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ウィークエンド行者 飯縄山で法螺を立てハワイアンチャントを宣る。

ウィークエンド行者を言い始めてだいぶと月日が経った。
わたしたちのスタイルは優婆塞という。
つまり、半僧半業界人である。

お仕事しながら修行をする。
神仏のことをしながらバリバリ働く。

のちに修験道の開祖と崇められることになる役行者神変大菩薩さまは私度僧で優婆塞だった。

つまり在家の修行者。

得度とか出家というのは限られた人材への国家的な行事であった時代に龍樹菩薩から法を授かって、山に入る。

まさに山パンクな行者さんであったと聞く。

そんなわけで、根はパンクなわたしも、週末に山や海にいることが多いのだ。

この週末は飯縄山を登拝してきた。

以下いまのわたしのスタイル。

山に入る前には山に許しを乞う。

入っていいですか?言葉にして、法螺貝でも表す。

ダメなら帰ります。そのことが大事だと感じているのである。

山に入る前に、入れていただく許可をもらうために、必ずすることがある。

それは、その山の植物を身につける。ということ。

これは修行が始まった頃、ハワイ島ワイピオバレーで カナカオレ姉妹に教わったことだ。

画像は大峯山上参りの時のもの。

そこに自生する植物のマナ 魂を見に纏い そのものの命となってワイルドネスの中に入っていくのよ。

姉妹はそう言って、許しを願うチャントを捧げた。

すると風が通り、タロイモのパッチが波打った。

許されたから入りましょう。

姉妹は言った。

そのことをわたしは忘れない。

修験道と言っているが、それはそれ以前の名前もなかった自然界との向き合い方の態度に名前を誰かがつけたものだ。

きっとそこにあるのは縄文よりもっとさらに以前の数万年前の人びとの魂、身体性であろう。

わたしはそうした態度をリスペクトして山に入り、海に漕ぎ出し、岩に抱きつき、波に巻かれていたいと思う。

山を歩きながら気になった植物をお願いの言葉を言って杖に巻く。身体に巻きつける。

はあはあゼェゼェ言いながら山の神様のところへ身体を運んでいく。

今回は酷暑の予報であった。

ところが朝から曇り。涼しい風が吹き抜けるではないか。

楽に上がらせてもらえたことは間違いないの。

ありががたいことです。

そして、ここというところまで登ってきた西の空を振り返ると、視界に収まらないほどの無数の天使の梯子が!

夥しい。

angel's ladder

雲と大気の状態と時間帯のなせる技である。

頭の中では angel/Jimi Hendlixが鳴り響く。

そしてうろ覚えのチャントを…

 E ho" mai i ka 'ike mai luna mai e,
 I na" mea huna no eau o na mele e.
 E ho" mai, e ho" mai, e ho" mai e

あえてポップなものを貼り付けておきます。
リリックは同じなり。

儀式の始まりに何かを待ち、何かの訪れを待つ。
そんなチャント。

すると、光のカーテンがみるみるこちらに近づいてくるるではないか!

つまり雲の割れ目がこちらに次々出来てきたのである。

なんとも荘厳な景色でありました。

見惚れて時間を使いすぎ、山頂には上がらずに夕景の中を駆け降りたわたしだ🙏てへ。


E ho mai すごいチャントでございますなあ。

若い修行者に煽られながら、水の流れのように、ものすごいスピードで降りることが出来たことは言うまでもない。羽が生えたようなナイスミドル、高齢者寄りのウィークエンド行者でしたとさ🦚


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