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「アナログ」な波音と「片岡義男」さんに感じた時代

昨日掲載した話のキーワードであった「波乗り」と「片岡義男」の繋がりで得た高校時代。とは言え、私自身は然程《さほど》青春時代を謳歌《おうか》していた訳では無かったのです。むしろ青春を謳歌している人をみたり、そういう物を題材にした書籍を見て「青春しているなぁ」と気持ちを持っていただけの既に枯れていた高校生でした(笑)

そこから妄想溢れたダークサイドな話を語ることが出来れば、今頃は立派な作家にもなっていたかもしれませんが、残念ながらそういうお言葉を生み出せる才能はありませんでした。

で、話を戻して今日は「片岡義男」さんに自分が触れた時のお話を一つ。

ちょうど読み始めたキッカケは、同時期に片岡氏の小説の映像化されたからではなく、片岡氏の作品を「Cobalt」という雑誌でたまたま読んでいつの間にか積み重ねてきました。角川文庫の「赤の背表紙」の「片岡義男」さんのものを兎に角買い漁っていました。3、40冊は所持していたかと。

ちょうど初めて拝読した時は、サーフィンの事より男と女のやり取りが展開されていた内容でしたが、初期の作品にはサーフィンやバイク、海岸線、アメ車という鮮やかな極彩色で似合う風景の中で恋愛だったり人間関係を綴られていました。とは言え、話の中で劇的な展開が用意周到されている訳ではなく淡々と情景と心情をイマジネーションしやすく書かれていました。そういう訳なのか不明ですが、片岡氏の作品の映像化がなされていました。が、商業的には成功はしたのか微妙です。その理由は上記に書いてある事柄にヒントがありますので探ってみてください。

では、片岡氏の作品が面白くないのかと言えば文章力と表現力の高さで読んでいくと風景や心情、場合によっては空気の「匂い」すら感じる作品もありました。それで決して「くどくなく」、読みやすく脳内に入りやすい作品で「アナログ」な感覚を呼び覚ますことができました。この「アナログ」な感じは片岡氏の文章には今の小説に多くある「コピペ」感が極めて少ないかと思います。逆に「コピペ」感を感じていたのは「赤川次郎」氏の作品にありました。ただ赤川氏の作品はまだまだ「アナログ」感があるコピペかと。しかも雑味の少ないものでしたので、私にとっては読みやす過ぎた感じでした。元々ミステリーや古典も拝読していたので、読んで脳内再生できた片岡義男さんの作品は私の青春の代理をしている感じでした。

まぁ、私が書こうとしているのも一応恋愛や人間関係に絡んだ要素もありますが、それ以上に歴史とかスピリチュアルな要素の方が濃いものになりそうです。だからこそ片岡義男さんの作品に出会ったことは青春時代を謳歌出来なかった代償として役立てれば何より幸いです。

兎に角、今は物書きトレーニングの為のここでの掲載でもありますが、もうそろそろ続きものを清書しないとなと思うこの頃です(笑)

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