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世界はどこへ向かうのでしょう?

 8月6日。

 8月9日。

 この二つは特別な日。

 だから今日は朝から、拙いながらもわたしなりに戦争や核兵器に対して思うことを色々書こうとしたのですが…。

 何を書いても、上澄みをすくったような浅い内容になってしまい、書いては消し、書いては消し、を繰り返しました。

 ウクライナやロシア、そして他の諸外国の情勢を知れば知るほど、核兵器の脅威が他人事ではないからこそ、逆に何も書けなくなりました。

 自分や、自分の周りの人たち、また、名も知らぬ沢山の人たちが、いつ誰に核兵器で命を奪われてもおかしくない時代です。

 世界は残酷。

 どこまでも残酷です。

 戦争も紛争も相変わらず地球上のあちこちで起きています。

 また、ただでさえ、事故や災害や病気で多くの人が命を落としているのに、殺人事件のニュースを聞かない日はありません。

 毎日毎日毎日。

 「命は尊い」と言う人がいる一方で、「誰でも良かった」なんて言う人もいて。

 同じ「人間」という種族でありながら、どうしてこうも違うのかと不思議で仕方がありません。

 それを思いながら、原爆の被害者たちのことを想像すると、「辛い」とか「悲しい」といった言葉では言い表せない気持ちになります。

 何かを言いたいのに、喉の奥でつっかえて、息が出来ないかのような感覚になります。

 そこで、わたしは今日、以前読んだ核兵器に関する本を読み返したり、

 戦争の愚かさや醜さを歌った曲を聴いたりと、

 そんな風にして今年の8月6日を過ごしました。

 そしてふと気づきました。

 誰かを生んだり、育てたり、何かを作ったりすることは、とても多くの時間や労力を必要とすることだけれど、命を奪ったり物を壊したりするのは一瞬。

 だから無力感に打ちひしがれることもあります。

 けれど、人間の醜い部分にばかり目を向けてはいけません。

 殺戮者の残酷さも、殺された人たちの無念さも、懸命に生き延びて国を復興させていった人々の強さや美しさも、全て忘れてはならないのです。

 命を守るのも、命を奪うのも、どちらも人間の姿。

 他人に対してとことん優しくなれるのも、徹底的に冷酷になるのも。

 矛盾を抱えているのが人間なのです。

 きっとそこから目を逸らしてはいけないのですね。

 今後この世界がどこへ向かうかは分かりません。

 しかし、どうなろうとも、わたしは「戦争は嫌だ」「核兵器も嫌だ」「争いなんかしないで、大切な人のところへ帰ろうよ」と言える自分でありたいと思います。

 また、そう思ってくれる人が一人でも二人でも増えていってくれたら、世界が少しずつ平和な方向へ変わっていくのではないかな…と淡い期待も抱いています。

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