こんなことで深刻になるのがまた情けない

日常生活での言語化が以前よりさらに下手になった気がする。深刻。自分の気持ちを正確に表現できないって、本当に、もやもやする。

原因はどこにあるのだろう。

最近、信じる、愛する、みたいな一見キレイごとだけど大切な価値観、を大切にできていない。どちらかというと、「鋭いことが言える自分でありたい」的なことを想い続けて生活してきた。その判断が元となって、逆に鋭いことば()が出てこなくなったのかもしれない。

「目の前の相手を信じる」という行動基準があれば、それを元に話したり書いたりするから、ことばが自然と出てきやすいし、そもそも自分が鋭いこと言っているかにそこまで焦点がいかないけど、「鋭いことが言いたい」だと、どんなことを言えば鋭いと他人(と自分)から判断されるだろうとその都度考える必要があるので、言語化の難易度が上がる。もしかしてそういうことかもしれない。


気の置けないはずの先輩にも、昨夜から歯切れの悪いメッセージばかり送っている。ただでさえ狭い交友関係がまた収縮してしまうのでは、と、これくらいのことで最悪のケースまで想定してしまうくらいには臆病だ。

一旦、もっと信じてみよう。
この悩みは、言語化が稚拙になったことよりも、自身の言語化の稚拙さに目がいきすぎていることの方が問題だということに、書いていて勝手に気づいた。

そもそも俺の言語化のレベルは、進歩はしてないけど退化もしてないのかもしれない。

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