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副汐健宇の戯曲易珍道中②〜テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』〜

曲がりなりにも東洋占術家の、副汐 健宇です。

「戯曲易珍道中」と云ふ、得体の知れない身勝手なシリーズを立ち上げたばかりにも関わらず、再び間が空いてしまいました・・・。

めげずに、私のペースでやって行きます。

今回取り上げさせて頂く戯曲は、戯曲界の名作と位置付けても過言では無い・・・


テネシー・ウィリアムズ:作 『ガラスの動物園』

小田島雄志:訳(新潮文庫)


です。

”ここではない、どこかへ”を常に夢見ている母子3人の、淡い挫折が描かれています。

残酷なまでに哀しく、しかし、私的には、通底している暗さを時折覗きたくなるような、思わずページを不定期にパラパラめくりたくなるような作品です。

具体的なお話は、といいますと(ネタバレ注意!!!)

電話会社に勤めていた夫に逃げられた母・アマンダと、脚に障害を持ち、その事で幻想世界に生き続ける娘・ローラ。ガラス細工が得意で、”ガラスの動物園”の園長でもある。

そして、観客に劇のストーリーを語る役割を与えられる、倉庫に勤めながら詩を書き続けている、息子・トム。いつか家を出て一旗上げようと思っている。作者のテネシー・ウィリアムズの青年期を投影したと言われている。

そして、トムがある日家に連れて来る、彼の同僚・ジム。かつてのローラの憧れの男性でもあった。

タイプライターの講座にも行かず、いつも幻想に逃げ込んでいるローラを心配したアマンダは、トムに、倉庫の同僚の中で良い男性を連れて来て、ローラと仲良くさせるように持ちかける。トムが軽く家で食事にでも、と連れて来たジムは、かつて、ローラを”ブルー・ローズ(青い薔薇)”と呼んでいた、快活なユーモアやさり気ない優しさに満ち溢れた男性で、ローラの唯一の憧れの男性でもあった。アマンダの思惑通り、ローラとジムは、ローラの部屋で二人きりで想い出話に花を咲かせ、徐々に絆を深め合い、短いワルツを共に踊り、思わずジムはローラと唇を重ねるが、そこで戸惑ったジムは、かつて無い喜びで恍惚としているローラに、「ぼくはもう―売約ずみなんだ。」と伝える。

 ワルツの拍子に落ちて割れてしまったガラスのユニコーンを、優しくジムの手に添える。

「今夜の―記念に」


・・・という筋書きです。

本作の描写一つ一つを、周易の六十四卦で捉える、という、この上無く無意味な暴挙にこれから身勝手に出る訳ですが、

今回は、アマンダ、トム、そしてローラ・・・この3人の母子の描写に照準を合わせて身勝手に(しつこいよ💦)検討させて頂きたく思います。

母子でも、見ている視点は違うので、これだ!という卦を一つ打ち出すよりも、3人それぞれの観点から、六十四卦を紡ぎ出して行けたらと思います。

■第一部 青年紳士の来訪を迎える準備

第一場より

15ページから引用

トムが商船員の服装で上手の路地から登場し、舞台前面をぶらぶらと歩いて非常階段のところまで行く。そこで立ち止まり、タバコから火をつける。彼は観客に語りかける。

トム そう、ぼくは種も仕掛けもちゃんと用意してあります。だが手品師とはまるで正反対。手品師は真実と見せかけた幻想を作り出しますが、ぼくは楽しい幻想に装われた真実をお見せします。(省略)




19ページより引用

アマンダ (省略)それからね、よおく噛むのよ! 動物なら咀嚼しないでも胃のなかの分泌液がちゃんと消化してくれるけど、人間は食べものを呑みこむ前によく噛むことになってるんだからね。ゆっくり食べて、その味を楽しまなくちゃ。(省略)

              ↑

いきなり余談ですが、こちらのセリフは、そのまま、「火雷噬嗑(からいぜいごう)」を思わせます。

              ☲

              ☳

上顎を動かして、固いもの(四爻の陽爻)を噛み砕こうとしている。

また、火雷噬嗑には、「障害と向き合う」という意味もあります。

まさに、上記のアマンダのセリフは、これから迫り来るであろう障害としっかり向き合い、楽しみながらそれを消化し、乗り越えて行こうという決意が暗喩としてさり気なく忍ばれていると身勝手(!)に思わずにはいられません。

第二場より

※ビジネス・スクールに行く振りをして美術館や映画館へ行って時間を潰していたローラとアマンダの口論。

34〜35ページより引用

ローラ 母さんはね、がっかりするととってもつらそうな顔をなさるでしょう、美術館にある聖母マリアの絵のように!

