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『コンプレックス』と『期待』


皆さん
こんにちは。


前回の投稿から約4ヶ月経ちました。
けっこう期間空いてしまったな!
とちょっと自分でも驚いています。

その間、書きたいと思うテーマがなかった
というのが正直なところで
時間を割いてまで書こうとは思いませんでした。
体動かすこと、特にサッカーで,ボール蹴ることに時間割いてました。笑

小さい頃からやってきたこと
特にサッカーからは離れられないのだな、と
しみじみ感じます。

小さい頃、小学生の時は本当に好きではなかったサッカー
自分の中でコンプレックスの象徴でもあったサッカー
結局、大学まで続けましたが
その当時もコンプレックスの象徴であったことに変わりはないです。

サッカーにしか軸がない故に
サッカープレイヤーとして身近にいる人たちと比較して自分の立ち位置を決めている自分がいました。
それが今はサッカーから離れて、仕事に置き換わっています。

おかげで今はサッカーをプレーすることを
純粋に楽しめています。
サッカーというスポーツに
巡り会えてよかったと、人生の一部になってよかったと
心から思っています。

学生時代も思ってはいましたが
当時はそれが全てであったので、サッカーがないと自分のアイデンティティがなくなるので
そう思っていた部分は大きかったと
今振り返ると思います。

当時はサッカーが全て
今は仕事が全て
そう考えると、自分がその時その時で全力で取り組んでいるものに対して
コンプレックスを抱きやすい、周りと比較して自分の評価や価値を自分で推し量る傾向なのだと
思います。

今回、特にテーマを決めて書いていたわけではないのですが、
最近自分がサッカーぐらいしか休みの日やっていないな
と思ったので、それについて書いていると
自分からコンプレックスを抱きにいっているのだなと、気づきました。

ただ、気づいたとて
なかなか難しいな〜と
ざっくり思っています。

何十年とそのような思考で、無意識に動いてきたので
ついつい周りと比較して、その中で自分の価値を決めてしまう
自分で自分の価値を推し量る、というのはなかなか難しいな、と思っています。

でも、そんなコンプレックスがあるおかけで
ここまでサッカーを愛せることができましたし
上手くなることが出来ました。
大学で、しかも関東リーグに所属している大学の部活でサッカーが出来る人もそこまで多くないですし
自分より上手い人がいても、やらない人なんて大勢います。

今も、何で皮肉なことなんだろう、と
思う時もありますが
コンプレックスも捨てたものではないな、とも思います。
自分で自分を認められるようにもやってきたことではあるので(もちろん、周りとの評価、周りから認められたいという気持ちが大きいですが)

僕以外にも何かしらコンプレックスを抱いている人なんて山ほどいると思いますし
自分で自分の価値を信じることが出来ない
素直に認めることが出来ないという人も大勢いるのではないのかなと思います。

でも、社会人3年目になって、ようやく社会のことが少しずつ見え始めてきたな、と感じる中で思うことは
せめて自分くらいは、自分のことを讃え励ましてやらないとな。
ということです。

単純に、誰かが守ってくれるわけでもないですし
周りから褒められたり評価されることを期待しても
期待通りにならないのが大半で、期待した分だけショックを受けてしまうものなので

期待というのは、そういうものだと思ってます。
(期待したらワクワクして、それはそれでいいと思います。笑)

でも周りに期待するより、
自分で自分に期待した方がよっぽどいいなと
今は思います。

自分の価値は自分で決める
そんな自分を期待できる自分であり続ける
そんな人間になれるように
周りと比較で生まれてくるコンプレックスと
折り合いをつけていこうと思います。

コンプレックスを持つ、読んでくださった皆さん
ともに励まし合い挑み続けられるといいですね。笑



最後まで読んで頂きありがとうございました。また次のブログで!









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