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コロナと妊婦ときょうだいとホテル療養のお話

この記事は、父と妊婦である母、そしてきょうだい2人の合計4人家族がコロナと戦った記録です。誰かの参考になれば。ちなみに、普段は翻訳に関する記事を書いています。

#1 発熱から検査まで

寒気

8/9 日の午前、父である私は字幕翻訳講座をやっていた。なにやら足首に寒気がしたのを覚えている。11:30頃に授業を終えて体温を測ると、タニタの30秒計は37.2度を示した。普段は妻と一緒に昼食を取るのだが、その日は念のため別々の部屋で食べることにした。午後2時からも同じ字幕の授業があり、その準備をしている時にまたゾクゾクっという悪寒がした。インフルエンザになったときの禍々しいあの感じである。別室にいる妻にメールを送り、診察してもらえそうな病院を調べてもらうことにした。1時からの授業が始まったのだが、2度も画面共有を忘れたり、取り上げるべきスライドを飛ばしてしまったりと、普段は起こらないようなミスが起こっていた。その日は他にも、午後2:30から休暇前の引き継ぎミーティング、午後4:00からは取引先である翻訳会社の人材育成に関するミーティングが控えていた。2:30の枠は移動・キャンセルもできるが、4:00の枠はとても重要なので絶対に出る必要があった。

近所の耳鼻科へアタック

近所の耳鼻科で診察をしてもらえそうだとのことだが、電話をかけても通じない。仕方がないので直接いってみることにした(よい子はまねしてはいけません)。入り口では、「熱のある方はこのボタンを押してください」と書いてあったのでボタンを押すと、中から看護師さんが出てきてこう言われる。

看護師:発熱外来は電話でしか受け付けていません。
私:電話をかけても全然つながらないのできてみたのですが。
看護師:でも電話でしか受け付けていません。
私:じゃあつながるまでかけ続けるのですか?
看護師:はい。でも今日の分の発熱外来はいっぱいです。明日の分はまた明日になってから電話をしてください。

というやり取り。当時はまだ発熱外来とは何か、そして電話争奪戦がいかに厳しいかをよく理解していなかった。今ならもうこんなことはしない

電話バトルからの外来権ゲット

諦めて自宅に戻る。2:30からのミーティングをキャンセルする。今度は根気よくあちこちのクリニックに電話をかけまくった。まったくつながらない。つながる気配がない。それでも諦めずにかけ続けた。すると1つ、遠くにある耳鼻科がつながった。診察してもらえるとのこと。具体的な診察時間を折り返し教えてもらえることになった。私は4:00から4:30の間は電話に出られないことを告げる(ミーティング)。その後しばらくして耳鼻科から電話が来て、4:30に来いという。ぐぐぐ。電話に出られない時間に診察に行けるわけはない。お願いをして4:45に変更をしてもらった。すまない。

会議の直前に熱を測ると38.2度。確実に右肩上がりである。会議はかなり紛糾し、10分ほどオーバーした。5分で耳鼻科に着くのは無理だったが、なるべく遅れないよう自転車に乗って急いだ。現地に着くとクリニックの外のベンチで問診、検温、酸素濃度チェックがあった。この時点で熱は39.9度になっていた。看護師さんはとても優しかった。降り注ぐ西日が後光のように看護師さんを照らしていて、その菩薩感がすごかった。

かなり待った末に、クリニックの中に案内された。ドクターが喉と鼻をチェックした後、細長ーい綿棒のようなもので鼻をグサリとやられた。思わず「おわわわわ」という声が漏れてしまう。

検査陽性、そして自宅へ

しばらくして、ドクターがキットの結果を見せてくれた。赤い線と青い線が一本ずつ出ていた。神妙な面持ちで、ゆっくり穏やかに話し始めるドクターを見て、答えを聞く前に陽性であることを確信した。昔のドラマで見かける、がん告知のシーンのようだった。いろいろな相談窓口などを紹介してもらった。

熱と頭痛がひどかったので、その場で鎮痛解熱剤のカロナール500mを飲んで帰宅した。妻が予備の布団を私の部屋に放り込んでくれていた。とりあえず部屋にこもって、なるべく出ないようにしよう。

存在すら忘れていたCOCOAアプリで陽性登録をした。誰かに通知が届くだろうか。

陣形を組んだ

父(陽性):個室に1人
母(妊婦):個室に1人
子どもたち2人(これから検査):個室に2人

感染経路は……子どもたち?