アマンダ まあ、そんな!

ローラ それが私には耐えられなかったのよ。

アマンダ (省略)となるとあたしたち、これからの生涯をどうやってすごすことになるのかね? 家に閉じこもってひとさまの楽しい行列を窓からのぞくだけ? ガラスの動物たちが遊び相手? (省略)

あんた、だれか好きになったことはないの?



第三場より

※倉庫での業務に嫌気がさしているトムとアマンダの口論。


45〜46ページより引用

トム ぼくのほうはどうだっていうんだい? 限度どころか、ぜんぜんがまんしてないとでも思ってるんだろう? わかってる、わかってる。母さんはどうだっていいんだ、いまぼくがやっている仕事と―やりたいと思っていることのあいだには―いささかちがいがあるってことなんか! 母さんは気がついていないんだ― (省略)

アマンダ (省略)ああ、目に見えるようだよ、おまえの仕事ぶり。だらだらぶらぶらしているだけだろう、からだがすっかりまいってるんだから。

トム (狂暴に)そう、すっかりまいってるさ!

アマンダ おまえ、クビになってもいいって言うのかい? そんな権利はないよ! 一家を路頭に迷わせてもいいって権利は! あたしたちどうやって暮らしていけると思うの、もしおまえが―

トム 母さん! 母さんはね、ぼくがあの倉庫に首ったけだとでも思ってるのかい? (省略) ぼくが人生の五十五年間を、あんな―セロテックス張りの!-蛍光灯の!-穴倉ですごしたがってるとでも? (省略)

母さんのいまいましい声が「元気に明るく起きましょう!」「元気に明るく起きましょう!」ってわめくのを聞くたびに、ぼくは「死んだやつがうらやましい!」と思う。それでもぼくは起きる。倉庫へ行く! たかが六十五ドルの月給のために(省略)

                ↑

上記の口論を眺めますと(先程から口論ばかりのシーンを紹介していますが、当然、口論だけで無く、穏やかな語り口で美しさを思わせるシーンもたくさんあります。)

対立や不和、方向性の違いを表す卦を当てはめたくなりますが、それでは、ややありきたりなので、

アマンダの「元気明るく起きましょう!」というセリフの裏を、六十四卦を通して描写してみたく思います。

こちらのセリフを、六十四卦で表しますと、

兌為沢(だいたく)の上爻が、ふさわしいように思います。

            ☱

            ☱

兌(☱)は、優雅な湖を表しますが、一方で、口、口先、言葉も表します。また、人物占でこちらの卦が出て来た際は、「口先だけで行動が伴わない人」と読む場合もあります。

このアマンダの一見元気なセリフも、絶え間なく襲って来る世界の現実や未来、そして、子供達との不和を振り切る、もしくは、隠す為の空元気に思えてなりません。また、上爻、つまり一番上の位置は、埒外(らちがい)の爻とも言われ、占った当事者や現象の当事者から外れている、とも読めます。つまり、自分だけで突っ走ってしまい、物事を落ち着いて俯瞰して見る事が出来ていない立場、と基本的には読めます。なので、子供達の思惑を置き去りにして、無理に「明るく元気に」を標榜しているこのアマンダは、まさに、兌為沢の上爻の代名詞、と位置付けても過言では無いのです。


第四場より

61ページより引用

アマンダ どうしてしょっちゅう映画に行くの?

トム 映画に行くのは―冒険が好きだからさ。冒険ってやつは倉庫じゃあんまり味わえない、だから映画に行くんだ。

62ページより引用

アマンダ たいていの若者は自分の職業に冒険を見つけるものだよ。

(省略)

トム そいつらがみんな自分の職業に冒険を見つけてるかい?

