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【日本史】働いて 産んで育てろ そりゃ酷だ

 「でもよ、『強い奴が勝つのではない。勝った奴が強いのだ。』って、あれ、披露宴のスピーチで言うネタか?新郎の仕事に対する激励とかかなあ。」と夏川さん。「そんなオツム良さそうな上司には見えんかったですよ。あれは『美人が結婚できるとは限らへん。結婚できた奴が美人なんや。』って、新婦に対する暗示とちゃいます?」と春恵さん。他人の披露宴とは、結局のところ儀礼的に出席するイベントに過ぎず、心から愉しむ方法が見つからない――この点において相変わらず三人の価値観が合致しているものだから、その後の打上げは口も酒癖も悪くなる。お二人ともご自身が既婚者だというのに不思議だ。もとい、既婚者がゆえに「ケーキ切ったり、キャンドル灯したり、友人に歌わせたりしてまで祝う程のことでもない」と冷徹に承知しているのだろうか。
 「それにしても、何でオレがマイク握らないといけなかったんだよ。」そもそも夏川さんは自分の役回りにも不服だったのだ。部長が業界のゴルフコンペ、副部長が工場点検の立会、次長がインフルエンザ、課長が・・・そんな具合で夏川課長代理様に出囃子が流れたという顛末である。「ホントはさぁ、『役不足で申し訳ございません』の後に続くオリジナルの原稿も頭ん中には思い浮かべていたんだぜ。『上の者もしょっちゅう出張で家を留守にする割には、いや、だからでしょうか、子供は3人目、浮気は●人目。何だかんだと夫婦円満のようで――』って、それくらいパンチ力のあるやつをな。」と先輩が憎まれ口を叩けば、「そうよ、そうよ、部長のつまらないメッセージの代読よりよっぽどマシよ。」と相槌を打ちながら、いつの間にか夏川さんと私のネクタイの剣先同士を器用に結ぶ彼女。「こうすればねェ、健やかなる時も、 病める時も、富める時も、貧しき時も、首と首が繋がって、神に誓わんくても離れられへんわ。」と下品に嗤う。トイレに行きたくなった私は、自らの白ネクタイをノットから外してそのまま先輩へ預ける。
 
 派手な看板が目に留まったという理由のみで入った店は彼女以上に下品で、厠の壁は落書きだらけだ。「お肉のお供に、秋の焼き野菜セットがオススメ!最初はかた~いおイモも、温めると柔らかくなり、甘味を増します!」という店のメニューの貼り紙の脇に「ボクのおイモは逆です!温めるとかたくなります!」とイタズラにしては流麗な筆運び。その横には同じ作者と思われる短歌が添えられている。「何食わぬ 顔でナニ食う 尺の音に 頬染めし君 我が紅葉狩り」――男性器を“ナニ”と俗称する場景に久々に出くわした。
 戻ると、二人は「あんだけ肉料理を平らげて、何でまた焼肉屋なんだよ!って思ったけど、塩タンとかウインナーとかはイケるな。」「でしょ、でしょ、赤身のサイコロステーキと大蒜ホイル焼きもイッちゃうわよ。」と網を焦がしつつも、ナニかのメモに夢中の様子。よく見ると、春恵さんの字で一覧表になっていて、「判定」の欄にA・B・C・・・Gまで続き、各々に馬名らしきものが並んでいるのだが、競馬の予想にしては日曜も終わったばかりだ。「さすがにAは居ないのか。」「悔しそうに言わないでくださいよ。まさかの『ペチャパイ好き』ですかあ?」「モリノムネナイヤンでもBか!」「間違いありません、長年にわたり女子更衣室を観察してきた、このワタシの調査ですよ。」「まるでパドックみたいな言い方だなあ。」――これは驚いた。AとかBとかいうのは「カップ」の事を指し、名付けられていたのは当社の“牝馬”たちだったのである。ご丁寧に馬名の横には括弧書きで「森野厩舎・7歳」と記されている。「森野」というのは人事部長で、「7歳」というのは入社7年目という意味だ。読み方が解ると、是、実に生々しく艶めかしい。Cカップは「キレイナチチライン(山本厩舎・8歳)」――山本部長の開発部で入社8年目、ああ、ちょっと磨けばモデル顔負けのあの子は確かに美乳なり。Dカップは「アブラノジョウオウ(田村厩舎・6歳)」――田村部長の購買部はそもそも紅一点、肉も魚も脂身好きの彼女はやはりDか。