私は仕事柄、ほとんど人に会うことがない。感染経路として濃厚なのは子どもたちだ。そうでないなら、近所のスーパーかドラッグストアでもらってきた可能性がある。

とにかく、子どもが感染している可能性が大の大の大だ。妻は妊婦ということもあり、以前から寝るときは「母」と「父と子どもたち」が別々だった。この状況なら、子どもたちも陽性とみるのが普通だ

そういえば前日の夜に、子どもも私も少し喉が痛かった記憶がある。

今後の計画

感染経路は子どもたちだという前提で、子どもたちと一緒にホテル療養に出て妊婦を隔離する事を考えた。ホテル療養を申し込むためには、医療機関が陽性と判定してその情報を保健所のシステムに登録しないといけない。基本的には、抗原検査やPCR検査をして陽性の判定を受けることになる。保健所の担当者数人と数回にわたって相談した結果、次のような作戦をとることになった。

まず、父のホテル療養を申し込む(後述)。父のホテルが確定するまでの間に、子どもの陽性が確定したら、父のホテルリクエストに子どもを追加するという流れだ。ゼロから申請するよりも手っ取り早いのだそうだ。

しかし、この方法は後で不可能だと知る。というより、担当者によって運用が結構違うようなのだ。妊婦がいることを伝えると、いろいろ親身になってアイデアを考えてくれる人が多いが、「残念ですけどそういうルールで、こちらではどうしようもない」と返事をする人も多い。熱を測ると39度台、頭はひどい頭痛、体中の節々が痛い。寝て体を休める必要があるが、明日の電撃作戦のために準備が必要だ。

明日の午前と午後に発熱外来をやっているクリニックをピックアップする。近さ、受診可能な時間、小児対応、抗原検査、PCRなどの条件で絞り込んで、優先順位を付ける。それをスマホの連絡先として登録し、母の携帯にも送る。予備の携帯にも送り、父と母の2人がそれぞれ2台持ちの4台で担当クリニックに電凸、ではなくて、突撃をする算段だ。

#2 子どもの陽性待ちと離ればなれになる父

じっと耐える

水は飲まないといけないけどトイレのために部屋を出るのは最小限にしたい。咳もしたくなるがウイルスがまき散らされそうなので我慢。たんも我慢。シャワーもいかず、歯磨きもせず、ただ布団の上でじっとしながら翌朝が来るのをまった。翌朝、体調はまだまだひどいが、前日の夜よりはましになっていた。歯磨きをしなかったことで数日後に歯茎がいたくなった。
しかし、耐えていたのは父だけではなかった。朝、部屋のドアを開けると少し先の別の部屋の前に下の子がいた。目の下が腫れていて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。普段から一緒に寝ている父がいないだけでなく、父がコロナになってしまったことがショックなのかもしれない。耐えているのは父だけではなかったのだが、子どもたちにもここはひと踏ん張りしてもらわないといけない。妊婦がかかったら一大事だ。

子どもの検査をゲットする

さて、ということで子どもたちを検査に向かわせよう。陽性の父は動けないので、妊婦の母に動いてもらう。近所のクリニックを絨毯爆撃のように電話するがつながらない。つながっても予約でいっぱい。最終的に父と同じ耳鼻科に行くことになった。午前中に診察をしてくれた。抗原検査では陰性が出た。症状が出ていないので陰性になる可能性も高い。近くの大きな病院でPCR検査を受けられるよう紹介状を書いてくれた。午後に予約が取れた。

午後にPCR検査を行った。結果は翌日の午前中に出ると言われる。妊婦の母がずいぶんと動いてくれたが、この間に感染していないことを願う。

ホテル争奪戦

一方父は、朝9時スタートでホテル争奪戦に参加する。ホテル療養に何度も電話をかけた。しばらくするとつながり、状況を説明する。まずは父1人分の部屋をリクエストすることになる(この時点では、子どもたちだけで送迎のタクシーに乗れることを何度も確認したのだが、実態はそうではなかった)。