アマンダ 見つける人もいるし、見つけなくても文句言わずにやってる人もいるでしょう! (省略)

トム 男はね、恋をし、獲物を追い、戦いを挑むのが本能なんだ。ところが倉庫の仕事じゃそういう男の本能は発揮できないんだよ!

              ↑

口論ばかりでは無いと謳っておきながら、またしても口論の風景を紹介してしまいましたが💦

母子の視点の違いがこれでもかと浮き彫りになっているシーンです。決して本作の世界だけに限らず、あらゆる現実の日常に見られるすれ違いのように思いますが。

上記の卦は、まさしく、上昇する火の気と下降する水の気が上手く噛み合わず、背き合う、というキーワードに貫かれた卦、

火沢暌(かたくけい)の四爻、を当てはめたいと思います。

             ☲

             ☱

では、何故に、四爻(下から四番目の陽爻)かといいますと・・・

火沢暌は、良く眺めて見ますと、乾(☰)の中に、坎(☵)を包んでいる風にも見えます。四爻は、その坎の主爻、一番、坎を表している爻と言えます。

坎は、水、そして、深い悩み・・・。

活発に快活に仕事に行くように見えながら(☰)、内面は、このまま良いのか、ここではないどこかへ行けないか、深い悩みに覆われている(☵)・・・

まさに、激しい対立の中に、深い哀しみがふと見え隠れするシーンとなっています。

また、火沢暌は、家で団欒する、という意味合いの「風火家人(ふうかかじん)」を逆さまにした卦(綜卦)でもあります。

           風火家人

            ☴

            ☲

つまり、火沢暌は、家にいる、事の逆さま・・・つまり、”家を出る”というキーワードもあり、家を出たがっているトムの心理も巧みに全体を持って突いているようです。

               


■第二部 青年紳士の来訪

第七場


※ついに、ジムとローラは再会する。その中で、ローラの自信の無さに触れ、ローラを励ますジム。

130〜131ページより引用

ジム 人間ってだれでも、知り合ってみれば、そうこわいもんじゃない。そのことをおぼえておいてほしいな! そしてだれでも、きみだけでなく人間ならだれでもが、なんらかの悩みをかかえている。

きみはね、悩みがあるのは自分だけ、失意の人は自分一人、と思いこんでいる。だが周囲をちょっと見まわしてごらんよ、きみと同じように望みが満たされないでいる人間はいくらだっているんだぜ。(省略)


136〜138ページより引用

ジム ねえ、ローラ、きみの悩みの種はなんなのか、ぼくの考えを言おうか?インフェリオリティ・コンプレックス! 知ってる? 自分を過小評価すること、つまり劣等感!

(省略)そのぼくの判断によれば、それがきみのいちばん大きな悩みの種なんだ。人間としての自信の欠如だ。(省略)

声を大にして忠告したい。自分がなにかの点で人よりすぐれていると思うことだ!

ローラ どんな点でそう思えばいいの?

トム なに言ってるんだ、ローラ! ちょっと周囲を見回してごらんよ。どうだい? どっちを見ても平凡な人間ばっかり! みんなこの世に生まれてはいずれ死んで行く!

              ↑

ジムが、真剣に、誠実にローラに向き合おうとしている様子が窺えます。

そう、まさに、ジムの言葉一つ一つが、ローラをまるであの六十四卦だという事実に誘っているようです。(身勝手な見解・・・)

その卦は、地火明夷(ちかめいい)の三爻

             ☷

             ☲

太陽(☲)が大地(☷)の下に隠れている異常な状態を表した卦です。また、”陽の目を見ない”という意味合いも色濃い卦となります。

まさにジムは、ローラは、きちんと燦々と輝く太陽の下で自己表現をするに値する人物だ!と説いているのです。今のローラはまさに地火明夷だと断じているかのように。

また、外卦の坤(☷)は大地だけで無く、母親、も表します・・・。

まさに、母親(アマンダ)の過干渉で自身の表現を密かに暖めている(☲)とも読めます。

何故に、三爻(下から三番目)かといいますと、外貨の母親に一番接近しているポジション、というだけで無く、今一度、地火明夷を眺めてみますと、内卦と外卦の間に、坎(☵)が出来ている事がわかります。三爻は、まさにその坎の主爻となり得ています。まさに、家(内卦)から外(外卦)に出て行ききる事が出来ず、深く悩んでしまっている(☵)、ローラの状況、心理がそのまま出ていると読めるでしょう。


143ページより引用

※束の間の絆を深めるジムとローラ。

ジム (省略)ああ、ワルツだ!(彼はひとりで何度かすべるようにターンしてから、ローラに両腕をさしのべる)

ローラ (息もたえだえに)私―踊れないの!

