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「昭和30年代、みんな元気だった。」

「高度経済成長期」

昭和30年代の北九州は活気に満ちていた。みんな元気だった。

近所のおいちゃん、おばちゃんが
子供に声をかける。
子供をしかる。
それが当たり前だった。

子供はいつも走り回っていた。
どこを見ても子供は走っていた。

若松の洞海湾では、筑豊から毎日送られてくる石炭貯蔵所が山盛りとなっていた。
男女労働者が休むことなく、全身びしょ濡れになりながら、
ショベルでベルトコンベアに掻き揚げる。

軋みながら回転を続けるベルトコンベアは、港に横付けされた木製の運搬船に流れていく。

直ぐに一杯になった。
溢れた石炭は船からこぼれ落ちる。

洞海湾はいつも真っ黒だった。

喫水線をはるかに超え、海面すれすれまで積み込む。
「大丈夫か。」と思うほどであった。

石炭の粉で視界は真っ黒。
男も女も真っ黒になって働いていた。

社会に活気があった。街は元気だった。

夏、夕方になると納涼も兼ね、男はステテコ姿、女は浴衣で
中央市場に行った。
その周りを子供が笑い、走り回っていた。

それが楽しみだった。

とにかく元気だった。





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