ゼツボウの現実逃避

なんとなくだけど
漢字で「絶望」とかくより、
カタカナで「ゼツボウ」
こっちの方が絶望感って少なく感じると
思わないかい?

だからついこの間、
「ゼツボウ」に改名したんだ。
漢字からカタカナに変えたから、
役所に出す時は少し恥ずかしかったけれど
この先の自分の人生のこと考えたら、
思い切って改名したかったんだ。
役所の人間も、「あ、こっちの方がいいですね」みたいな顔してた。

けど俺はこの名前だからといって
親を恨んだことはない。
おれは人生で何度も絶望感を
味わってきた。なんなら絶望まみれの
人生といっても過言ではない。

しかしながら、
絶望を知っている人間だからこそ
人に優しくなれる。
これまで気がつかなかった新しい景色に出会うことができる。
這い上がる力を持っている

いいかね?
絶望を知っているものだけが
至れる境地ってもんがあるのさ。
それはたとえば頭の中で繰り広げられる
ことだけかもしれないし、自分にしか分からないことかもしれない。

でも、それでいいと思ってる。
俺は俺の幸福のために突き進む。
俺の目の前に広がる道だけを見て。

絶望から逃げることの方が
俺にとっては何倍も苦しい
だから見ないフリなんて
この先もたぶんできないだろう

ごまかさない、受け入れる。
これが俺のセオリーだ。

こんなにも「絶望」に対して強くいられるのもきっとこの名前だからだと思うから、親にはむしろ感謝してるよ。

でも本音を言うと…
少し疲れたんだよね。
もう少し、ラクに生きたい。
もう少し絶望しない人生を生きてみたい。
そんな願望が、ちらっと頭に浮かんだとき
俺は改名届を手にしていたんだ。

新しい俺の名は「ゼツボウ」
さて、
どんな人生がこれから
待っているのかな?

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