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塩田武士「存在のすべてを」〜新聞記者は“なぜそれを伝えるか“

塩田武士の著書は、2016年の「罪の声」を読んだきりだった。本書は、山田風太郎賞を受賞し、週刊文春のミステリーベストで1位を獲得した。ちなみに宝島社の「このミステリーがすごい!」では7位であり、“純“ミステリーにやや傾きがちな後者と、文春の違いが現れているようにも見える。

「罪の声」は面白く読んだのだが、他作品には手を出さなかった。その塩田武士が、今年に入り、週刊文春誌上で小説「踊りつかれて」を連載している。SNSの匿名性を逆手に取り、他人の誹謗中傷を行う人々。彼らの個人情報を入手し、制裁を加えようとする男。そんな世界を描いている作品を、毎週読むようになった。

そんな中、書店の新刊書コーナーに現れたのが「存在のすべてを」(朝日新聞出版)である。前にも書いた通り、年末のミステリーベストを意識してか、候補になりそうな作品が並ぶ。東野圭吾、伊坂幸太郎、黒川博行、中でもその物理的存在感で他を圧倒するのは京極夏彦、17年ぶりの百鬼夜行シリーズ新刊「鵼(ぬえ)の碑」である。その中から、私がピックアップしたのが「存在のすべてを」だった。

物語は、大日新聞の連載企画の原稿案から始まる。1991年12月11日、神奈川県厚木市在住の立花家の長男、小学6年生の敦之君が誘拐される。県警の総力を結集して誘拐犯に対応する県警。ところが、よく12日、横浜市の木島茂方に、その娘の子で4歳の孫、内藤亮君を預かっているという入電がある。<県警が未だかつて想定していなかった、前代未聞の事態。二児同時誘拐ー。>(「存在のすべてを」より、以下同)事件が発生した。

この<序章>の迫力が凄く、読むものはこの二児同時誘拐事件を、新聞記者と警察が追いかける小説だろうと予測する。私も「ちょっと新味に乏しい?」と思ってしまったが、ドラマは思わぬ方向へと展開し、解明すべき謎は予想外の形を形成していく。

主人公は、大日新聞の記者、門田(もんでん)。事件から30年の時を経て、その真相を追いかける。最初に印象に残った場面がある。門田は、当時事件に関与してていた元刑事の藤島を訪ねる。藤島は門田に問いかける、<「門田君は、今、何が知りたくて取材しているの?」>。そして、松本清張の言葉を紹介する。<「彼曰く文学作品というのは、『解決を目的に書かれているのではない』と。これって、記者にも当て嵌まるんじゃないかな。ブンヤなんて問題を解決できるほど立派なもんじゃない。問題を伝えることしかできない」、<「大事なのは、なぜそれを伝えるかってこと」>。

“解決“を目的としたミステリー小説を否定するつもりはない。それは、知的エンターテイメントとして、上質なものでもある。しかし、“解決“が目的ではない、“ミステリー“的な小説が私は好みである。

そして、塩田武士が本書でめざしたものは、まさしくそれではないか。“二つ“の誘拐事件をきっかけに、多くの“存在“が、その人生に左右する影響を受ける。その「存在のすべてを」を作者は書きたかったのではないだろうか。

”なぜそれを伝えるか”

それを提示することによって、読む人の思いは様々に刺激されることであろう。そして、自らの周りを見つめ直そうと考える、「存在のすべてを」


*私は電子書籍だったので、あまり注意を払わなかったのですが、読む前に表紙画をよく鑑賞することをお勧めします


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