意外だったのはEの「ヒショノホシガール(松下厩舎・9歳)」――まさしく“秘書の星”と崇められるマドンナだったが、早々と結婚した。「制服だと見破りにくいですがねえ、デカいんですよ、これが。引退して繁殖入りも種付けが思うに任せず、産休は疎か、現役を蹴散らす暴れ馬ぶりは未だ健在!」――春恵さんはすっかり予想屋の口調だ。いくら女性の発言であっても許容範囲を超えた下品レベルに毎度感服する。「さてさて、お客さん、世に名馬多なれど、到底この馬のカイ食いには敵うまい!万年成長期!本命のGカップはズバリ『タニマババボンバー(藤王厩舎4歳)』で決まり!」と食欲旺盛な営業部のアイドルを紹介し終えると、満足げに大蒜を大胆にもチシャ菜に巻いて口へ放り込む。先輩のほうは口を開けっ放しで、私の外したネクタイの分まで細長い白帯を胸元に垂らしたまま、文字通りオッパイに吸い付くようにメモを熟読している。こうなってくると、阿呆三人組で深酒の泥沼という典型的なレース展開だ。
 「で、今回の新婦は何カップなのよ。」「Fカップです。ロクに仕事もせんで、バストばっかり膨らませて、困ったもんです。たまには周囲の期待を膨らませてほしいわ、ホンマ。」「でも、会社は辞めないんだろ?」「ええ、残念ながら。経理は決算ん時以外ヒマやし、もともと彼女は何もしてませんから、このまま仕事も家事もサボり続けるんでしょう。基本的に料理も作らないそうです。銀行員のダンナが作ってくれるから。」「銀行も昔と違って残業なんか少ないだろうしなあ。」「料理作らんでも、子作りは早いでしょうね。」「就職が人生の頂点ってやつか。」「最低2回は産休・育休たっぷり取って、給料だけ貰って辞めるって、ワタシ達が散々懲りている必殺技のパターンですわ。『東大で経済を勉強してました』ってステイタスだけで、ウチみたいに制度ばっか充実した世間体重視の会社に入ってしまえば、堂々と10年はタダメシ食えますからね。」――会社休んで、家事もしない。子供のメシは自慢のFカップから生産すれば済む。お二人の毒々しい会話は辛辣だが真実でもある。
 子育てというのが大変なのは百も承知だが、介護経験を持つ私から謂わせると、この上なき「夢」があるではないか。男性の育休を国が推奨する時代、私にも妻子さえ居れば「夢」のために何日だろうと休んでみたかった。今でも本当は専業主夫になりたいくらいなのだ。母乳は出ないがミルクは作るし、収入の安定した妻の食事も喜んで用意する。が、法の整備に追い付けない慣習が邪魔して、男にはそのチャンスも可能性も殆ど与えられない。「外で生活費を稼ぐのは妻が得意ですし、家内を守るのは私が得意なので、夫婦共働きで子育てをするのは二人とも不仕合わせになると考えました。これからの人生は家庭に集中したいので、退職願を提出します。お世話になりました。」といった行為を、なかなか“世間様”が許容してくれないのだ。これは「男のオマエが働けよ」という常識の押し売りか?だったら、中途半端な男の育休取得で男女共同参画を前進させているかのような自己陶酔は止めて、寧ろ「男は休まず働けよ」と断言してくれたほうが飲み込みやすい。蓋し、法の下の平等とは、男と独身に不平等を齎す。
 第一「少子高齢化で労働力が不足するから、男女とも働け。国が支援するから、とにかく子供を作って、男女とも働きながら育てろ。」っていう政策の哲学が好きになれない。女性を「子供を産む機械」に加えて「人手を補う機械」としても扱うようになっただけの印象が拭い切れず、とどのつまり男にも女にも誰に対しても驕傲を孕んでいるではないか。
 
 ――高校時代に成績トップだった千春さんが瞼に浮かぶ。あの才媛なら一家の大黒柱が務まるだろうし、私の専業主夫願望も叶えてくれるかもしれない。けど、まあ、彼女が斯様に腑抜けな男と家庭を築く筈も無いか、と我に返る。――すると、千春さんと一緒に聴いた日本史の授業、あの味付けの濃い先生の執る教鞭が、不意に彼女と入れ替わって瞼に浮かび始める。
