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「談春浅草の会」は継承か承継か(その2)〜そして“こはる“は小春志へ

(承前)

談春は「百年目」を演じた後、「(自分には)向いていないな」と話した。

「百年目」は難しい話である。大番頭を主役として、店の手代、丁稚。幇間(たいこもち)に芸者と様々な脇役が登場する。まずはこの演じ分けである。もちろん、立川談春の手にかかると、見事なものである。番頭の造形も素晴らしい。

ただし、この噺はさらに高いハードルがある。それは、旦那をどう描くかである。「百年目」の旦那は、愛情を持って番頭に、そして店の者に接する。しかし、経営者としての冷静・冷徹な面を隠し持っている。この両面のバランスが難しい。この感覚は、多少なりとも管理職的な経験のある方は、皆悩まれたことではないだろうし、親子という立場にも通じる。旦那としてどう振る舞うかは、演者にとって、そして聴く者の多くが現実社会において直面している課題である。「百年目」が名作なのは、ここにあると私は考える。

この日の高座を聴きながら、技術を超えたものが必要であると感じた。そして、そのことが「向いてないな」という言葉につながったのではないかと。

ここまで書きながら、少し不安になった。私の感覚は正しいのだろうかと(もちろん、間違っていることが多いのだが)。そこで、小佐田定雄著「米朝らくごの舞台裏」を取り出した。昨日書いたが、「百年目」と言えば、桂米朝である。

小佐田氏はこう書いていていた。<私が初めてこの噺を聞いた時、米朝師は四十代半ばであった。番頭は申し分のない出来であったが、番頭を諭すシーンの旦那の〜(中略)〜台詞に皮肉っぽい味わいが残っていたように思う>。その後、米朝の演ずる旦那は進化し、<私の中の『百年目』の世界は完成したと言っていい>。 なお、小佐田氏が言及する高座は、私の愛聴するCD「特選‼︎米朝落語全集 第六集」に収められている。1989年11月21日、米朝64歳の時の録音である。

立川談春の番頭は完成している、しかし旦那はまだ発展して行くだろう。小佐田氏の文章を読んで、その意を強くした。「百年目」を作ったとも言える米朝ですら、発展途上のフェーズがあったのだ。それだけ、この「百年目」の旦那というのは、技術を超えた人間としての年輪が求められているのだと思う。

談春には「百年目」を演じ続けて欲しい。そして、我々はその過程を見届けていきたい。敢えて言うが、サゲは戻したほうが良い。桂米朝がこさえたこの噺は、過度にいじる必要がないと思うのは私だけだろうか。

この日の高座で「継承か、承継か」と語った。立川談志も尊敬した桂米朝の話は、東京でも三遊亭圓生や古今亭志ん朝が口演した。その流れを談春は継承しようとしているのだろう、いやしなければならない。

明日は、こはる改め小春志について



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