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お参りンピックの中盤に宗像大社に行っておりました。

祈願殿が新しくなり凄いことになっているとお聞きしまして腰が浮きました。

上の画像がそれなのである。

一言で言って 何も無いのである。

坪庭のような場所に、沖ノ島を模したかのような磐座と榊の数十年は経つであろう古木そして砂利。

なんというすっきりとした何もなさであろう。

岡本太郎さまの沖縄文化論に久高島に訪れたときの身震いするような感動が記されている。

何もない凄み。

大神神社は本殿がなく拝殿があるだけで、山自体が御神体である。

その凄み。

ハワイやタヒチの何もない空間に人のイノリと音楽に応じて神は音づれる。

この音楽にひかれつつ
聖人御世にまた出で
天下を守り治むる
万歳楽ぞめでたき

🐚🐚🐚🐚

新しく出来たものなのに関わらず数万年もの間繰り返し繰り返し作られ、アップデートされ、古い根源的な形なのに、常みずみずしいこの命。

常若 とこわか
永遠の命と生命の循環

素晴らしい。

古くて常に新しいそのイノリのカタチをこうして表した。宗像大社様のお気持ちに頭が上がらない。

たしかにこれは人工的に作られたものかもしれない。しかしイノリが現れているのだ。

これはもう森であり山であり島であり海である。

是非是非皆さま宗像大社さまにお出ましくださいませ。

わたしがいま東京に必要と思うイノリノカタチがここにある。

どこかに良い場所はないか。

そんな目で自転車に乗ってぐるぐる。

あっ善き空き地が、あるある。

上の神籬 磐座は 大自然に匹敵しているのではないかしら。

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