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マンチェスターとサッカーの歴史

前回の記事では、自分が現在暮らしているマンチェスターの特徴について調べてみた。

今回の記事では、その中でもサッカーの文化に焦点を当ててみようと思う。


2つのビッククラブ

イギリスはご存知の通りサッカー発祥の地だが、その中でもマンチェスターはサッカーが盛んな地域。なぜなら、世界的にも有名な二つのビッククラブが存在するからだ。

それがマンチェスター・ユナイテッドFCとマンチェスター・シティFC。

マンチェスター・ユナイテッドFC
・1878年に「ニュートン・ヒース」として創設され、1902年に現在の名称に変更
・イングランドで最も成功しているクラブの1つで、国内リーグ優勝20回、FAカップ優勝12回など多数のタイトルを獲得
・ホームスタジアムは「オールド・トラフォード」で、約7万5千人収容可能
・世界的に人気が高く、サポーター数は約6億5900万人とも言われている

マンチェスター・シティFC
・1880年に「セント・マークス」として創設され、1894年に現在の名称に変更
・2008年にアブダビ王族が経営権を取得して以降、大型補強を行い急成長
・近年ではプレミアリーグを6回、FAカップを2回制するなど国内タイトルを多数獲得
・ホームスタジアムは「エティハド・スタジアム」で、約5万5千人収容可能
・2023-24シーズンのUEFAクラブランキングでは6位につけている

両クラブはともにプレミアリーグを代表する強豪であり、「マンチェスター・ダービー」と呼ばれる両チームの対戦は世界的に注目を集めている。

近年はマンチェスター・シティの躍進が目覚ましいものの、歴史と実績ではマンチェスター・ユナイテッドが上回る。

ライバル関係にあるこの2クラブの人気は、マンチェスターのみならず世界中で非常に高い。

13年ほど前イギリスに渡航したことがあるのだが、その時はまだまだマンチェスター・ユナイテッドFCの天下。

マンチェスターと言えばユナイテッドが思い浮かぶ人も多く、アレックスファーガソンという名将の元、躍進を続けていた。

日本人選手として、過去トップクラスの実績を誇る香川選手もこのチームに所属し、ファーガソン監督の元でプレーしていた。

しかし同時に、このタイミングで徐々にシティが力をつけてきており、近年の実績ではマンチェスターシティが上回っている。

昨年も、チャンピオンズリーグと呼ばれるヨーロッパNo1クラブを決める大会含め、三つのタイトルを獲得したのだ。

チャンピオンズリーグのトロフィー🏆

このように、両チーム共にそれぞれ素晴らしい実績があり、世界中にファンがいる。僕自身も、過去シティの試合を三度、ユナイテッドの試合を一度、それぞれスタジアムで見たことがある。

オールドトラッフォードで観戦
エディハドスタジアムで観戦
ドイツでのチャンピオンズリーグ観戦
国立競技場にシティが来た時

現地で観戦する試合の熱気、サポーターのパワーは言葉では説明し難いものがあり、サッカー好きでもそうでなくても、一度は足を運んでみると面白いと思う。この国にとって、サッカーとは文化なのだなと思わせてくれる。

そして、そのエネルギーが自分にとってはとても心地良い。人間の原始的なパワーというか、野生味あふれるエネルギーというか。そうしたものをビシビシと感じて元気になってくる笑

観戦チケット入手方法

もし試合を現地観戦したい人がいれば、それぞれのクラブのメンバーシップに入るのがオススメ。

(参照例)Manchester City Memberships

メンバーシップに入らずチケットを買おうとすると、転売サイトなどで購入することになるため、通常より高額になる。

入手しにくいチケットであればそうせざるを得なかったりするが、通常であれば、メンバーシップに入って購入した方が圧倒的に安い。

電子チケットの例(雑な塗りつぶし。。)

また、詳しい人からの情報によると、シーズン前に先行チケット販売があるとのこと。

シーズン開始の2週間前頃にメンバーシップに入ると。人気の試合でもチケットを比較的取りやすいそうだ。

ということで、二つの人気クラブについて書いてきたのだが、そもそもなぜ、この地域にサッカーが根付いていったのかについても触れてみたい。

サッカーの歴史とマンチェスター

サッカーの歴史について語りたいこと色々はあるのだが、ボリュームが長くなってしまいそうなので、AIに任せることにする笑

イギリスでのフットボール(サッカー)誕生の歴史は以下のようにまとめられます。

1. 中世のフットボール祭り
サッカーの起源は、イギリスで中世に行われていたフットボール祭りにまでさかのぼるといわれています。村人達がひとつのボールを蹴りあい、決められた地点にボールを運ぶというルールでした。

2. パブリックスクールでの発展
19世紀に入ると、イギリスの上流階級の子どもが学ぶパブリックスクールで、授業の一環としてフットボールが行われるようになりました。各学校で独自のルールが生まれ、発展していきました。

3. ルールの統一
1863年にロンドンでルールを統一する協議が行われ、「手を使ってはいけない」ものがサッカーという形に定義されました。これが近代サッカーの始まりとされています。

