって、哲学者が自分で創造したものでないかぎりにおいて、かれがもっとも信用してはならないのはまさに概念なのである(プラトンは、その反対のことを教えたにせよ、以上の点を熟知していた……)。イデアを観照しなければならぬ、だが、まずはじめになすべきことはイデアの概念を創造することである、と語っていたのはプラトンである。概念を創造しなかったと、自分の諸概念を創造しなかったと言われても仕方がない哲学者に、いったいどのような価値があるだろうか。

「序論 こうして結局、かの問いは……」より

——ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』(河出文庫,2012年)13 – 14ページ


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