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陰陽の向かう先〜『ヘドウィグ・アンド・アングリ―インチ』のその後を周易で読み解く〜

こちらでは大変ご無沙汰しております。

先日、某座談会を聞いていた所、「副業するのは構わないが、副業という意識で仕事をするのはお客様に失礼。”副”業では無く、複数の本業、”複”業という意識を持って欲しい」というあるお方のお言葉に、何故か肩身の狭い想いをした、”副”汐 健宇、源氏名です!!!

#インスピレーションでつけた名前です💦

公式ホームページのブログでは、最近は比較的、頻繁な更新を遂げていましたが(それでも1週間に1回という体たらくではありますが💦)

こちらでは、大幅に遅れてしまっていました。

公式のブログでは比較的、東洋占術を分かりやすく伝え、私の鑑定を受けたいと思って頂けるような内容、テーマを目指しています。

一方で、こちらでは、もっとマスターベーション寄り(!)な、東洋、占術に捕らわれず、私のその時に関心を寄せているテーマを想いに忠実にただ書き連ねようと、ある程度の区分けの意識はあったのですが、そこを余りにも意識し過ぎて、逆にソワソワオロオロし、こうして更新が滞ってしまいました。

#言い訳ファンタジスタ

以前の『note』を読み返してみますと、ドラマの人物占や、ドラマの最終回の今後を周易で占う、と、ある種、仄かなシリーズ化が生まれていましたので、今回も、その路線で行かせて頂きます。

今まで取り上げていた作品は、全て野島伸司脚本ドラマと偏っていましたので、今回は、映画、しかも、海外の映画の、エンディング、その後を、身勝手に周易で占わせて頂きました。


『ヘドウィグ・アンド・アングリ―インチ』(2001年)

もう、説明不要な、21世紀の到来を高らかに告げる上でこれ以上の傑作は無い程の、ロックミュージカルです。

「本物のロック・ミュージカルをやりたかったんだ。

正真正銘のストーリーと、正真正銘のロックンロール、その二つを一緒に描きたかった」

監督を務めた、ジョン・キャメロン・ミッチェルの言葉です。

その言葉の通り、ラストへとカタルシスと共に向かう、ドラマの”収束”と、純粋なロックンロールの熱が放つ”拡散”が上手く同居した、

まさに、ネガティブ・フォードバックの(閉じる力)の”陰”

ポジティブ・フィードバックの(拡がる力)の”陽”

まさに、東洋占術の基礎の基礎である陰陽の概念を、決して観念的では無く、ここまでして物語に昇華させた作品は今も昔も無いと断じても過言では無いでしょう。

ストーリーも、壁の向こうに存在するであろう、自身の”カタワレ”に想いを馳せる・・・

哲学者プラトンの『饗宴』を題材に、

人類が恋愛に直走る必然性・・・

かつて、人類に3つ存在した性別・・・

背中合わせに男の子が二人・・・「太陽の子」

背中合わせに女の子が二人・・・「地球の子」

背中合わせに男の子と女の子・・・「月の子」

太陽も地球も月も、皆が自分勝手に振る舞うのを恐れたゼウスが、稲妻を掴み、真っ二つに彼等を切り裂く・・・

そして、人々は、壁の向こうに”カタワレ”・・・もう一人のかつての自身を欲する旅に出る。

恋愛は、かつての”カタワレ”と共に、本来の自身を取り戻そうとする、純粋な営みに他ならない・・・

『ヘドウィグ〜』の主人公の少年・ハンセルも、その御多分に漏れず、母の名前であるヘドウィグに名前を変え、”カタワレ”に出会う為に性転換手術を行うが・・・

股間にしがみつく、1インチの”運命”

ベルリンの壁が崩壊し、ロックバンドを組み、ベビーシッターのアルバイトを始めるヘドウィグ。そのバイト先で、17歳の、フォークソングを愛する少年・トミーに出会い、堅実に愛情を注いで行くが・・・

1インチの”運命”が、そこはかと無く、ぶら下がる・・・

トミーは、ヘドウィグに与えられたステージネーム、トミー・ノーシス

※ノーシスとは、「知識」という意味

を名乗り、ヘドウィグの曲を盗み、ビルボードのトップスターに上り詰める。裏切られたヘドウィグは、トミーの全米ツアーの会場を追い、脇の冴えないステージで歌を歌い続ける。

”運命”に届くように・・・

と、大まかな展開ですが、

ラスト(ネタバレ注意)

いわゆるハッピーエンドが否かは、実際にご覧頂いて確かめて頂きたい気分です。ラストは、観る者にとって、様々な視点からの解釈が可能で、ハッピーだけでは無い何かを受け取る方もいらっしゃるかと思います。

