掌編小説【怪物】




                    四百字詰原稿用紙10枚程度

 キッチンから妻の声が流れてくる。私には耳慣れない唄だが、イギリス民謡風の哀調を帯びたメロディーが穏やかな日曜日の朝に心地よい。

 職場に遠からず近からずの3LDKは周囲を緑に囲まれて、窓外の景色も申し分ない。

 結婚3年目の私たちには来年早々に第一子が誕生する。つわりもなく母子ともにすこぶる健康だそうだ。我ながら絵に描いたようなしあわせぶりだ。

 赤ん坊は私と同じ早生まれになる。しかしこれは自然にそうなっただけで意図したわけではない。なぜなら私自身は両親から早生まれになるよう計画したと聞かされ、そのことにずうっと微妙なわだかまりを感じていたからだ。

 考え過ぎなのかもしれないけれども、月毎のカレンダーを見るたび、ときどきその話を思い出しては自分がロボットか人形のように感じるのだ。

 コウノトリが運んできたのでもなく、神さまが授けてくれたものでもない、生命の神秘といい切るのはちょっと違う、親の都合によって生まれてきた私という存在。自分の子どもには万一にでもそんな空虚な思いを抱いてほしくないのだ。

 生まれてきてからの私は、これまでに3回、命拾いをしている。そのことですら、生まれにまつわる寂しさを埋めるのには十分ではない。

 命拾い2回目のときは、私たち家族の乗った車がセンターラインを越えて暴走してきた大型トラックに正面衝突され、運転席の父と助手席に座っていた母が即死、当時高校1年生だった私は、幸運にもというべきか、奇跡的にほとんど無傷で取り残された。

 突然の衝撃を受けて半醒半睡の状態の耳に「オイッ」という太い声が聞こえたのははっきりと覚えている。慌てて車窓を見ると衝突の反動で車はゆっくり後退していて、父と母の姿は座席の背に隠れて見えなかった。

 しかし「オイッ」という太い声の持ち主は見つからない。父はこのときすでにとても声を上げられる状態ではなかったはずだし、あとには母のほか車内に誰もいなかったのだ。

 突然両親を失った私は予定していた東京の私立大学への進学を断念せざるを得なくなった。私ひとりになった家庭の収入が途絶えたからだが、だからといって地元の国立大学をめざして仕切り直すのは無理に思えた。

 しかしそれしか道がないと決めつけた私はそれからの2年間、まさしく死に物狂いで勉強した。だから交通事故の直後から、なんとか滑り込んだ大学に通いはじめたまでの記憶がない。たぶんそれには両親を一度に失ってしまった精神的な痛手も響いていたのだろう。
 
 両親の死は、悠々としているように見える人生も、実は大変に危うく、きっかけさえあれば簡単に転覆してしまう危機感と、何事も人の目論見通りにはいかないものだという教訓を授けてくれた。

 このときの深刻さに較べれば、最初の命拾いは笑って振り返ることができるものだ。

 小学校6年生の夏だった。その前年まで通っていた小学校が統合のために廃校になったあとの使われなくなった校舎に探検にいったときのことだ。
 
 その小学校には例によって幽霊ばなしが伝えられていて、それによると日曜日に誰もいない学校に忍び込むとそのまま行方不明になってしまい、深夜になるとそうしてこの世のものではなくなった子どもたちが何人も列をなして廊下を歩き回る、というものだった。

 古い木造の学校の壁は確かに外から眺めただけでも黒ずんで不気味な雰囲気を醸し出している。耳をつけると何かがガサゴソと動く音もする。壁のなかをネズミが這い回っているのだろうか。

 正午近くの直射日光に照らされて熱くなっている壁に背中で寄りかかり、何の気なしに掌で弄っていると小さな節穴がある。

 そこになんの気なしに左手の人差し指を入れたら、なんと抜けなくなってしまったのだ。引っ張っても捻っても、どうしたわけか第二関節で引っかかって抜けない。

 さっき壁の中で蠢いていたネズミらしきものに噛みつかれはしないだろうか、さらわれた小学生がこちらに向かって集団で廊下を歩いてきたらどうしよう。

 まだ小学校6年生である。全身から汗が吹き出し、喉が乾く。しかし飲みものなどもっていないし、照りつける日差しを避ける手立てもない。

 壁に張り付いて干からびた子どもがほかにもいるのだろうか。モズがやるハヤニエのように。

 ついにガタガタミシミシと校舎全体が揺れる音までしはじめた。

 強引に体をひねって真後ろを見ると、同じクラスの女の子の白田美也子が立っていた。いつからそこにいたのだろう。なにもいわずにじっとこちらを見つめている。

「美也子ちゃん……、美也子ちゃんさあ、なにか飲みものもっていない?」

 白田美也子はただ首を横に振る。

「指が抜けなくなっちゃって……。じゃあ、カナヅチかなんかないかな。この学校の壁、叩けば壊れるだろ」

 古くて乾ききった薄い木の外壁を壊すのはそうたいへんそうでもないし、なにより親や大人に助けにきてもらうのはイヤだ。学校の壁の節穴に指を突っ込んで動けなくなるなんて、たとえまだ子どもだとしてもまるでバカ丸出しではないか。

 白田美也子はなにもいわずに踵を返してどこかへ去っていった。しばらくして戻ってきたとき、その手にもっていたのはカナヅチではなくノコギリだった。

 古びてサビの浮いたノコギリを突き出されて言葉を失った私は、ただ呆然と白田美也子の利発そうな顔を見つめていた。学校の成績もよくて、こんなわけのわからないことをする子どもではないはずなのだ。

 これで人差し指を切り落とせとでもいうのだろうか。なんのつもりだろう?

