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2016年熊本地震「奇跡の避難所」②~ブルーシートの下で

4月26日朝。タダアキは、まだ唐揚げを揚げていた。トシは、準備の整った食材や調理器具を車へ積み込んでいく。仲間から託された支援物資もあったが、車には載せなかった。

「もう物流が動いている。店も営業している。必要なものがあれば、熊本に入ってから、熊本の店で買って持っていこう。その方が熊本のためになるはずだ」

トシは、そう判断した。ただ、唯一、トシが兄貴と慕うコウタロウさんから託されたおもちゃだけは、積み込んだ。コウタロウさんは、これまで数多くのマルシェに出店し、おもちゃを販売してきた。無邪気にシャボン玉で遊ぶ子どもたちの姿を、トシは何度も見てきた。

「きっと、子どもたちが喜んでくれるはず」

兄貴の思いを被災地に繋げたかった。その思いは、絶対に伝わると信じていた。

さまざまな思いを乗せて、トシは車を熊本へ走らせる。人吉インターから高速に乗る。八代インターから先は、まだ通行できない。パーキングでトイレに行き、缶コーヒーを飲む。八代インターを降りると、すぐに渋滞の列にはまった。止まっては少し進む。進んでは止まる、の繰り返し。ふと、トシが、道路脇の家を指差した。

「あれが、イグサ御殿です」。八代は、畳の原料イグサの全国有数の産地だ。土壁で作られた瓦葺きの堂々とした日本家屋は、ある意味で成功者の証でもある。僕も何度も車で走った道だけど、渋滞のおかげで、道脇に並ぶ伝統家屋を再発見できた。しかも、傍らには、土を扱うプロ、左官業のトシという最高のガイドが一緒だ。竹を編んだ基礎板に土を塗って壁にしていくこと、今の現代瓦と違って年数が経つにつれ瓦の焼き色が1枚ずつ変化して味わいが出ること…。「渋滞が全く気にならない。最高のツアーだ」。タダアキが喜ぶ。

20分ほど走ったころか…。屋根をブルーシートが覆う光景がぽつり、ぽつりと目に飛び込んでくるようになる。テレビや新聞で繰り返し報道される風景が、そこにあった。宇城市に入るころ、ブルーシートの数が飛躍的に増える。屋根が傾いた家も出てきた。

「ブルーシートが掛かってる家…土壁の家ばっかりです」

さっきまで土壁を嬉しそうに説明していたトシが、ぽつりとつぶやいた。「あれも土壁、これも土壁…」。同じ瓦葺きの家でも、ブルーシートの掛かった家には、1つの共通点があった。それが、土壁の伝統家屋。瓦の色が一様の「現代的日本家屋」やアパート、そして、瓦を使っていない今風の家の外観は、ほぼ無傷に見える。

車内にどんよりとした空気が漂う。そういえば、今回の地震では、熊本城をはじめ、神社など、多くの伝統建築が大きな被害を受けた。土壁の伝統家屋が豊かに残る熊本だったから、これほどの家屋被害になったとすれば、神様は罪作りだ。

伝統家屋は、家を倒壊させないために、屋根の上の瓦を落とす構造で、家にかかる力を逃すという。瓦が落ちたことは、まさに、その構造通りに働いた証拠だ。でも、現代の瓦はほとんど落ちていない。ましてや、ハウスメーカーが作った家は、外見上、何の傷も見えない。

トシは、全国の左官職人を訪ね、さまざまな伝統技術の継承に励んでいる。古き、よき、日本の建築技術を後世に残そうとしている。そのトシにとって、目の前に広がる光景は、あまりにもショックだった。「家の持ち主が、再び、土壁の家の再建を望むのか、もしくは、現代的な家を選ぶのか…金もかかること。無理強いはできません」

ブルーシートが広がる光景は、宇城市を抜け、宇土市に入って、さらに、その数を増した。そして、熊本市街地に入ると、一気に数が減った。全身コンクリートに固められた建物が、威風堂々と立っていた。

東日本大震災で、万里の長城とも言われた防波堤は、津波によって、粉々に砕かれた。その直後、出会った大学教授の言葉を思い出した。「コンクリート神話が崩れた。科学に万全はないことを思い知らされた」。コンクリートは絶対に壊れないと信じて教壇に立ってきた大学の教授が、初めて、自分が生徒に教えてきたことを悔いた。

そのコンクリートが、今度は、勝ち誇ったように立っている。

阪神大震災は、火に包まれた。
東日本大震災は、水に飲み込まれた。
熊本地震は、揺れそのものが、まちを割った。

伝統建築が減れば、職人も減っていく。熊本地震は、土壁文化に真っ向から喧嘩を売った。職人たちや行政が、どう向き合っていくのか。

そんなことも問われているんだ。

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