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切手の中の馬 「国定公園切手:壱岐対馬国定公園 ~ 浅茅湾と対州馬と豆酘っ娘

1970年(昭和45年)2月25日発行の「壱岐対馬国定公園(浅茅湾(あそうわん)と対州馬(たいしゅうば)と豆酘っ娘(つつっこ)」切手。

壱岐対馬国定公園は、長崎県北西部の壱岐および対馬の海岸部を中心とした国定公園で、ツシマテン、ツシマヤマネコなど大陸性の固有種が多く棲息するほか、元寇の防塁跡や原の辻遺跡、金田城跡など歴史的な遺産も多いことで知られています。切手は、浅茅湾と対州島を背景に、豆酘地区の女性を描くものですが、豆酘には、年老いた母親を残して采女として朝廷に出仕することを拒み、自害した鶴王を祀った美女塚があります。

郵便学者・内藤陽介のブログ

この方の文章に、もう少し付け加えるとすると、
*性質が穏やかであった対州馬と一緒に野山に出たりするのは主に女性や子どもであり、世話も女性や子どもが担当することが主であった。

*女性が着ている衣装は、「はぎとうじん」という着物を改良した「野良着」である。

*対州馬は馬としては小柄であるが、非常に脚が強く、急峻な山々に囲まれた対馬の地で、なくてはならない存在であった。
特に南部内山地区特産の炭を背負って南端・豆酘地区へ通うことが多かったことからこの図案が考案されたと考えられる。
図のように荷を下ろした後の女性を載せることなど、対州馬にとっては何でもないことで、100kg~150㎏は、平気で背負って歩くことができた。

*図に見られるように、女性や子どもが扱えるほど穏やかで頭の良かった対州馬は、酔った主人を夜中に自分だけで自宅まで長い距離を歩いて帰ったなどの逸話が数多くある。
当然、人と歩くときは、ほとんど頭絡や銜といった馬具もそれほど必要なく、切手に見られるような「一本手綱」で扱われていた。

この切手ほど、対馬の風土を表し、対馬への旅情をそそるものは無いと思うのですが、この切手をデザインし、描いた方は誰なのか?検索してみてもまったくわかりません。

どなたかご存じの方がおられましたら、ぜひ教えていただきたく思います。


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