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9/17が締切りだよん

人の価値観というものは、親子であれ、兄弟であれ、違うものだ。
ましてや血のつながりのない赤の他人の夫婦なんて、育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないのは当然のことだ。

自分と価値観が違うことに違和感や嫌悪感を感じることもあれば、スルー出来ることもある。

ただ、子育てに関して価値観が違うとどーにもモヤモヤしてしまう人というのも多いのではないか?と、私個人としては思う。

子どもは所有物ではないけれど、2人の子であり、ちゃんと育ててちゃんと大人にしなくてはという責任感があるから、2人の意見がバラバラだと子どもにとって悪影響を与えてしまうのではないかと不安になってしまうと思う。

と、いうのも私がそうだったから。

育児書も読んだりしていく中で『子どもが育つ魔法の言葉』だったり『叱らない子育て』系の本も読んでいた。

まぁ、その通りに自分が出来たかと言われれば娘から話を聞かないでください…と願ってしまうほど、実行出来てはいなかった。

それでも自分のことは棚に置き…人のことは目に入るものだ。

そう。
ダンナだ。
うちのダンナは、いわゆる『昭和の男』という感じ。
「悔しかったらやってみろ」という根性論的な感じが随所に見受けられる。

なので、本に書いてあるような「言ってはいけない言葉」や「してはいけない行動」を見事にやっていた。
人と比べるとか。
人格否定とまではいかないにしてもプライドを傷つけるような言葉などは日常茶飯事だった。

それは、子どもが大きくなるにつれどんどん増えていったし、強くなっていった。

彼としてはきっと「何クソ」精神を持ってほしいという思いが強いように思う。

それは娘がダンナのお母さんと電話をしていても「ばあばとお父さんって、ホント親子だわと思う」というように、環境なのか、血筋なのかわからないが、受け継がれているものでもあるので、それが彼の中の正しい子育て論なのだから、簡単に変えられるものではないと思う。

子どもからしたら辛く厳しい環境だったかもしれないけれど。

彼の善性だけを見るとそれは『愛情』からなのだ。
社会に出てから困らないようにという愛情。
そして、それが彼の中の正義なのだ。

私から見たら嫌に思うことも子どもたちからしたら辛いと思うことも彼の中の正義。

この正義の違いに私は理解出来ず、何年も苦しい思いをしてきた。


数年前、ある方からその方の娘さんのことについてお話を聞いた。

その娘さんがお弁当屋さんでバイトをしたことの話だ。

そこのお弁当屋さんの店長は、とても理不尽なことで怒ったり、怖くて嫌な奴だったらしく、バイトの子たちはすぐに辞めてしまうほどだったという。
が、こちらの娘さんは「お父さんに鍛えられてるから」と、短期間で辞めることなく、その店のバイト勤務最長記録を打ち出したという。
そう。
こちらの娘さんのお父さんも理不尽な方だったため、スルースキルや忍耐力を手に入れていたのだ。

もちろんこれは、忍耐力が美しいという話をしているわけではない。

嫌なものは嫌だと言っていい。
怖い時には怖いと言っていい。
命の危険があったら逃げる。
メンタルやられない方法で自分の身は自分で守ってほしい。

ままま、そこは置いといてね。

その娘さんは「お父さんも役に立ったね」と笑ってお母さんに話したという。

うちの娘も就職して間もない頃、上司にお父さんと似てるタイプがいたと言っていた。
悩みがあったら言ってねと、面談の時に言われたのでちょっと言ったら否定から入ってきたり、そんなのは、こうなんだよと軽くあしらわれたりしたという。
「悪い人ではないのはわかるけど、聞かれたから言ったら否定するとか簡単にアドバイスしてくるってどうよ?って思って…。お父さんかよって思ったよ」と言っていた。

そこで娘は「これってじゃあ、お父さんに対するみたいな態度にしたらどうだろう?」と思い、ちょっとした面白話を言ってみたり、相手を主役にさせる話し方をしてみたという。
すると、効果的面。

