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教科書を読む「蜘蛛の糸」①

教科書読む、粛々と続けてまいります。

今回は「蜘蛛の糸」です。
皆さまも学生の時なぜか暗記していた文章。
今でも諳んじることのできる作品はありませんか?

私は堀辰雄の「風立ちぬ」、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」
そしてこの「蜘蛛の糸」です。

あの時何の感情も入れずにつらつらと口にした文章を40年近い時を経てどう読むのか。自分の解析が自分で楽しみです…笑

でははじめましょう・・

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蜘蛛の糸

「くものいと」という題名からです。
ラジオでごんぎつねの解析をさせていただいた時も説明しましたが、タイトルは殊更に大事です。それが儚く消えゆくことを予感させるもの糸なのか、慈悲の糸なのか、お釈迦様が垂らした絶対的なものなのか。そして自分が想像する糸はどのような形状で、どのくらいの太さで、どちらからどちらにたゆたっているのか。これを「くものいと」という5文字で現すのです。例えば冷たくもあり美しい糸。儚く光に反射し先に行くにつれて消えて無くなる非常に細いものだと、半拍開けて「く」で山を作り「と」までストンと綺麗に落としていく。声を「と」もはっきりと発音はせずにと母音のオが鼻に抜けます。逆に糸に意味があり慈悲深いもので糸自体絡み合って粘着しているものであれば一音一音、母音をくねらせながらねっとりと読めばいい。最後の「と」もしっかりと置いてあげます。この5文字でこの後の物語の全てをイメージさせていきます。そしてこの5文字で、自分の人生の見方、人生に抱く観念までもがわかってしまうのです。物語にはいろいろな解釈があります。研究がなされて答えが出ているのものあるでしょう。私は、この「蜘蛛の糸」という話を、この世に起こることは全てお釈迦様の気まぐれであり、自分の人生の巡礼の中では非常に大きな選択も、造物主のなかに置いてはたわいもないものなのだと教えてくれていると捉えていて儚く美しい糸の方の解釈を読み選びました。ただ、いや自分は運命の糸は変えられる、お釈迦様の慈悲には意味があり糸自体主体であるということであればこの5文字に力を持たせた後出の読み方をしても良いと思います。

ある日の事でございます。

ある日のことでございます。これも私の解釈から行けば、まあそんなに大したことでもない話がなんだけどという唐突なある日です。いつの日か?→はい、ある日のことでございます。とうまく呼応させたいのでいつの日か分の拍をあけて「あ」のまえに小さなッをいれて発声します。ある日のあるにこれからの全てのストーリーが含まれているので、「あ↑る」少し高めに出て、強調しておきましょう。「ある」を立てるために「ございます。」はなるべく早く下ろす。そしてお釈迦様はの前に十分な間をとります。ここで聞き手のある日を想像させる待ち時間を作ります。

御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。

さあ今回は早めに出てきました。お釈迦様。どういう対象として捉えるかでお釈迦様の発声も変わっていきますが、蓮池の淵、一人、ぶらぶら、このワードから、思うままに自由に楽しんでらっしゃる姿が浮かびます。口角を上げて文章自体に楽しさを入れてください。一人で、ぶらぶら、という4文字のリズムも揃えるといいです。お釈迦様ですらこの後のことは分からない。何かが始まる一文です。ここからお釈迦様がどういう世界に住んでいるのかの情景が入っていきますが、まだ何も予測不能なので無責任に発してください。

そう・・まだ何も始まってないのですが今回はここのところでまた次回。またまた一行で終わってしまいましたが、なんとかお正月までには解説し終わりたいです。

2020、10、25 TBSアナウンサー堀井美香