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2年かけてバイオリンの教科書を一冊やり遂げた話|ショートエッセイ

唐突だが、私は音楽が苦手だった。
むしろ、嫌いだったと言ってもいい。

小さい頃は親戚の集まりでカラオケで歌ったりもしていた。ホームビデオには幼稚園児の私が、自分で作詞作曲した歌を歌っている姿も残っている。

いつの頃からだろうか。
私は人前で歌わなくなった。歌があまり得意でないと自覚したせいだった。
中学校の頃は合唱コンでも、口パクでやり過ごしていた。高校生の時には友人からのカラオケの誘いをすべて断った。大学生ではオールカラオケについて行っても、部屋の隅で寝るか、紅白歌合戦の司会のマネをするだけで、マイクは握らなかった。

でも、漠然とした「歌がうまい人」への憧れはあった。
高校の同級生が文化祭でバンドを組んでいれば、「楽器できる人」を羨ましいなーと思ったりもした。

大学生の頃、付き合いで買わされた大学のフィルハーモニーの定期演奏会のチケットを持って、演奏会に出かけた。音楽を聴くのは、嫌いではない。演奏が始まる前に、隣の席の友人に向かって、ぽつりと呟いた。

「バイオリンとかが弾ける人生を歩みたかったなぁ」

「別に今からでもできるでしょ」
友人は事もなげに言った。「もちろんプロになるのは無理かもしれないけど、習うだけなら今からでもできるんじゃない?」

私の脳内に新しいシナプスが弾けた気がした。
それもそうか。考えてみれば、その通りだ。じゃあ、それは老後の楽しみに取っておこう、と。その願いは大事に箱に仕舞って取っておいた。

それからしばらく経って、社会人になった。
「老後の楽しみに、バイオリンを習おう」という願望は、頭の隅でホコリをかぶっていた。
そんな折、とある会で指揮者兼バイオリン奏者の方に出会った。生演奏を聴き、バイオリンってやっぱりかっこいいな、と思った。

意を決してその人のところに行き、「バイオリン、憧れてます」と話した。
「実はバイオリン習うのを老後の楽しみしているんです」と。

すると、返ってきた答えは「今やれば?」だった。

「自分もレッスンしてるから、一回見学においでよ」と言ってくださり、そのまま後日見学に行った。レッスンではゴリゴリに上手な少年が、ゴリゴリ弾いていて、内心「うわぁ、私には無理ぃ~」と逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
少年のバイオリンを借りて、少しだけ弾かせてもらった。バイオリンって音出すのも難しいんでしょ? ひょえ~と思いながら触ってみると、意外にも音は出た。きれいな音ではなかったかもしれないが、初めて触ったバイオリンの、初めての音。

ここで引き返したら、一生音楽と相容れない人生になると思った私は、勇気を出して「音楽」の世界への橋に向かって小さく一歩踏み出した。
自分でも信じがたいことに、バイオリンを習い始めたのだ。

当然のことながら、楽譜も読めない私はつまずいてばかりだった。
それでも少しずつ、習った。楽譜にいっぱい書き込みをしながら、練習した。

バイオリンケースを担いで街を歩くと、街ゆく人からは私は「バイオリンができる人」に見える。はずである。
正直に言って、このことが一番嬉しかった。役名「バイオリンを担いで歩く人」になれる。なんと素敵な役どころではないか。

かくして私はバイオリンを習い始めて、今でちょうど2年になる。ようやく最近、初級の教科書を最初から最後までやり終えた。丸2年かけて、1冊。

音楽との距離感も、少しずつではあるがお互いに歩み寄りはじめている。以前は絶交状態だったので、かなりの進歩だと言える。
今も油断すると、音楽の苦手意識に押しつぶされてしまいそうになる。そんな時は、役名「バイオリンを担いで歩く人」で、街を歩く。私はバイオリンを弾くのですよ、という顔をして、歩く。

願わくは、人前でさらりと一曲弾けるようになりたい。
「バイオリン弾けるんだ! 何か弾いてみてよ」という無邪気なリクエストに応えて、みんなが知っている曲を一曲。
それが、今の私の大きな目標だ。

実は今も、教科書でやった曲なら弾けるものもある。
でも、私の精神がまだ「バイオリンを担いで歩く人」のままなのだ。
これまでの人生で音楽に背を向けてきたツケが回ってきている。

それでも私は、それを克服したいと思っている。「バイオリンを担いで歩く人」から「バイオリンを弾く人」になりたいと思っている。そしてそんな自分を心の底から肯定したい。胸を張って「バイオリンを弾く人」であると言いたい。

街でバイオリンケースを下げて歩いている人を見たら、応援してほしい。
それは、バイオリンを手に、少しずつ少しずつ音楽に親しんでいきながら、自分の中に起こる変化も楽しんでいる最中の私なので。

#今年学びたいこと

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