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【三田三郎連載】#015:酒で友人を失うことについて

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第十五回です。
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酒で友人を失うことについて

 私が日常的に泥酔していると知った人からは時折、酒によって友人を失うことはないのかと心配そうに尋ねられる。結論から言うと、ないことはない。私のリアルな醜態を目の当たりにして、幻滅・失望・落胆のあまり私と距離を置こうとする人がいるのは当然であろう。実際、酔った私の粗相が原因で友人と疎遠になってしまった経験は何度かある。そうした過ちがあった直後は、いつも大変な自己嫌悪に襲われ、しばらく酒を控えようかと思うのは事実である。

 だが、それでも私は、酒によって友人を失うことはあまり恐れないようにしている。というのも、そもそも私の友人関係の大半は酒によって得られたものであって、それらが酒によって失われるのは、全くもって妥当なことだからである。酒で得た友人を酒で失ったならば、悲しんだり怒ったりするのではなくて、この世の摂理が正常に機能していることを喜ぶべきなのだ。この浮世においては、自分に全く落ち度がないにもかかわらず友人の裏切りに遭うこともあるわけで、それを思えば、酒で友人を失うというのは相対的に受け入れやすい悲劇だとも言えるだろう。

 また、酒で得た友人を酒で失うということ自体、実際それほど頻繁に起こるわけではない。酒好きの仲間で集まって飲む場合、誰かが泥酔して失態を演じたとしても、翌日になれば誰もそれを覚えていないことが多いからである。たとえその失態があったという事実はかろうじて覚えていたとしても、記憶が不鮮明なものだから、自信を持って怒るのはなかなか難しい。結局その失態についてはうやむやのままお咎めなしとなり、何事もなかったかのようにまた同じメンバーで集まって飲むのである。

 さらに言えば、そもそも酒飲みは他の酒飲みの粗相に対して寛容である。酒飲みであれば誰しも、酔って粗相をした経験が多少はあるので、それを棚に上げて他人の粗相を非難するのは気が引けるものだ。そして、一度でも泥酔した翌日に自らの粗相を知って自己嫌悪に陥るという経験をしたことのある者ならば、その苦しみは痛いほど分かるはずだ。酒の席での粗相というものは、された方はもちろん辛いが、した方もまた辛いのである。そのため酒飲みは、他人が酔って粗相をしようとも、今回くらいは目を瞑ろうという心持ちになりがちである。かくして、酒飲みは互いに相手の粗相を許し合うようになるのだ。

 最後にもう一つ駄目押しで言うと、酒によって得た友人関係は、酒を飲むことによってしか維持できない。共に酒を飲むことによって育まれ、共に酒を飲むことを目的とした友情は、こちらが飲み過ぎて粗相をしたからといって必ずしも消滅するわけではないが、こちらが飲まなくなれば間違いなく瞬時に消滅するのである。酒を飲み過ぎることによって友人を失う可能性よりも、酒を飲まないことによって友人を失う可能性の方が遥かに高い以上、前者のリスクについては甘んじて受け入れ、思い切り飲酒する道を選ぶのが合理的な判断である。

 私はコロナ禍でそのことを痛感させられた。店で誰かと酒を飲むことができなくなったため、私はほぼ全ての友人関係を凍結されてしまったのである。日本中みながそうだった、と反論されるかもしれない。だが、一般的な友人関係と飲酒に基づく友人関係は根本的に性質が異なる。一般的な友人関係であれば、電話やメール等で交流を続けることができたかもしれないが、飲酒に基づく友人関係はそうもいかない。考えてみてほしい。普段はいつも酔っ払って馬鹿話をしている者同士が、急に素面で電話をすることになったとして、一体どんなテンションで何を話せと言うのか。リモート飲み会という代物も一時期は流行したが、少なくとも私は「はたしてこれは他人と飲んでいると言えるのか、パソコンの前に座って一人で飲んでいるだけではないのか」という疑念が頭から消えず、全く楽しむことができなかった。そうして私は、新型コロナウイルスの流行が拡大する度に、一時的に友人を失うこととなった。酒を飲むことによって得た友情は、酒を飲まなくなればたちまち失われるのである。

 と、ここまで大見得を切ったものの、やはり酒で友人を失うというのは悲しいものである。特に、一緒に飲んだ翌日にいつも「昨日は楽しかったです。また飲みましょう」といったポジティブな連絡をくれていた人が、フェードアウトするように少しずつ私と距離を置き始めていることに感づいてしまったときの悲しみは筆舌に尽くし難い。では、明確に絶縁を宣告された方が楽かと言えば、もちろんそれはそれで悲しい。この悲しみから逃れるためには、飲酒以外の方法で友人を作るしかないのだろうか。まずは手芸教室にでも通おうかと思い始めている。

酒で得た仲間を酒で失くすとはなんと律儀なこの世の因果   三田三郎

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124


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