まずは受付完了。夕方前に折り返しの電話が来た。ホテルがとれた。明日の午前中に迎車時間を伝えるとのことだった。

ホテル療養はこんな流れになっていた:「申し込みの電話をかける」->「折り返し電話が来て状況を聞かれる」->「ホテル確保の連絡と迎えの予定」->「迎えに来ました、というタクシーの電話」という具合だ。医療機関が保健所に陽性登録をするのだが、その登録よりも先にリクエストをしている場合の流れかもしれない。陽性登録がすでにされている場合、もう少し短縮できる可能性がある。また、すべての電話相手に対して「妊婦がいて隔離したい」、「子どもの陽性判定を待っている」ということをこまめに伝えていた。そのあたりもイレギュラーかもしれない。

タイミング問題

父のもとには、明日の午前中にホテル療養手配の担当者が電話をしてきて、「今日のお迎えは○時です」となる算段だという。一方の子どもたちは午前中に結果がわかるとのことだ。

「先に子どもの陽性がわかる -> 父に迎車時間を伝える電話が来る -> 子ども2人を追加してほしいと言う」というのがパターン1だ。
パターン2は、父に迎車時間を伝える電話が先に来てしまう場合。この場合は子どもたちを置いていくことになる。タクシーには子どもだけでも乗れるというのでそれでもよいかもしれない(実際には子どもだけでは乗れなかった)。

妊婦の妻はかなり疲れている。子どもたちも抗原検査とPCR検査でかなりストレスがたまっているようだ。普段はとても仲良しなのにけんかばかりしている。けんかが多いと妻のおなかが張ってくる。どうにかせねば。そんな状況をよそに、父は最低限の宿泊容量準備をする。

#3 父だけが先に向かう、子の結果がでない

父、ホテルへ向かう

翌朝、9時すぎにホテル療養の番号から電話が来た。「本日の11時にお迎えに上がります」とのこと。動きが速い。予定よりも早い。3時間後に来てしまう。子どもの陽性判定待ちであることを伝えるが、どんな形にせよ父のホテルリクエストに「追加」することはできず、新たにリクエストを出す必要があると言われてしまう。それ、聞いてた話と違う

午前中に結果を伝えるとは言われたが、状況が状況なだけに、こちらから病院に電話をすることにした。しかし案の定、連絡を待ってくださいという返答だった。忙しいところ申し訳ない。

父は11時すぎにタクシーに乗ってホテルに向かうことにした。途中で1人、別の人をピックアップしてホテルに向かう。事故のため高速が渋滞していて、到着までかなりの時間がかかった。朝食はグラノーラ一杯だけ。妊婦の妻がなんとか用意してくれた朝食だが、おなかがすく。コロナになってからおなかのすき方が尋常ではない。

1時半ごろにホテルに到着する。インストラクションを受けながら受付を済ませる。入り口で、お昼ご飯はないですか?というと1時で終わりなので夕飯まで待ってくれと言う塩対応。

部屋に入り、荷物をほどき、資料を読んで、健康観察システムに登録する。事務局から電話が来る。同じような説明をここでも聞く。おなかがすきすぎて死にそうなので、何でもいいから口に入れる物がほしいとお願いする。ゼリーなどがあるから手続きがすべて済んだら連絡をしれてくれとのこと。よかった。

手続きを終わらせて、再び事務局に電話をする。かくかくしかじか、お弁当がほしいと伝えると、差し入れを受け取るフロアに来てほしいと言われる。いってみると、私の部屋番号が書かれた大きな袋があった。部屋に持ち帰ってみると、豪華でどでかい弁当箱が2個も入っていた。ありがたや!

陣形を組んだ

父(陽性):ホテル1人部屋
母(妊婦):自宅の個室で1人
子どもたち(結果待ち):自宅の個室で2人

子どもたちの結果がこない

午前中に連絡すると言われたが、午後になってしまった。しばらくしてから病院に再び電話をしたが、検査が多すぎて遅れているとのことだった。とりあえず母を休ませ、子どもたちを部屋で遊ばせていた。しかし、父がホテルに出発してからというもの子どもたちのけんかが絶えなくなった。普段からきょうだいの中がとてもとても良いので、これはショックであった。しかし、普段の仲が良いからこそ、ここでけんかが増えても乗り越えられると信じたい。

まさかの陰性 That's insane.