上司は娘を「面白娘」と認定し、それ以来娘を気に入って、明るい話題で話しかけてくれるようになったという。

すると娘が「お父さんも役に立ったね」と、なんと、お弁当屋さんでバイトをしていた娘さんと同じセリフを言ったのだ。

ひどい言葉を言う、傷つけることをする=嫌な奴。ダメな奴。ひどい奴。

というレッテルを貼るのは簡単。

だけど、ずっと嫌なお父さんと思って生きるのも辛いものだ。

あ、別に親子だから好きじゃなきゃいけないとかの話しではないです。

合わない、嫌いというのも親子であってもそれはアリだと私は思っています。
ただ、その中でずっと苦しいのであれば、その中の善性だけを見るのもありかもよという話です。

昔、私は、お父さんなんだからこうであってよ。
お父さんなんだからこうしないでよ。
という自分の価値観で物事を判断してジャッジしていたんだと思う。
本を読んでいた分、自分の方が正しいと思ってもいたんだと思う。

だから子どもたちが傷つくようなことを言ったりしたりしているのを見ると、やめて欲しくて、けど言ったらますます攻撃が激しくなるかもと思って、言えずにいてモヤモヤイライラしたりしていた。

ダンナのお母さんは、そういうのを全力で守る人だったとみえる。

若い頃はダンナのお父さんもそれこそ『ザ・昭和男子‼️』だったので、ダンナが子どもの頃なんかは理不尽極まりない感じだったようで、ダンナのお母さんは、子どもたちを守ってきた。

何かじいじ(ダンナ父)が言うと「そんなこと言うもんじゃない」とかこちらがどう受け取って、どう返すかを考えたりする前に、自分が壁になり、守ろうとするのが垣間見える。


それはそれで凄いし、素晴らしいとは思うけど、そうすることで、子どもたちが理不尽からどうやって身を守るかという、自分で考え実行する機会を失わせていることもあると思う。


今でも時々ダンナは息子に向かって聞きづてならぬ発言をすることがある。
それは言ったらいかんでしょと言う言葉を言ったりとか、自尊心を傷つけるような発言もある。

前はそんなのを見ると私は子どもの心の傷がどう今後に関わってくるのか考えてハラハラドキドキしていた。
息子と2人になった時に全力でフォローをしていたりしていた。

だけど最近はそれもある程度のところでやめた。

それは、息子も高校生ということもあるし、今まで言ってきたこともあるからだけど、そろそろ本人を信じようと思うから。
って、遅すぎだけど…💧

どんなことを言われてもどんな状況でもこの子は大丈夫。
そう思うだけ。

どっちの正義が正しいのかを考えるのをやめただけ。

そうすることにした。

まだ時々口出ししたくなることはあるけれどね。


『ひどい言葉を言う、傷つけることをするのは、嫌な奴。ダメな奴。ひどい奴。』

『親から傷つけられたらかわいそうな子』

そこだけで判断してしまうのは、二元観の考え方。

ここの部分は私にはいらない言葉だけど、ここはこういうことを言いたいんだな、なるほどと受け取る。
こんなことがあったから、こんな場面で助かったってこともある。
嫌なお父さんだと思っていたけど、役に立つこともある。


辛い目にあったらトラウマを抱えてしまうと心配するより信じてみる。
意外と自分が思い悩むより、子どもたちは強かったりする。
その力を見せてもらうことが出来る。

ジャッジしてしまう二元観で考えるより、一元観として捉えた方が、まるっと受け入れて生きやすくなると思いませんか?

そんな経験、あなたにもありませんか?

私の初めての【募集企画】では、みなさんから一元観エピソードを募集しています。


詳しくはこちら。


一元観と二元観について…

受験を例にします。
合格したら○で、不合格なら✖️という、1つの物事を正反対に2つに分離させたものの見方が二元観の捉え方です。
しかし、入学後何度も大きなトラブルに見舞われたら今度は受かったことに対して✖️だったと思うことになります。
逆に希望校には落ちたが、別の道を歩んだ先で生涯のパートナーに出逢えたら、✖️が○に早変わり。
これでは状況が変わるたびに一喜一憂してしまいます。
もしも受験に落ちたとしてもそれも○です。
ここがベストの道だと捉えて、もし受かっていたら波乱の人生だったかもと捉えてみる。
そういう考え方が一元観の捉え方です。
『10ピースの教訓』よりちょっと脚色をして抜粋

受験のこと。
パートナーのこと。
親子のこと。
お仕事のこと。

きっとあなたの中にも一元観エピソードはあると思います。
ぜひ企画にご応募してみてください。

締め切りまであと1週間です。

よろしくお願いします💖

幸せをありがとうございます💖
二元観にも花束を💐
一元観にありがとう😊
うちなる平和を💕
シュカポン🐼

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