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「日々の出来事、感じたこと」を投稿していきたいと思います。 趣味のプラモデル、物置の…

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「日々の出来事、感じたこと」を投稿していきたいと思います。 趣味のプラモデル、物置のキャラクターロボットを作って、皆さんに見ていただければ うれしく思います。 つたない文章、出来の悪いプラモデルですが、どうぞよろしくお願いします。

最近の記事

「時代を生きた人たち」

幼年期:「母」 母に連れられ、門司港駅を利用したことを思い出す。 手を引っ張られ、いつも宙を飛ぶように小走りに歩いていた。 何で急ぐ必要があったのか良くわからない。 5つ年上の兄、3つ年上の姉がいたにも関わらず 「いつも私だけだった」のか、よく覚えていない。 駅から歩いて10分弱の小高い所に母の実家があった。 今、私の住む団地の2軒分になるであろうか。 当時としても大きな家だった。 家に着くといつも祖父がいた。 祖父は、祖母が30代後半、病気で亡くなって直ぐに後妻を娶

    • 会社の評価「S」を取り続ける仕事の取組み方法

      この記事に目をとめて頂き、ありがとうございます。 私が10年間、「業務評価S」を取り続けた仕事のやり方について 下記の通り、書かせて頂きました。 参考になればと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

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      • 駅までの道、徒競走?

        私は、駅までの歩いている。約20分弱だ。 小高い丘の上に団地がある。 購入して35年余りになる。 やっとの思いで完済した。 世帯年齢も、ほとんどが年金受給者となっている。 国土地理院の地図によれば、標高約28メートルだ。 下りは良いのだが、帰りは上り、きつい。 年齢を感じる。 「足が前に進まない。 息が上がってしまう。 明日の仕事に差し支える。」 等を理由に挙げ、妻に迎えに来てもらっている。 下りの道は、すいすいと歩いて行ける。 この間の雨降り、 スニーカーが滑ってしま

        • 「勘ちがい!」

          私は電車で通勤している。 駅舎の屋根から日の出だ。 眩いばかりの光が降り注ぐ。今日もいい日であって欲しい。 私の目の前のホームは、下り線だ。 いつもの時間、対面のホームから 笑顔で「おはようございます。」と声をかけられる。 初老の男にとってはうれしい。 直ぐに「おはよう」と挨拶を返す。 こんな毎日が楽しみになっている。 息子の「同級生」である。 小学校から中学校まで、同じ学校、同じクラスであった。 笑顔がとっても似合う女の子、いや女性に成長している。 今では、二人の子持ち

        「時代を生きた人たち」

          「いじめに打ち勝つ: 2」

          課長からのいじめ 着任当初は、初めての仕事だったので、何をしてよいのか分からなかった。 それでも、問題なく指示をうけた仕事をしていた。 全国から送られてくる情報を集約し、分析の上、項目ごとに レポートをまとめ、課長に提出することが主な仕事である。 しかし、課の雰囲気がちょっと違っていた。 重苦しい空気に包まれていた。 静かだった。誰も話すものはいない。 淡々と業務をこなすだけだった。 情報は新しく設立された部署で、あらゆる社会情勢について 収集、分析を行い、企業活動に

          「いじめに打ち勝つ: 2」

          「いじめに打ち勝つ : 1」

          妻の携帯に着信があった。 息子からだ。22:00を過ぎている。 どうしたんだろう? 話を聞いている。「父と替わるね。」 「どうした? 何かあったのか。」 「もう我慢できない。」 直属の上司から毎日のように陰湿ないじめにあっていることが分かった。 息子は係長、その上司は課長だった。 昨年の4月に本社に転勤、情報部門は初めての経験だった。 「久しぶりの本社だけど頑張るよ」嬉しそうに話していた。 それから8ヶ月、笑顔が消えていた。 息子は子供の頃、おとなしく、いつも自分

          「いじめに打ち勝つ : 1」

          「月に一度の散髪」

          子供の頃から好きではなかった。 小学6年までは、「坊ちゃん刈り」 中学3年までは、「坊主」 高校3年までは、「普通」 大学3年までは、「よしだたくろうカット」 大学4年以降は、「普通」 今日に至っている。 床屋さんの椅子に座ってしまうと選択肢の余地はない。 任せるしかないのである。 「今日はどういう風にしますか。」と一応希望を聞かれる、 「刈り上げは、低く、上は長さを揃えてください。」 「もみあげはそのままで、お願いします。」 と希望をいうのだが、その通りやっても

          「月に一度の散髪」

          優先席 「譲る勇気」

          通勤に電車を利用している。 優先席のシートを被せている席がある。 誰が見ても、子供がみても、学生がみても、 会社員がみてもOLが見ても、 還暦を迎えた人がみても、前期高齢者がみても 後期高齢者がみても 優先席であることがわかる。 その席に小学生が座っている。 その席に中学生が座っている。 その席に高校生が座っている。 その席に大学生が座っている。 その席に専門学校生が座っている。 その席に会社員・OLが座っている。 その席にフリーターらしき人が座っている。 ほとんどの人

          優先席 「譲る勇気」

          「昭和30年代、みんな元気だった。」

          「高度経済成長期」 昭和30年代の北九州は活気に満ちていた。みんな元気だった。 近所のおいちゃん、おばちゃんが 子供に声をかける。 子供をしかる。 それが当たり前だった。 子供はいつも走り回っていた。 どこを見ても子供は走っていた。 若松の洞海湾では、筑豊から毎日送られてくる石炭貯蔵所が山盛りとなっていた。 男女労働者が休むことなく、全身びしょ濡れになりながら、 ショベルでベルトコンベアに掻き揚げる。 軋みながら回転を続けるベルトコンベアは、港に横付けされた木製の運

          「昭和30年代、みんな元気だった。」

          「歩んできた日々、その出来事、趣味            バンダイ グレートマジンガー」

          復刻版、グレートマジンガー バンダイさんの復刻版鉄人28号を手にした時期と同じころ、店頭でみつけた。 やはりボディのみで 「ロボットは動かないと楽しくない。」 私のモットーとしては、購入をためらったが、コレクションでもいいか思い買ってしまった。 その頃鉄人の、ギアボックス製作に試行錯誤の最中、概ね納得のいくものが出来つつあった。 鉄人も概ね出来上がり、この経験をもとにマジンガーにも転用できるのではないかとの思いが湧き上がり、埃をかぶった箱を手にすることとなった。 「製

          「歩んできた日々、その出来事、趣味            バンダイ グレートマジンガー」

          「イマイ科学さん、鉄人を送り出してくれてありがとう。」

          「歩んできた日々、その出来事:鉄人28号、出会い」 初めて手にしたプラモデルは、鉄人28号でした。 お正月、両親からもらったお年玉を持ってプラモデル屋さんに直行。 「ゴールド成形、リモコン鉄人28号」を手に入れました。 うれしくて、うれしくて箱を、何度も、何度も、開け閉めしていました。 小学4年生であった私は、自分では作れず、3歳年上の中学生だった姉に無理やり作ってくれと頼んだ。 出来上がった鉄人は、接着剤がボディからはみだし、リモコンの正太郎の腕を上下させても、全く

          「イマイ科学さん、鉄人を送り出してくれてありがとう。」