ジム ほらまた、例のインフェリオリティ・コンプレックス! さあ、思いきって!

ローラ でも、あなたの足踏んでしまうわ!

ジム ぼくはガラス細工じゃないよ。


155〜157ページより引用

ジム ねえ、ローラ―なにか言ってくれよ。

ローラはふるえる唇をかみしめ、それからけなげに微笑む。彼女はもう一度いこわれたガラス細工を握っていた手を開く。それからやさしく彼の手をとり、自分の手の高さにもちあげる。彼女は注意深く彼の手のひらにユニコーンをおき、彼の指をおさえて握らせる。

ローラ 今夜の―記念に・・・

(省略)

ちょうどそのとき、アマンダが快活に居間に飛び込んでくる。彼女は、古風なカットグラスの水差しに入れたフルーツ・ポンチと、皿に入れたクッキーを手にしている。その皿は金の縁どりにケシの花模様。

アマンダ さあ、さあ、さあ! 夕立のあとってとってもさわやかねえ。あなたがたお子さまのために、軽い飲みもの作ったのよ。

彼女は陽気にジムのほうに向きなおる。

アマンダ ジム、レモネードの歌ご存じ?

「レモネード レモネード だれもかれもが容れものにてれもしないで手をのばす!」

※アマンダは、やがてジムにベティという恋人がいるという事実を知ってしまう・・・。

161ページより引用

アマンダ いいえ、なんにもおもてなしできなくて。

ジム なんだか逃げ出すみたいで申しわけないんですが、ベティを駅まで迎えに行く約束なので。ぼくのオンボロ汽車の時間に間にあうかな。待たされるとカーッとなる女の人って、けっこういますからね。

アマンダ ええ。よくわかってます―女の横暴さは!

彼女は手を差しのべる。

ではさようなら、オコナ―(※ジムの名字)さん。

あなたのご幸運と―おしあわせと―ご成功を祈ります! その三つを、ローラもお祈りするでしょう!-そうよね、ローラ?

ローラ ええ!

               ↑

娘と愛し合う男性にようやく出会えて、たっぷり愛情を注いであげようと思った矢先に知る事実、そして、挫折。

この瞬間のアマンダの心理には、目を背けたくなるような寂寞さが宿っているように思います。

この時の、アマンダを、六十四卦で無理に当てはめますと・・・

水沢節(すいたくせつ)の三爻、が妥当では無いかと思います。

            ☵

            ☱

こちらの卦は、壺(☱)の中に水(☵)が入っている。しかし、壺に入る水の量は限られている、という事実から、節度を守る、節制、節約、という意味合いの色濃くある卦です。

三爻は、兌(☱)の主爻・・・そして、周易では大切な、中(ちゅう)から外れて行き過ぎた爻・・・壺に入る水の量を過度に期待し過ぎて、その失望から来る激情を抑えている、という姿が見えるようです。特に、「よくわかってます―女の横暴さは!」というセリフに、切羽詰まった皮肉を思わずにはいられません。

そして、外卦は坎(☵)、再び悩みに直面しなければならない・・・。

また、この場合、三爻は元々陽爻がふさわしいという観点から、之卦(しか)が適用されます。之卦は・・・

         水天需(すいてんじゅ)

             ☵

             ☰

・・・”雨が降って大地が潤うのを待つ””タイミングを見誤る”という意味合いのある卦に変わります・・・。

カットグラスの水(☵)差し(☱)に入れたフルーツポンチが、物哀しさを甘く際立たせるようです・・・。

いつ、母親(☷)は潤えるのか・・・。   

164ページより引用

※ジムに恋人がいる事を知らなかったトムを咎めるアマンダとトムの口論。

トム 倉庫は仕事をする場所だ、他人のことをあれこれ知る場所じゃない!