 そのとき、白田美也子の大きな丸い目からポロポロと大粒の涙がこぼれて落ちた。突然のことにさらに戸惑った私は声をかけることもできず、右手でノコギリの金属部分をつまんだ。

 白田美也子はポロポロと涙を落とし続け、頬を濡らし、なにもいわず、そのままクルリと背中を見せて去っていってしまった。

 私はただノコギリを学校の壁に立てかけ、自由になる右腕の肘を壁に当て、前腕に額を押しつけながらなにかいい考えが浮かぶのを待った。

 誰かがどこかに隠れて窮地に陥った自分を見つめているような気がした。この見られている感覚はその後ずっと続き、いまもある。

 もちろん、いるのかいないのかわからないネズミやユウレイが怖くて指を切るなんてことはできない。だいいちそれは痛すぎる。それにもうすぐきっと助かるはずなのだ。

 根拠のない確信を必死に撫で回した。

 壁の中の左手の人差し指の先がなにかに舐められる。たしかにその感触がある。

 見上げた空は薄青く、熱を押し付けるような日差しはいっこうにゆるまない。そして誰かに見つめられている。

 誰かに見つめられているというのは、たとえば人生を川の流れのようなものだとすると、その岸に立つ誰かがいるみたいな感覚だ。たしかにそこにいるのには違いないけれども、触れあうことは決してない。私が存在しているのとは違う世界からの視線。

 そして私は結局なんの考えもなく、ただむざむざと気を失ってしまったのだった。

 散歩中の老夫婦に発見されたとき、私はすでに熱中症で痙攣を起こしていたらしい。病院に救急搬送され、2日間の入院ですんだけれども、発見がもっと遅ければ多臓器不全から命に関わる状態に陥る可能性もあった。

 白田美也子のことは誰にも話さずにおいた。なにか話せば彼女が大人たちから責められるかもしれず、それは彼女にとってまったく理不尽なことだと思ったからだ。

 しかしあのときの涙の意味、そして行動の謎はいつまでも解けない。あれはいったいなんだったのだろう。

 本当はカナヅチをもってこなければいけなかったのにノコギリしかもってこられなかった悔しさなのだろうか。それならむしろ道具類はなにももってこなくても飲みものだけでも調達してくるとか、いろいろな対応は考えられると思うのだが。

 白田美也子は自分に本当に指を切らせようとしていたのだろうか。もしかして死なそうとしていたのか。

 3度目の命拾いは、たまたま乗る予定の電車に遅れてしまった結果、その電車が起こした事故に巻き込まれなくてすんだというものだ。

 徐々に出来事の規模が大きくなっている、などとは考えないようにしている。こんなことは大学3年生のあのときで終わりだ。そうならなければいけない。

 というのは、予定の電車に乗り遅れて後発の電車に飛び乗り、偶然空いていた椅子に腰を下ろし前を向いたとき、そこに十年以上ぶりの白田美也子の顔を発見したからだ。

 小学校6年生の壁の穴事件以来、白田美也子とは話をしたこともなかったけれども、そして高校、大学と学校も別れて姿を見ることもなかったけれども、目の前に座っている色の白い女性はあの夏の日、大きな目からポロポロと涙をこぼした白田美也子に間違いなかった。

 突然のことに彼女が気づいたらどうしようなどと狼狽していると、果たして彼女の黒く強い瞳が私を捉えた。

 その瞬間、彼女は満面の笑みを浮かべた。まったく屈託のない、明るくてやさしい笑顔だった。わだかまりはすべて消えた。いやわだかまりと感じていたのは私のほうだけかもしれない。とにかくそのときからまた私たちの時間が動きはじめた。

 美也子に応えて私も笑顔で頭を下げて挨拶しようとしたとき、急ブレーキがかかった。悲鳴が上がり、座席から滑り落ちる人もいる。しかしここでも私と美也子には幸運にも何事もなく、連れ立って非常口から降車し、線路を歩いて避難したのだった。

 不謹慎かもしれないが、歩きながらお互いの近況報告をしたあのときのウキウキした気分は忘れられない。美也子は昔の、子どものころの面影を残しながら、誰もが刮目する美人になっていた。

 その美也子がいまキッチンでしっとりしたアルトで歌っている私の妻だ。

 来年生まれてくる子どもはきっと天使のように可愛いだろう。

 ……、しあわせに感謝している。しかしときどき恐ろしくも感じる。誰か、または何かが私を見つめているだけでなく、外側のどこかに立って私の人生を操っているような気もするから。

 あの小学生の夏の日のノコギリと涙の意味を美也子に聞いてはいないし、これからも聞くつもりもない。人生はわずかなきっかけで簡単に転覆してしまう。そのうえ私の人生はとりわけ微妙なバランスの上に乗っているようだ。聞けば必ず壊れてしまうだろう。私が誰かの操り人形だとしても、このままでいい。





                              (了)



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