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倍賞千恵子が演じる“悪女“〜山田洋次(監督)x 橋本忍(脚本)「霧の旗」

橋本忍の評伝「鬼の筆」(春日太一著 文藝春秋)を読み始めた。並行的に、橋本忍脚本作品を引き続き観ている。

今日は「霧の旗」(1965年松竹、U-NEXTなどで配信あり)。原作は松本清張で1977年には山口百恵主演でリメイクされている。

東京の有名弁護士・大塚欽三(滝沢修)の事務所に、一人の若い女性が訪ねてくる。熊本から上京してきた柳田桐子(倍賞千恵子)。実兄(露口茂)が老婆殺害の容疑で逮捕された、無実なので弁護して欲しいという依頼である。しかし、彼女には一流弁護士を雇うだけの財力はなく、大塚は依頼を断る。しかし、大塚の胸に何かがひっかかる。そして、ドラマは意外な展開を示していく。

松竹歌劇団(SKD)に所属していた倍賞千恵子だが、女優として松竹にスカウトされ、1961年に銀幕デビューする。当時の倍賞千恵子はSKDでの活躍に意欲を燃やしており、演技にはあまり興味がなかった。昨年12月に日本経済新聞に連載された「私の履歴書」には、<(しばらくの我慢よ。すぐにSKDに戻れるから……) 自分にこう言い聞かせた>とある。

ところが、当時は日本映画全盛時代、記事によると1961年9本、62年13本、63年11本の映画に出演する。多忙の中、62年に「下町の太陽」でレコード・デビューしレコード大賞新人賞、63年は同名の映画で主演、監督は山田洋次。実際に倍賞は下町育ちで、“下町の太陽“が彼女のイメージとなる。

そんな彼女が“悪女“に挑んだのが「霧の旗」、上記の連載記事によると<私は「下町の太陽」に続いて主役に抜てきされたが、筋書きを聞いて思わず足がすくんだ>。

監督は山田洋次、唯一のサスペンス作品。そして、脚本が“鬼の筆“橋本忍。

「鬼の筆」には、“特別インタビュー 山田洋次の語る、師・橋本忍との日々“が収録されている。それによると、山田の師匠は先輩監督の野村芳太郎。「ゼロの焦点」(1961年 松竹)で、監督の野村から<「君は橋本さんのところへ行って、一緒に脚本を作りなさい。勉強になるから」>(「鬼の筆」より、以下同)と言われ、橋本忍の手伝いをすることになる。こうして、「ゼロの焦点」そして、「砂の器」などで橋本の共同脚本としてクレジットされる。

そんな頃、山田洋次は橋本の机の上にあった「霧の旗」の脚本を見つけ、<「これ僕にいただけませんか」>。OKを出した橋本だが、主人公については意見があった。物語におけるイメージ、<目つきの鋭いキャスティングをしがちなんだけれども、思い切ってそうじゃないタイプの俳優にしたほうがいいんじゃないかと思うんだ。松竹でやるんだったら倍賞千恵子がいい>と提案する。

その結果として素晴らしい映画、迫力満点の展開になっている。あまり詳しく話すのは、これから観る方の興をそぐので、このあたりでやめておく。

この後、1968年に映画版「男はつらいよ」が山田洋次監督でスタート。ご存知の通り、倍賞千恵子はさくら役で、兄の寅次郎に寄り添う。「霧の旗」における兄への愛情と通じるものがあるようにも思う。「霧の旗」で下宿屋の大家を演じるのが三崎千恵子。「男はつらいよ」のおばちゃん・車つねである。

最後に、再び倍賞千恵子の「私の履歴書」に戻って、「霧の旗」のこぼれ話を一つ。

「霧の旗」当時、腹部から背中にかけて痛みを感じた倍賞、“悪女“を<熱演している最中、私の腎臓に結石ができていたのだ>。映画公開後、<PRで訪れた福岡空港。トイレでカシャカシャと音がしたので慌てて拾い上げると約5ミリの金平糖状の塊>、痛みが嘘のように消えた。

<熱演の記念ー。私はその石をキレイに洗い、容器に入れて「お守り」代わりにしばらく持ち歩くことにした>

倍賞美津子の熱演、それを引き出した山田洋次x橋本忍、一見の価値ありです


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