 「税負担が大きくなると、農民は何をしたと思いますか?これが魂消ますよォ。何と!男を女だと申告する『偽籍』を行ったのでありまする!正倉院に伝わる戸籍・計帳によりますれば、男100人に対して女125人!…いやいや、ここはもう少し騒めいてもいいはずですぞ。そら、この高校が偶然にも1クラスあたり男子20人・女子25人という構成で、ピッタリ女が男の125%という状況にあるから、皆さん誰も驚かないのであって…。そら、まあ現在の我が国の総人口でも女性の比率が男性を上回っていますけど、これとて流石に微々たるもんですぞ。男の100に対して105%にも届きませぬ。男女比は、先進国と途上国、或いは地域による傾向こそ覗けまするが、それも僅差。だいたい人数は世界どこでも半々であって、100対125は異常値なのです、ハイ。
 尚且つ、神亀・天平の年間では正丁――律令制で、21歳から60歳までの健康な成年男子ですな――則ち当時の主たる労働力の1~2割が浮浪・逃亡したというから、前代未聞の社会です。土断の法、1年間の免税、逃亡地の浮浪帳への登録、どんな政策も効果ナシ。それどころか、無許可で出家する私度僧まで増えて、とうとう国家財政に影響が及びます。どうして雲隠れしちゃったのか分かります?貴族や要職でも無い限り、税だけでなく兵役にも労役にも駆り出され、男に生まれると、やたら損だったからです。ついには、有力農民と没落農民の分化が起き、兵士の弱体化や調庸の未進に至ります。
 私は言わずもがな男女同権に賛成の立場ではありまするが、公武はさておき、圧倒的多数の庶民なら、女性のほうが概ね幸せな人生を送れた時代が何だかんだと江戸期まで続いていた。これぞ日本の特徴であって、文明開化以降の西洋化が事態を複雑化したとは申しませぬが、メノコに権利を付与するのみならず、オノコを性の足枷から解放することも男女差別撤廃の重要なポイントなのです、ハイ。」――それでも、口分田不足への対策として、政府が蝦夷地における良田百万町歩開墾計画を打ち出せばならなかったほど人口は増加していたというから、その点では、8世紀の国家の在り方のほうが、少子高齢化の壁を破れない21世紀のそれよりもまだ幾らかマシだったと推考せざるを得ないだろう。
 常に新鮮だった先生の熱弁を回顧しつつ、四十代後半となった私は、高校生だった十代後半よりも幼稚で下らない妄想を抱く。――そうか!「偽籍」という手があったのか!「私は女です」と偽れば、私だって結婚できたかもしれないし、戸籍さえ届け出れば、国税から配偶者控除を受けられたかもしれないし、会社から長期休職や短時間勤務を許されたかもしれない。――無論、愚か極まりない。但し、時の政策に男女とも翻弄される姿は1300年近く前の昔から変わらないではないか。
 いずれにせよ、つくづく私たる者を諸々の角度から捉えてみるに連れ、疲労宴、否、披露宴とは、自分が“敗者”の部類に属することを痛感するための儀式なのだと再認識する。三人の酔っ払いがバーを発つと、すでに宵越しの祇園は冬の空気。だが、気象条件が云々という以上に、中年独身男にとっては容赦なく厳しい寒風が刺す月夜と相成った。
 
 ・・・春恵さんからお礼のメッセージが届く。「おはようさん。昨日はお疲れさん。酒とニンニク臭いのでメールで勘弁。最後のバーの途中から、カッコつけてWISKY。あれが敗因やわ。」これに透かさず「こちらこそありがとう。WHISKYな。『H』を忘れずに。」と返信すれば、「Hか。すっかりご無沙汰や。」と彼女。齢を重ね、古い組織に長く浸ると、男女は「平等」を超越し、共に昭和のオッサンとして「同化」する。――「そういえば、コンタクトが合わんかったせいか、急に眼が痛くなって、パソコンの文字もよう見えん。玲子から『お昼にカレー屋どうですか?』って誘われてんけど、タイトルの『らんち』が『うんち』に見えたわ。カタカナで書いてほしかった。」「その眼だと『ランチ』も『ウンチ』に見えちゃうんじゃない?」「ウヘェ。今からカレーを食す人への発言とは思えませぬ。」「自分で振ったネタだろ。ああ、胃薬あげようか?」「おおきに。」――そんな送受信を朝礼までの5分ばかり楽しみ、何とか目を覚ましてから仕事に入った。もはや“恒例行事”とは申せ、二日酔いというのは人間の脳内を侵略し、少なくとも半日の業務を杜漏にする。或る意味これはサイバーテロより怖い。しかし、もっと怖いのは、心身元気でも働かないという“無目的ストライキ星人”の存在だ。