4. FAの設立とFAカップの開始
1863年にイングランドサッカー協会(FA)が設立され、1872年にはFAカップが開始されました。これによりサッカーは組織化され、競技としての体裁を整えていきました。

5. リーグ戦の開始と大衆化
1888年にはフットボールリーグが結成され、リーグ戦が開始されました。1880年代以降、観客数が飛躍的に増加し、サッカーは大衆スポーツとして広く普及していきました。

以上のように、イギリスでのフットボールは、中世の民衆の遊びを起源とし、19世紀のパブリックスクールでの発展を経て、ルールの統一と組織化を果たしました。そして1880年代以降、大衆スポーツとして広く普及し、現在に至るという歴史をたどったのです。

AIにより生成

サッカーの歴史は、ざっくりいうとこのような経緯を辿っている。聞いた話によると、当初のサッカーはゴールからゴールまでの距離が異常に遠く、殴る蹴るなども普通にあったらしい。

野蛮だ笑

中世に行われたフットボール祭(PD)
1750年当時のフットボール(PD)
1846年当時のイングランドのフットボールの様子(PD)

1863年にロンドンでルールを統一する協議が行われ、「手を使ってはいけない」ものがサッカーという形に定義されたわけなのだが、実はこのタイミングで、とあるスポーツがサッカーから分離している。

皆さんはそのスポーツが何かわかりますか??

チッチッチッ

チッチッチッ

チッチッチッ

チッチッチッ

チーン!!

そう!正解です!その分かれたスポーツこそが、、、

ラグビー!!

ラグビーとサッカーは元々ルーツが同じスポーツ。しかし、以下のような経緯で別々のスポーツに分離したのだ。

1.ラグビー校の逸話
1823年、イングランドの名門私立学校「ラグビー校」の学生ウィリアム・ウェブ・エリスが、サッカーの試合中にボールを手で持って走り出したという逸話があります。これがラグビーのルーツとされています。(俗説という見方もあるそう)

2.ケンブリッジ大学でのルール制定
1848年、ケンブリッジ大学でサッカーのルールが制定されました。このルールでは、ボールを手で持って走ることが認められていました。

3.ルール統一の試み
1863年、ロンドンでサッカーのルールを統一する会議が開かれました。この会議では、ボールを手で持って走ることを認めるかどうかで意見が分かれました。

4.ラグビー派の分離
ボールを手で持って走ることを認めるべきだと主張するラグビー派は、会議を離脱しました。これによりサッカーとラグビーが分かれることになりました。

5.ラグビーのルール制定
1871年、ラグビー派はラグビーフットボール協会を設立し、独自のルールを制定しました。このルールでは、ボールを手で持って走ることが認められました。

このように、サッカーとラグビーの分離は、19世紀半ばのパブリックスクールやケンブリッジ大学でのルール制定の過程で生じた、ボールを手で持って走ることの是非をめぐる意見の対立が背景にあったのです。

AIにより生成

このような経緯となっている。

なお、1863年のルール統一会議でのラグビー派の離脱が、サッカーとラグビーの分離の決定的な出来事となり、それぞれの競技が独自のルールと組織を発展させていくことになった。

二つのスポーツのルーツが同じであると知っていた人は意外と少ないのではないだろうか。

それにしても、試合中にボール持って走り出したウィリアム・ウェブ・エリス、小さい子どもみたいでなかなかユニークだなぁと思ってしまう。

エリスさん(PD)

当時のフットボールは統一されたルールがなく、地域や学校によって少しづつルールが異なっていたそう。

その中でも、ラグビー校ではボールをキャッチするなど、一時的にボールを手で扱うことは許されていたものの、ボールを手で持って移動することは禁じられていたとのこと。

しかし、エリス少年はそれを破ったのだ笑

自分は小学生のサッカーコーチなどもしていたので、小さい子どもがボールを抱えて脱走するシーンは何度も見たことがあるのだが、それがラグビーのルーツというのはなんとも面白い。

無邪気

イノベーションは、ルールからの逸脱や子どものような遊び心から生まれるのかもしれない。

ちなみに、ラグビーワールドカップの優勝チームに贈られる優勝カップ。その名称は「ウェブ・エリス・カップ」というのだが、この名前に何か見覚えはないだろうか?

そう!

それこそが、ラグビー校で初めてボールを持って移動した少年「ウィリアム・ウェブ・エリス」。彼の名前がこの優勝カップの由来なのだ

Carrington & Co, London (trophy, based on the cup and cover by Paul de Lamerie)Roman.b (derivative work) - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン

さらにラグビーの名前も、先ほど出てきたイングランド中部の都市「ラグビー(Rugby)」にあるパブリックスクール「ラグビー校(Rugby School)」に由来する。

何事も起源を調べてみると面白いエピソードが色々とあるものだ。

その後、ラグビーとサッカーは、それぞれ異なる層の人たちの間でプレーされるようになる。

サッカーとラグビーは、19世紀のイギリスで発展する過程で、それぞれ異なる社会階級の人々に支持されてきました。

サッカー(アソシエーションフットボール)は、当初はパブリックスクール(私立学校)で行われていましたが、次第に労働者階級の間でも人気が高まっていきました。シンプルなルールとプレイのしやすさから、幅広い階層に普及していったのです。

