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「阿漕(アコギ)」の意味を能で知る〜喜多流自主公演

<あこぎ【阿漕】地名「阿漕ヶ浦」の略
①たびかさなること ②転じて、際限なくむさぼること。また、あつかましいさま>(広辞苑 第七版より)

妻が能を習っている関係で、時々公演を観に行く。興味はあったが、きっかけがなかなかなかったので、丁度良い。目黒駅近くの、十四世喜多六平太記念能楽堂で開催された、喜多流の自主公演に足を運んだ。

妻の先生、内田成信師がシテ役として演じたのが、「阿漕」だった。伊勢の国に阿漕ヶ浦という海岸がある。ここは、伊勢神宮に供える魚を獲る場所で、禁漁とされていた。しかし、ある男が毎晩密猟を行い、ついには露見して殺されてしまう。伊勢参りに来た旅人が、この男の亡霊に遭遇するという演目で、主役はこの亡霊である。

この男の罪は、「阿漕」という悪名を残すこととなり、“度重なると露見する”というたとえとなる。結果、後世の人々の重ね重ねの罪をその名に負わせれ、責め立てられている。それが故、阿漕の亡霊となり執心の恨みごとを語ることとなっている。

旅人は霊を弔うが、阿漕の亡霊は助けを頼みつつ、海の底に消えていく。この最後の亡霊の仕舞が、静の舞の中に、亡霊の無念さを感じた。

江戸時代、能は武士だけ、それも中・上級武士のものだった。安田登著「能ー650年続いた仕掛けとは」によると、能を学ぶことは<政治統治やマネジメントに有効>であり、<現代風にいえば能は「エリートによる、トップマネジメントのための芸能」>だった。

「阿漕」という演目は、エリート層に対して、悪事(含む不適切な男女関係)は度重なるとバレるということも教えていたのであろう。

これを観ながら、経産省キャリア官僚による給付金詐欺を始めとした、政治家・官僚の不祥事を思っていた。まさしく、アコギな人々である。彼らは、いわば武士階級である。能を観て勉強すべきではないか。さもなければ、阿漕の亡霊はいつまで経っても浮かばれない

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