アマンダ おまえはどこにいたってなんにも知ろうとしないんだ! 夢の世界に生きてるんだからね、幻想をつむぎ出しながら!

彼はドアへ行く。

アマンダ どこに行くの?

トム 映画に行く。

アマンダ それがいいだろうよ、さんざんあたしたちにばかな思いをさせといて。(省略)映画に行くっていうなら、行きなさい!(省略)なんにもわずらわされずに自分勝手な楽しみにふけるがいいんだ! さあ、行きなさい、勝手に行きなさい―映画に!

トム ああ、行くとも! 自分勝手だなんてどなればどなるほど、それだけ早く出て行く気になるんだ。ただし行く先は映画じゃないぜ!

アマンダ そう! そんなら月の世界にでも行くんだね―自分勝手な夢を追って!

                ↑

・・・ここまで来ますと、本作は口論を巡る戯曲、と位置付けても過言では無いような気がしますが、こういった口論こそが、現在でも本作を戯曲界の名作と言わせる所以であり、口論の描写のおかげで、終わりなき日常を生きる読者の私達が母子3人それぞれを素直に自身に投影出来るのでしょう。

かくいう私も、某家電量販店の物流センターで働いていた時期に本作と出会った為、当時、トムと自身を自然に重ね合わせる事が出来ました。

・・・と、上記の口論から、トムは家を出る訳ですが・・・

上記の描写を無理に六十四卦に当てはめますと

火山旅(かざんりょ)の二爻、が妥当のように思えます。

             ☲

             ☶

内卦の艮(☶)は山なので、止まっているものの、その上の外卦に離(☲)、火があり、立ち止まってはいられず、仕方無くその場を立ち去って行く、という意味合いのある卦です。

本来は、トムも家を守るという使命をきちんと意識していたに違い無いのです。自分勝手になりそうな自身を巧妙に抑えて日々を生きていた筈です。

何故に、二爻なのかといいますと、火山旅を改めて眺めますと、外卦と内卦の間に、風を表す巽(☴)があり、二爻はその巽の主爻となり得ています。

風は一定の方向に吹いている訳では無く、常に方向性が定まらない・・・。自身を巡る旅に出たものの、トムの揺れる心理をそのまま投影している卦のように思えます。   

               

167ページより引用

トム (省略)ああ、ローラ、ローラ、ぼくは姉さんをきっぱり捨てようとした、そのつもりだったのにどうしても姉さんのことが胸を離れないんだ!

(省略)

ローラはろうそくにかがみ込む。

(省略)

そのろうそくを吹き消してくれ、ローラ

・・・


本作は、読む者によって、バッドエンドか、もしくは、ハッピーエンドとは行かずとも、希望が覗くフィナーレか、非常に分かれるように思います。

個人的見解は敢えて差し挟む事はしませんが、確かに(大上段に構えて恐縮ですが)お伝えしたい事は、『ガラスの動物園』は、ネット全盛、ネット前提の時代に変わっても、いつの時代でも、人を想うが故のすれ違い等の普遍性を捉えた不朽の名作で、24時間年中無休で私達を、時に冷たく厳しく、そして時にユーモアや希望を交えて迎えてくれる、それぞれの胸に確かに残る動物園であると言える事です。そこには、伝説のユニコーンもいます。そして、美しくはにかむ園長も・・・。

その事は、わざわざサイコロや筮竹で占うまでも無いでしょう。


これからも、非力な私なりに、西洋東洋問わず、様々な戯曲、映画脚本、ドラマ脚本を、東洋哲学の叡智を兼ね備えた周易を通じて、私なりの身勝手な(!)ペースで、紹介させて頂けたらと思います。

ご指摘やご意見、ご感想等ありましたら、こちらでも、私のTwitter等でもご遠慮無くお伝え頂けましたら光栄、幸甚です。

引き続き、私のnote、是非是非宜しくお願い致します!


               令和三年 十一月七日

                      副汐 健宇

  



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