 「まったく、『猫の手も借りたい』って謂うけど、『もうアンタの手はネコ以下やから、そこに立って見てなさい』って怒鳴ったら、ホンマに私の脇に突っ立ってるもんやから、今度は『隣の小部屋の椅子に座って、作業マニュアルでも読んでなさい』って怒鳴ったら、ホンマに招き猫みたいにチョコンと座っとったわ。」――ようやく昼休みになって、カレーランチから戻ってきた春恵さんの体調が、出来の悪い後輩の男を怒鳴るほど快復していることに安堵する。私が「そりゃ、招き猫に失礼だろ。彼はしっかり客を呼び込む担当任務に専念しているよ。あれ?『彼』で正しいのか?招き猫ってオスだっけ?」と素朴な疑問を投げかけると、返球されたのは存外スピンの効いたボールであった。
 「客を招くのは左手を挙げているメスのほうよ。オスは右手を挙げて金を招くの。まったくネコかて男女でちゃんと役割分担してるってのに、人間だけがジェンダーフリーてェ、アホらしゅうない?本来、お互いに相手の背負えない荷物を背負ってね、支え合って生きなければならない者同士がよ、同じ荷物を背負おうと奪い合ってたら意味ないやん。同じ仕事、同じ給料、同じ育休、別に自由はええけどな、度を過ぎると却って不自由なもんとちゃう?自由って、強制されるもんとちゃうやんか。自由の仮面を被って、『男も女も仲良う働きましょう!仲良う子供を産んで育てましょう!』って豪語して、それって知らん間に“目指すスタンダードから外れちゃう人”を排除してへん?『仕事と家庭を両立するなんて器用な生き方が私にはどうしても無理なので、結婚しても子供は産みません、妊娠したら会社を辞めます』って選択がしづらくなってるやんか。それに、あなたみたいな独身はハナから論外の非国民扱い。多様性を認め合う社会ゆうんは何処へ行ったんやら。フタ開けてみたら、誰もあんまり幸せそうに見えへん。」――やはり彼女はまだ酔っている。が、やはり彼女の問題提起と批評は辛辣だが真実でもある。『差別を無くそう!』と呼び掛ける程、無意識にも新たな差別が創造されるという皮肉。結婚・出産・育児、いずれも他者から命令される筋合は無いという道理。この見事な指摘に、宛ら風邪をうつされたかの如く、私まで紅潮していることを自覚する。
 
 「猫の手以下」と揶揄された後輩社員君や、「国が理想とする人生を実現できない敗者」との裁きを受けた私――このようなカスが何人か居らずとて、企業というのは当然ながら、今日もしっかり「カスにも給料を配分できるだけの利益」を生み出している。脂身好きのDカップ(購買部)が買った原材料を、モデルにも劣らぬCカップ(開発部)の設計に沿って、副部長が点検に立ち会った工場で加工する。Bカップ(人事部)が採用したGカップ(営業部)のアイドルがそれを売る。部長は商品でなく自分を売り込むため、ゴルフの成果を役員へ報告しようとし、それを暴れ馬のEカップ(秘書室)が取り次ぐ。――大小・色・形、その好みこそ十人十色なれども、オッパイが嫌いという男は存しない。なぜならオノコの全員がメノコから産まれてくるのだから。
 男子20人・女子25人。7クラス全部がその環境だった。かつて女子校だった経緯があるわけでも無く、人数枠を設けているわけでも無く、あくまで入試の結果に過ぎない。淫欲も精力も絶倫だった時分、これほど稀な環境に三年も身を置いていたにも拘らず、私は恋愛弱者を貫いてしまった。強い奴が勝つのではない。勝った奴が強いのだ。後悔は無いけれど、些か感傷的になる。部活の帰り、千春さんと歩いた駅までの道――ちょうど昨日の祇園の夜空と瓜二つの満月が照らしていたけれど、私はオオカミに成れなかった。ちょうど季節も今ぐらいで、晩秋と初冬が交わる頃合いだったけれど、私は彼女と交わる勇気に欠けていた。ちょうど日付までもが昨夜と同じだったかもしれないけれど、月は満ちていて、私は欠けていた。来年の今月今夜も、私はこの満月を見上げては、同じ物思いに耽るのだろうか。いや、待て待て、文明開化以降の私達が使っている太陽暦のカレンダーでは、理論上1年後の同じ日が同じ形の月になる筈が無い。こりゃ、何もかも、あのスパルタ高校から学び直しだわ・・・つづく

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