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飛び財布|ショートショート

俺は「ケチ」で有名だった。
本当は「倹約家」と呼んでほしかったが、贅沢は言うまい。

そんな俺も、昔は浪費家だった。
給料が入ればその日は贅沢三昧。給料が入らなくても、頑張ったご褒美とか、フラれたから自分を励ますためとか、何かと理由をつけてお金を使っていた。
おかげで家計は火の車だったが、今が楽しければいいと割り切っていた。

浪費家から倹約家に転身したのは、数年前にある財布を買ったからだ。
友人とお祭りの屋台の間を練り歩いていると、怪しげな婆さんが露店を開いていた。冷やかしで商品を眺めていると、不意に友人が声を上げた。

「お前、これ買えよ」
友人の手には黒い皮の財布が握られていた。
「なんだよ、それ」
「見ろよ。『絶対に浪費が治る財布』だってよ」
見ると、手書きの値札に確かに『絶対に浪費が治る財布』とある。

「お前にぴったりじゃんか」
友人はにやにや顔で、イカの串刺しで俺の顔を指している。
イカで人を指差すな。アルコールのせいか、祭りの高揚感のせいか、なぜか俺は言われるがままなんの変哲もない黒革の財布を買って、露店を後にした。

お祭りのあと、しばらく財布の存在を忘れていたが、友人から「あれ、効果あった〜?」というにやにや顔のメールをもらって、ようやく使い始めることにした。

財布を新調した次の日、コンビニに電池を買いに行った。
電池を手に持ってレジに向かう途中に、缶ビールとおつまみを2、3カゴに入れる。あれ、カゴいつの間に取ったんだっけ?
レジでお会計の時に、財布がないことに気づいた。ちぇ、家に置いてきたのかよ。
運よくスマホにいくらかチャージ残高があったので、晩酌セットをキャンセルして、電池だけ買って帰った。
帰って見ると、財布は家の定位置に鎮座していた。

それから同じようなことが数回あり、7回目でやっと、さてはこれがこの財布の効用だな、と思い当たった。
お会計の時に、この財布は逃げるのだ。

友人から2回目の「効果あった〜?」のメールのあと、効果があったことを説明するために飲むことにした。
「効果あったんだ、あれ」
「それがあったのよ、財布は自らお金を使わせないようにしてくれるわけ」
「なんだそりゃ」
その後はいつもの雑談をして、お会計になるとやっぱり財布がない。
「ごめん、財布忘れてきちゃった」
「マジかよ。ご利益のある財布、もう一回見たかったのに。じゃあいいよ。浪費家卒業祝いに奢ってやるよ」
「あざーっす!」

浪費家を卒業すると、運も巡ってくるらしい。
以前から気になっていた会社の後輩と休日にランチに行くことになった。デートの予定に、その日は朝から有頂天で身支度を整えていた。
ふと定位置に鎮座する財布が目に入る。そうだ、こいつをどうするか。
考えあぐねた結果、家を早めに出て、ペットショップに寄ることにした。

会社の後輩は、休日らしく少しラフな服装をしていて、出会い頭から俺をドギマギさせた。おしゃれなカフェでのランチを終え、「ここは俺が」とスマートに会計に進む。
カバンから取り出した財布を見て、後輩は目を丸くしていた。

黒い皮の財布には、犬の首輪がつけられ、ヒモはカバンにガッチリ結ばれていた。
「あ、これ。俺すぐ財布失くすからさ」
俺は努めて何気ない風に説明した。「先、店出てて」と促す。
「お待たせ。この後さ……」

俺はその時気づいた。後輩の顔は引き攣っていた。財布の首輪に引いていたようだ。
俺は心の中で、倹約とデートを天秤にかけていた。

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