[ネタバレ有り:キングダム] 肥下の戦いラストの考察

以下、キングダムのネタバレを含むため閲覧注意ください

肥下の戦いがついに完結しました。
ラスト5話くらいは、戦闘の演出の迫力はさることながら、
キングダムという漫画のメッセージを、この15年のどの話よりも色濃く感じたので、こちらに記録します。

桓騎は何者だったのか

野党であり、残虐非道。基本的な戦略・戦術を学びもせず、我流で大将軍に上り詰めた桓騎。
作中ではこれまで、野党の頭・将軍としての桓騎しか描かれていませんでしたが、肥下の戦いでは人としての桓騎が描かれました。
更に李牧の「思想家の類なら、それでよいかもしれぬが、貴方はそうではない―。」というセリフがあり、初めてキングダムにおける桓騎の立ち位置が明らかになりました。

桓騎の思想とは

桓騎の行動の源泉は、国に見放された人々(=虐げられた者達)は上位層・中間層と何も変わらない、掛け替えの無い人々であり、平等な存在であるべきという思想であるといえます。
しかし、中華の戦国時代は最上位層の理想・欲望が他のすべての人を犠牲にしているのが現実であり、桓騎はその思想とのGAPに怒っているといえます。

なぜキングダムに思想家を登場させたか

では、キングダムという漫画において、思想家である桓騎はどのような役割にあるのでしょうか。
これについても、桓騎が答えを述べています。ラストに桓騎は嬴政・李牧に対し、以下のように評価しています。
「お前らは絶対にどこにもたどり着かねぇ。永久に_。」
李牧は、誰よりも優秀であり、その上いい人、という描かれ方がされていますが、実際に行っていることは外的との戦争であり、つまり国を守ることを最終目標としています。
つまり、桓騎が大切にしようとしている「国に見放された人々」は初めから李牧の守る対象に入っていないといえます。
嬴政も「(国同士の)争いのない世をつくる」ことを最終目標としており、李牧と同様です。
つまり、桓騎の視点からすると、2人は人間を差別し、一部の人間の幸せを最終目標にしているため、「どこにもたどり着けねぇ」のです。
これは、キングダムという漫画の持つ、戦国の世を舞台に「理想と才能ある者たちが競争して、勝ち上がる」というコンセプトに対するアンチテーゼのように感じます。

現代社会に対する作者の想いが垣間見える

キングダムにこれだけはっきりとオリジナルの思想が描かれるのは初めてではないでしょうか。
嬴政の「法治国家」なども立派な思想ですが、史実でありオリジナルではありません。
一方、桓騎が社会主義的な思想を持っていたという史実はありませんので、作者がオリジナルでキングダムに登場させたことになります。
作者は何を伝えたかったのでしょうか。

キングダムはこれまで、少年・青年漫画の王道をきっちりと守り、友情・努力・挫折・復帰・自己超越・異常・競争・勝利をテーマにしてきました。
これは少年・青年達が熱狂「かっこいい」とするテーマですが、同時に資本主義と親和性の高いテーマになります。
かつて、ベンチャー企業の社長が「ワンピースのリーダー像」を称賛したように、キングダムもまた「リーダー像」として頻繁に引き合いに出されていました。それは、キングダムに登場する将軍が資本主義の世界で勝ち上がるために必要な要素をバラエティよく取り揃えているからと言えます。

しかし、近年では資本主義システムの犠牲となる人に対する注目が集まり、特に先進諸国でのビジネス競争に負け続けている日本では、誰しもが「明日は自分が犠牲者になるのでは」と心配したことがあるはずです。
作者も同様であり、自分の創造した「キングダム」が世間的に高い評価を受けることを嬉しく思うと同時に、流行る背景にある資本主義に対する盲目的な称賛風潮に対する違和感を感じているのかもしれません。

主人公・信がひたすら信頼する王・嬴政、また対立として描かれる李牧。そのどちらも魅力的に感じる読者は大変多いと思います。
一方、その両者を別の視点から否定する桓騎を、誰よりもカッコよく、そして共感できるキャラクターとして描くことで、現代社会に対する別の視点を読者に伝えたかったのではないでしょうか。

(おまけ)今後の展開の予想

今回、キングダムという漫画は大きな転機を迎えました。
これまでは戦国ロマンモノとして書かれて来ましたが、今回は全く異なる観点での問い(=戦国ロマン、資本主義は正しいか)が桓騎を通して描かれました。
したがって、残った将軍を通して、別の問いを描くのではないでしょうか。
残る六大将軍は「蒙武、楊端和、騰、王翦」です。
この中で最も人物の背景が描かれていないのは「王翦」になるので、彼を通してキングダムのコンセプトに対するアンチテーゼを描くのではないでしょうか。

では、王翦でどのような問いを描くのか。

ズバリ、「あるべき国家の形とは」になると思います。
王翦は自分の国を作ろうとしていることがこれまで示唆されていますが、王翦は史実では結果国を作ることはできていません。
なので、桓騎と同様に、「実現されなかった先進的な思想」を描きやすいのではないかと思います。

舞台はやはり、楚でしょうか。これまでのペースだと20年後とかになりそうですが、楽しみに今後もキングダムを読み続けようと思います。




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