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アニメ「チェンソーマン」を8話途中まで観た。

ずっと話題になっていたアニメ「チェンソーマン」を観ている。

最初は、「呪術廻戦」っぽいなとか、最近流行するアニメは暴力や流血が当たり前のように出てくることに「うーむ」と思いつつ、少しずつ回を重ねている。

ポジティブでもネガテイブでもなく、まず驚いたのは、エピソードごとにエンディングテーマ曲が違うこと。Aimer、女王蜂、ずっと真夜中でいいのに。、TK from 凛として時雨、Vaundyなど、1クール主題歌を張っても良いレベルのアーティストが、使い捨てられるように各話の最後を彩っている。

「使い捨て」とは、いくぶん語弊もあるだろう。

ただ、人間やら悪魔やら魔人やら何やらが、ざくざくと斬られ殺められていく様を見るにつれ、あながち「使い捨て」という言葉もズレてはいないと思う。

それにしても暴力シーンの生々しさや、劇伴の使い方の巧さなど、話題を集めるだけあって確かに面白い。日本ではずっと漫画やアニメが人気だけど、ここ数年のアニメーションの盛り上がりは、ちょっと常軌を逸したレベルに達しつつある。

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親が遺した借金返済のため、どうにか食い繋いでいくのがやっとの生活。そんな彼が裏切りに遭って殺されるも、一緒に生活していた悪魔・ポチタに命を譲られることに。曰く「契約」というやつだが、その日をきっかけにデンジは「チェンソーマン」として生活していくことになる。ひとたびチェンソーマンに変身するデンジは、見境なく悪魔を殺め続け、公安対魔特異4課の同僚からも半ば恐れられる存在になって──

というのが、ざっくりとした導入イントロダクションだ。

しかし、こんな奇怪な設定にも関わらず、主人公・デンジの心理描写は至って「普通」である。

貧しい生活をしていたデンジは、まずは「腹いっぱい食事にありつく」という生活を夢見る。その夢は、デンジを公安対魔特異4課に誘ったマキマによってあっさり叶えられる。(「逃げたら殺す」という条件付きではあるものの)

その後、デンジが夢見たのは「女性の胸を揉む」ことだ。貧しい生活を送っていた彼は、「腹いっぱい食事にありつく」ことを夢見つつ、と同時に、「俺みたいな生活だと、女性をデートに誘うこともできない」と、異性との交際を諦めていた。それが公安対魔特異4課に配属されたことで、何名かの女性に関心を持つようになる。そしてその夢も、とあるエピソードをきっかけに叶ってしまう。

「あっさり叶えられる」「叶ってしまう」と、まるでネガティブな書き方をしたが、実際にデンジも夢が叶った後で、「俺はこんなことを望んでいたのか」と葛藤する

当初、デンジは公安対魔特異4課の同僚の高い志を小馬鹿にしていた。「俺はそんなもんねえよ」と言っていたけれど、だんだん心境が変化していく。8話途中の段階でのデンジの夢は、「マキマとキスをする」こと。

その夢は叶えられるのか。そもそも、マキマも一筋縄ではいかない、末恐ろしさを感じるキャラクターである。

「チェンソーマン」というアニメに100%の肩入れはできないものの、フィクションの普遍に忠実な作りには共感できる。

デンジはどうなるのか。デンジ以外のキャラクターが抱える志、そして心の闇も気になりつつ。おそらくこれからも、物語の行方を追ってしまうだろう私である。

#チェンソーマン

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