夕方になって病院から連絡が来た。子どもたちのPCR検査は陰性であったという。意外だ。てっきり子どもたちから私がうつったと思っていたのだが。しかし妻は、偽陰性が一定割合でいることを考えると、しばらくは子どもとの隔離を続けると言う。

今振り返ってみると、これが素晴らしい判断だった

陣形はかわらず、母と子はしばらく分離することにした。数日経ってから異常がなければまた合流できるだろう、とそう思ったが甘かった。

#4 リモート子守りと異常空間

リモート子守り

子どもたちは陰性。妻は疲れてダウン。ということで、子どもたちとはビデオ通話などをして楽しんだ。下の子のガス抜きをしないと、けんかが勃発してしまう。私の体調も安定してきたので、下の子を重点的にケアすることにする。

異常空間

コロナ感染者が大量に集まるホテル。それは異常な空間だった。会話をするなと言うアナウンスが何度も流れるので、廊下でもエレベーターでも、人の会話はない。会話と言うよりも、ちょっとした挨拶がない。声を発さない会釈もない。なので、そもそも人と目が合わない。なかなかの異世界感であった。

弁当を取りに行ったときに、隅っこで座り込んでいる人がいた。いつからそこに座り込んでいるのかは知らないけども、まわりにたくさんの人がいるから、すでに誰かが声をかけているのかな、と思ったがそんなことはなかった。誰かが声をかけた。どうやら、声をかけられたのは初めてのようだった。看護師さんを呼ぶことになった。

そのすぐ後、弁当を温めるために並んでいると目の前の人が急にテーブルに手をついて倒れそうになった。以前に目の前で人が倒れたことがある私は、人がふらふらし出すと全力で警戒するようになった。他人だろうが女性だろうが躊躇はしない。飛びついて押さえるなり、地面との間にすべりこんでクッションになる準備をした。幸い、床にへたり込むだけで頭を床に打ち付けるようなことはなかった。話を聞くと、息が苦しくて視界が狭くなっているという。危なそうだ。すぐに救護を呼ぶ。

救護の人はなかなか来ない。臨時の壁に設置した窓越しに、向こうの人とは連絡ができるのだけど。防護服の準備などに時間がかかるようだ。ようやく2人が入ってきた。最初に座り込んでいた人は車椅子で運ばれていった。もう1人はバイタルを測定されていた。少しは落ち着いてきたようだ。あとはプロに任せて弁当を持って帰ることにした。

こんなタイミングで納車

コロナとは無関係に、車を買い換えていた。週末に納車の予定だったが、この状況では取りに行くのが大変だ。いろいろあって車を送り届けてもらうことになった。柔軟な対応をしてくれた車屋さんに感謝。

#5 子どもの発熱、みなし陽性

息が苦しい

午前中に子どもたちとLINEやFacetimeで遊んだ。特に異常はないようだった。午後になって母が電話をかけてきた。直前には「緊急」のメッセージ。

上の子が息がしにくいといっている

幸い、父が陽性になってすぐにネットで注文したパルスオキシメーターが自宅にあった。測ってみるが数値が安定しない。91とかになる時があって軽くパニックになるが、落ち着いてみてみるとだいたい96くらいのようだ。それでも少し低めではあるが。

再び電話バトル

対応可能なクリニックをすぐに洗い出し、メッセージで報告&連絡先共有。しかし週末と言うことで依頼できるところが限られていて、つながっても一杯という有様。仕方がないので地域の中核病院を当たることになる。電話をして事情を話すと折り返してくれるとのこと。母の番号を伝える。一安心だ。母に経緯を説明する。

あ、自動車保険

車を買い換えたばかりだったが、ドタバタ過ぎる状況だったので保険の車両入替をしていなかった。どうせ乗らないから後でいいやと思っていたが、緊急で使わないといけない事態になっていた。タクシーに乗せることはできない、救急車を呼ぶほどの重傷ではない。というより、重症になるのを待ってなんかはいられない。

最悪の場合は自賠責保険のみで移動する。乗車時間は10分ほどだ。しかし念には念をということで、車両入替の手続きをすることにした。保険代理店になっているディーラーはお盆休み。保険会社のホームページから手続きができることを突き止めて手続きをすすめる。途中でいろんな資料が必要になるが、母と連携しながら情報を得て入力していく。ようやく完了。ダメ押しで、保険会社のサポートセンターに電話して車両入替が完了しているかを最終チェックした。

上の子が陽性判定

無事に自家用車で病院に行けることになった。発熱外来ではなく、濃厚接触者枠での受診となった。症状や状況を鑑みて、ドクターは検査をせずに陽性と判定した。

陣形を組んだ

父(陽性):ホテル療養中
母(妊婦):個室で1人、車を頑張って運転できる
上の子:陽性、父が隔離されていた個室で1人。
下の子:不明、子どもたちがいた部屋で引き続き待機。