もしくは、アンハッピーと感じる方もいらっしゃるかも知れません。

ラストシーンを、純粋なシーンとしてだけ切り取りますと、

へドウィグは、全てを脱ぎ捨てて、真夜中の街にゆっくり歩いて行く、というものです。

日本で三代目のヘドウィグを舞台で演じられた、俳優・森山未來氏は、

「どのように受け止めれば良いのか分からない」

と、対談で監督・ミッチェル氏に伝えています。

ミッチェル氏は、

「最後、ヘドウィグは、トミー始め、かつて彼女が出会った人全てが彼女の中に集結し、彼女の中に入り、乗り移った。」

というような事をおっしゃっています。

私個人的には、そのラストを見た際に、彼女が向かう先はどこか、という事が、漫然と気になりました。

(警察に公然わいせつで捕まったというオフザケさえも連想出来ない程に)

そこで、一念発起して、

あの後、ヘドウィグは、どこへ向かい、どうなったのか、

周易で見させて頂きました。

【結果】 沢風大過の九二

      (たくふうたいか)

       ☱

       ☴

「九二は、枯楊(こよう)稊(ひこばえ)を生ず。老夫その女妻を得たり。利あらざるなし。」

「象に曰く、老夫女妻、過ぎて以て相い与(くみ)するなり。」

※楊 = 楊柳

※稊 = 古い根の脇から新たに出る芽

※女妻 = 若い花嫁


枯れかけた柳、つまり、老いたる夫が、若い花嫁と結ばれる。

九二は、陽で無ければならないのに陰、陽爻陰位。

盛りを過ぎている。応じている初爻の陰は幼い陰。

九二と初六が結ばれるのは、枯れた柳にひこばえが生じるようなもの。

ひこばえは、下の部分に生気が満ちて初めて上に伸びて行く。

枯れかけた陽は、幼い陰のお陰で再び栄えるであろう・・・

        (本田濟 『易』 朝日新聞出版 参照)

一見、常識を外れたような関係性であっても、互いに慈しみ合い、愛情を交わし合い、互いに再び眩い生気が満ちた状態、と言えるでしょう。世間体といった些末なものを超えて、見えない糸で結ばれ続けている、とは言えます。

また、裏側に隠されたメッセージを読み取る事の出来る、錯卦(さっか)

は・・・

   ■山雷頤 (さんらいい)

           ☶

           ☳

・・・口を大きく開けて、物を食べようとする光景を表した卦。

あらゆる物事を吸収する卦。

先のミッチェル氏の

「最後、ヘドウィグは、トミー始め、かつて彼女が出会った人全てが彼女の中に集結し、彼女の中に入り、乗り移った。」

が、まさに読み取れる卦です。山雷頤の中には、トミーを始め、ヘドウィグがかつて出会ったあらゆる方が吸収され、憑依して行ったのです。

・・・そして、事の成り行きを示す、之卦(しか)は・・・

    ■沢山咸  (たくざんかん)

          ☱

          ☶

「咸は、亨(とお)る。貞(ただ)しきに利あり。」

山頂に穏やかに流れる川。

若い男女が感応し合う卦。

完成された卦の水火既済では無いものの、

陰卦(☱)と陽卦(☶)が混じり合い、一つになり得たのです。

ラストシーンの後、ヘドウィグは、まさに、陰陽の次の次元、

太極図の中に自然と引き寄せられ、ただただ身を委ねた、と言えるのではないでしょうか。

一方で、本卦の沢風大過は、中央に陽爻が集まっていて、その重みでいかにも折れそうな枝、という光景も表しています。

・・・ありのまま、自然のまま、全てを脱ぎ捨てて裸になったヘドウィグ、その中でも、いかに自身のエネルギーを相手に分け与える事が出来るか、時に愛情の為に自身に負荷をかけて行け、という戒めも、きちんと添えているように思えます。

 もしくは、沢風大過は、”大坎”、大きな坎(☵)の卦。

坎は水行、水行は、黒・・・大きな、闇。

愛情は愚か、陰陽、太極の起源さえも、全ては闇に包まれている。

ヘドウィグは、自ら再びの闇に帰り、新しい光を探す旅に出かけた。

それがハッピーエンドかは見た者の判断に委ねられるかと思いますが・・・。

いつになく駄文になってしまったような今回ですが💦

また、取り上げたい映画や書物、舞台、戯曲、アイドル(!!!

)等がありましたら、それを東洋占術と絡めて、私のありったけの無い頭を絞って

#レモンの味がするぜ

また、是非、noteで細々と公開させて頂きたく思います。

引き続き、不束な40歳の曲がりなりにも東洋占術家な私を、宜しくお願い申し上げます!!!

                 令和三年  七月四日

       (Gackt様、ケンドーコバヤシ様、赤西仁様、カズレーザー様、池江璃花子様、あびる優様、お誕生日おめでとうございます!)

                     副汐 健宇  

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