一方、ラグビー(ラグビーフットボール)は、主にパブリックスクールの上流階級や中流階級の子弟たちの間でプレーされてきました。勇気や規律、チームワークを養う「紳士のスポーツ」と見なされてきた面があります。

19世紀後半には、北部イングランドの労働者階級やウェールズの炭鉱労働者の間でもラグビーが広まりましたが、全体としては中・上流階級のスポーツという性格が強く、今日に至るまでその傾向が続いています。

このように、サッカーは労働者階級を中心に、ラグビーは中・上流階級を中心に発展してきたという、階級的な棲み分けが見られるのが特徴と言えます。

AIにより生成

あまり階級がどうのこうのとは言いたくないのだが、歴史的に見るとこうした背景があるそうだ。

マンチェスターは産業革命の中心地でもあったので、労働者階級の娯楽として広まっていったと想像できる。

歴史を知ると、スポーツマンシップや規律を感じる気品あるラグビーと、若干荒っぽくて野蛮なサッカーの違いについて、解像度が上がる。

ちなみに、皆さんはどちらが好きですか?

どっち派ですか?

なんだこの画像。。

ちなみに僕は、紳士のような気品あるラグビーに憧れつつ、人間味あふれる原始的な欲望剥き出しなサッカーが好きです笑

サッカーが市民生活に与える影響

ということで、話がだいぶ逸れてしまったが、このようにしてサッカーは発展してきたわけだ。

1888年にはフットボールリーグが結成され、リーグ戦が開始されたのだが、1880年代には既にマンチェスターでもサッカークラブが誕生していた。

以降、二つのクラブを中心として、サッカーが文化としてこの街を支えている。色々見てまわったりする中で、以下のような街の特徴を感じた。

サッカーを通した交流
・サッカーが市民の日常会話や交流の中心的話題になっている。
・家族や友人同士でスタジアムに足を運ぶ光景が見られたり、サッカーを通じたコミュニティが形成されている。
・ダービーマッチ(ユナイテッド対シティ)の日の街の雰囲気や、ファンの熱狂ぶりが凄い。(スタジアムに向かう時点から)

駅や電車の時点で叫ぶサポーター
家族や友人と来ている人も多い
バスで新聞もらったり

さらに、サッカーを目的として来ている人も多い場所なので、基本的にコミュニケーションでサッカーが使える。

そのおかげで、今のところ現地の人だけでなく、どの国から来た人とも話題に困らず、話すことができている。

ありがとう!!!!

サッカーは言語だ!!!!

サッカーが街に与える経済効果
・サッカー関連のイベントや観光がもたらす経済効果が大きい
・ホテルやレストラン、土産物店などへの波及効果
・クラブのスポンサー企業や、サッカーを通じたビジネス機会の創出
・パブ文化とサッカーが融合し、どのパブでもサッカー観戦ができ、ファンが入り乱れて盛り上がっている

例えばシティは、日本のアサヒビールの「アサヒスーパードライ」とオフィシャルビールパートナー契約を結んでいたりする。

それもあって、昨年は日本でマンチェスター・シティのツアーが行われたりもしていたのだ。

マンチェスターの多文化社会とサッカー
・多国籍な選手たちが集うマンチェスターのサッカークラブと、多文化共生の象徴としての側面
・世界各国からサッカーを目的に訪れる観光客と、街の国際色豊かな雰囲気
・サッカーを通じた異文化交流や、コミュニティの結束力の向上

上に書いたように、パブでは様々な人たちが入り乱れてサッカーを観戦していた。

サッカーを通した異文化交流であり、コミュニティの結束が高まっていく。そんな力を確かに感じた。

社会制度と合わせて、この地域を支える大きな土台となっているのは間違いない。

週末にスタジアムに向かう人々

このように、マンチェスターでは、サッカーが単なるスポーツを超えて、市民の生活や文化、経済と密接に結びついている。

歴史を知った上で、現在のマンチェスターの街の様子を捉えると、サッカーを軸とした多角的な魅力が一層浮き彫りになってくる。

到着してまだ一週間だけど、自分はこの街が好きかもしれない笑

おまけ

サッカー関連の観光スポットをいくつかご紹介!

オールド・トラフォード(ユナイテッドの本拠地)

エティハド・スタジアム(シティの本拠地)

※それぞれ見学ツアーなどあり

国立フットボール博物館(歴史的展示や体験型アトラクションがある)

・サッカー選手ゆかりの場所(ジョージ・ベストの壁画、ボビー・チャールトンの銅像など)

・街中のスポーツパブ(基本ほとんどのところでサッカー中継を見られる)

当初はスタジアム観戦記を書く予定だったのだが、脱線しまくって結局書けなかった。。

現地の人々の声とか様子も載せたいので、サッカーについてはまた別の記事でも書きます。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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