逆隔離案浮上(by ドクター)

上のことを診てくれたドクターは、状況から考えると下の子が感染しているのは確実だと言う。お父さんが療養を切り上げて自宅に帰り、お母さんが近くのホテルに避難した方がよい、という提案をした。そうすれば、お父さんが子ども二人を見て、お母さんは陽性者と接触しなくて済むというわけだ。

なるほど。これまではずっと、子どもたちをホテルに隔離することばかりを考えていたが、違う方法もあるようだ。では、その方向で調整をしてみよう。とはいえ、何があるかわからないので上の子のホテル療養リクエストは平行して出すことにした。

ホテル側との調整

まずはホテルに相談する。原則的に療養を中止できないとのことだが、このような事情なので中断できないかと尋ねた。すると、中断できるかは保健所の判断になるとのこと。さらに、帰りは公共交通機関が使えないので民間救急を使うとのこと。

民間救急

その名の通り、民間が運営している救急だ。世の中知らないことが多い。コロナ患者を運んでくれる特殊なタクシーのようなものか。民間救急を検索して、電話をかけてみる。1件目は担当外だったが、2件目の「フィール」というところに電話をするとOKがでる。今すぐになら1時間くらいで車を出せて、すべて込み込みで6万くらいで帰れるとのこと。よし、脱出の経路は確保した。次は保健所のOKがでるかだ。再びホテルの事務局に相談する。あとは保健所に相談してほしいとのことだが、週末だったのでホテル事務局から保健所に電話をしてもらうことになった。

一般ホテルの確保

平行して、自宅の近くにあるホテルを確保する。ネットで良さそうなところを見つけて、支払いの前の段階まで進んでおく。保健所から逆隔離案のOKが出れば、すぐにホテルを確保する準備ができた。

保健所の判断は「NO」

1時間くらいで保健所から電話が来た。答えはNOだった。母は濃厚接触者に指定されているため、そんな人をホテルに出すことはできないというのだ。なるほど。その通りだ。振り出しに戻る。

再び当初案

現時点で、上の子のホテル療養リクエストは出している。問題は下の子どもがこのままではホテルに来られないということだ。

発熱外来は発熱していなくても受けられる。そもそも、ドクターが確実に感染していると言われた下の子が熱がないからという理由で陽性判定を受けられないというのはほとんどジョークだ。

もう一度、上の子が受診したのと同じ病院に電話をする。上の子が受診し陽性であったこと、下の子も感染しているとドクターに言われたこと、かくかくしかじかで陽性判定をもらわないと妊婦を隔離できないという事情を話した。夜に予約が取れた。妊婦の母はかなり疲れていたが、頑張って診察に向かってもらう。上の子は熱が下がり、咳は出ているが1人で留守番ができそうだ。近所の人たちに事情を話して連携を取る。母が診察に出ている間は、父が上の子とリモートで連絡を取る。体調が急変したらすぐに連絡するように伝える。

下の子も陽性確定

長い一日がようやく終わりそうだ。下の子は見なし陽性となる。これでホテルリクエストを出せば、子どもたちがみな父の元に集結して、妊婦の母を隔離できる。逃げ切ろう。ここまで来て、コロナに捕まるわけにはいかない。最後まで逃げ切ろう。

陣形を組んだ

父(陽性):ホテル療養中
母(妊婦):個室で1人
上の子:陽性、発熱、父を隔離していた部屋に1人
下の子:みなし陽性、念のため上の子とは別にする。子どもが寝ていた部屋に1人。

# 6 子どものホテルリクエスト

部屋移動

朝一番で下の子のリクエストも出す。子どもたちの陽性登録はまだできていないらしい。登録確認ができてから、ホテル手配をする。

ホテルの事務局から電話が来た。子どもたちは同じホテルに来られるとのこと。事前にホテルが変わっても良いこと、ツインでもトリプルでも構わないことを伝えておいた。そして、新しい部屋に移動してもらうので鍵を取りに来てほしいと言われる。鍵を受け取ると、同じフロア。しかも斜め向かいの部屋だった。斜めの向かいはトリプルだった。

先に荷物を移す。その後で、シーツや枕カバーを剥がして1階のゴミ箱に入れた。あとは子どもたちを待つだけ。

浮かれすぎてウイルスをまき散らす子

上の子は熱もすっかり下がった。ホテルに行けることになりウキウキしている。るんるん気分で支度をするのだが、廊下や別の部屋に出入りしながらペラペラ独り言をかましている。気持ちが浮かれて何度注意してもこの有様。

ホテル移動の日程が決まる

ホテル手配の担当者から電話が来る。翌朝に父がホテルを出てタクシーに乗り込む。そのまま自宅に迎えに行き、子どもを乗せて、再びホテルに向かうという流れになる。

状況を自宅の家族にも伝える。最後のひと踏ん張りだから、じっと部屋で待機するように伝えるがなかなか伝わらない。

母が疲れすぎて寝込む

体力も神経も使う日々に母が疲れている。もともと切迫流産でしばらく入院し、その後も休み休み暮らして痛みなので、そうとう限界に来ている。ここまできたのだ、逃げ切りたい。

#7 ホテル体制の完了

子どもたちとご対面

朝10時にホテルをコロナタクシーで出る。渋滞と事故の影響でかなり遠回りすることになる。浮かれた子どもは部屋から出歩いている。私が仕事用の荷物をリクエストしてしまったというのもある。かなり遅れて自宅に到着。私は一瞬だけ自宅に入ってトイレ休憩(陽性者と母はトイレを分けている)。子どもたちがルンルンでタクシーに乗り込む。

陣形を組んだ

父と子ども2人(陽性):ホテル
母(妊婦):自宅待機

やっとの安心

子どもたちはほとんど両親と顔を合わせずに過ごしてきた。メンタル的には相当な負担だったはず。ようやく、ホテルで父と3人で過ごせるようになった。子どもたちの顔も声も明るくなった。

母の体調

母が疲れて寝ている。体の関節がちょっと痛い気がするという。今回のコロナ騒動よりも前から家で安静にしていたので、この数日の動きで筋肉痛になった可能性もあるとのこと。しかし危ない。うがいをしてよく寝るよう伝える。ほかの汚染部屋については放置するよう念を押しておいた。

#8 妊婦、発症。

恐れていたことが起きた

母からの報告。喉の奥がチリチリする。体の関節が少し痛い。朝ご飯の味がしなかった、と。

いよいよ来てしまった。こんな時間差ひどい。「第一話:妊婦、発症。」みたいな感じになっている。もうとっくに第8話くらいなんだが。

自宅にあった抗原検査キットでも陽性が出た。産婦人科に電話を入れて、今後の流れを確認する。とりあえずは家で安静。症状が悪化しないことを願うばかりだ。

夕方の時点で異常なし

とにかく横になって、うがいをして、体力を温存。症状は悪化していない。

#9 - #13 引き続き療養 -> そして退所

妊婦の体調は安定

その後、母の体調は安定していた。喉の痛み、咳、たん、関節の痛みなど、コロナの症状がしっかりと出ていたがいずれも軽い症状で終わった。胎児も元気に大きくなっている様子。

逃げ切った。結局、父も子どもたちも妊婦の母も順番に時間差で感染してしまったが、妊婦が高濃度のウイルスに暴露されなかったのはとても良かった(と産婦人科のドクターも言っていた)。

消えた夏休み

子どもたちとの夏休みは、ホテル療養で消えた。幸い、父もその子どもたちもインドアでの遊びが得意なのでホテル療養は退屈しなかった。子どもと将棋を指したり、立体四木並べをしたり、ゲームをしたり……あっというまに毎日が過ぎていった。思っていた夏休みとは違いすぎたけど、楽しい時間ではあった。

私の発症からカウントして約2週間後、ようやくホテル療養が終わり自宅に帰ることができた。

そして日常へ

自宅をくまなく掃除して、日常が戻ってきた。妻の症状もゼロになった。こうして我が家のコロナ騒動は終わった。クリニックのドクターも看護師さんも、ホテル療養の関係者も、保健所、民間救急、学童、車屋さん、近所の皆さん、その他いろいろ、あちこちで助けてくれた人々に本当に感謝。

妻と私はこれまで、大規模な自然災害から異国の地での謎の伝染病まで、いろんなピンチを乗り越えてきた。情報収集、事前準備、話し合いと合意形成、役割分担、そして信頼。これまで培ってきた夫婦のチームワークが大いに役立った。そして子どもたちもよく頑張ってくれた。

新たな命が無事に生まれてきますように。





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