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【小説】朝から夕方までの喫茶店

厨房の流しで手を洗ったあと、礼子は業務用冷蔵庫の正面にかけてあるタオルで手をぬぐい、タオルかけのすぐ上にマグネットで留めてある、予定をマジックで書き込みすぎて真っ黒になった一月のカレンダーをめくった。

今朝から、二月になる。美大時代のイラストレーターの友人が「仕事をした記念に」と礼子にくれたこのカレンダーは、水仙と福寿草が水彩のていねいな筆致で描かれている、とても洒落たものだった。

そんな良い作品ともいえるカレンダーを、自分のきれいとはいえない字でくまなく予定を書き込んでしまい、それが友にとって本望なのか不本意なのかはわからなかったが、しっかりと使っているのだからいいだろう、と礼子はひとりで合点し、南天の赤い実と緑の葉を日付の欄の周囲にあしらった一月のページを、カレンダーの束の一番裏に回した。

暖房はさっき入れたが、まだホールにも厨房にもその熱は回っておらず、仕込みのために照明をひとつだけともした店内は、ひどく底冷えている。この時期の午前七時という時間帯は、やっと外が明るくなりはじめたぐらいなのだ。

礼子がきりもりしているこの喫茶店「あーるぐれい」は、いまから八年前、二十九歳のときに安い貸店舗を見つけて、一人ではじめた店だった。北陸地方の古い商店街の一角で、喫茶店を開いた若い女を、この街の住人たちは、おもしろがって育ててくれた。

朝一番にすることは、まず自分のために湯を沸かすことだ。開店当初から使っている年代ものの銀のケトルが、細い注ぎ口からしゅんしゅんと蒸気を吹きだしはじめ、礼子はおおきな白いマグを戸棚から取りだすと、苦いマンデリンを淹れる。コーヒーは苦さがないと美味しくない、と高校生のころから公言するような生意気な小娘だった、と礼子は自分自身を振り返り思う。

毎朝恒例の喉に落ちる熱さで目を覚ますと、九時の開店に向けてモーニングの準備を始める。トーストとミニオムレツ、ミニサラダは必ずつける品目で、スープだけが日替わりとなる。冷凍あさりと、刻み野菜で、今朝はクラムチャウダーにするつもりだ。

にんじんや玉葱をリズミカルに刻んでいるうちに、窓の外の光がどんどん明るさを増していく。毎年雪で覆われるこの地方だが、今年は暖冬なのか、まるで太平洋側のようにすこんと晴れる日がときたまあり、礼子を驚かせた。どうやら今日も、そんな日らしい。

時計の針がもう少しで八時を指すころ、裏口の引き戸から「おはようございます」と声がして、バイトの須田さんが店に入ってきた。


「あれ? 今日須田さんだった? 永瀬さんじゃなくて?」

須田さんは大学生。永瀬さんは五十代の主婦だった。二人とも喫茶店「あーるぐれい」の店員である。須田さんは勤続一年の若手、永瀬さんは勤続四年のベテランだ。たしか昨日の夜シフトを確認したときに、明日は永瀬さんか、と思ったことを思い出し、礼子は訊いた。


「永瀬さん、旦那さんが会社から風邪をもらってきたみたいで、自分も熱っぽいからって、今朝交替してほしいとメールが来ました」

「そうなんだ、ひどくならないといいけど」

礼子は自然と、しかめっ面になった。心配しているつもりなのだが、いつもクールとか不愛想とか言われてしまう。わかっていても治らないものだ、と思いながら、礼子は須田さんに指示をする。

「サラダ用の刻みキャベツをつくってくれる? あとオムレツの準備も」

「わかりました」

将来自身もカフェを開きたい、という夢がある須田さんは、まだ若いけれども手際がよく、気も利いてとても「使える」しっかりした子だ。採用して一年、もう厨房のことも、レジ締めも、接客もなんでも任せられる。

大学を卒業したあと、どうするか聞いてはいないが、いずれ彼女が「あーるぐれい」を出ていくときのことも考えなくてはいけないのだが、須田さんがいてくれるととても助かるので、大学卒業まではこの店にいてほしい、と礼子はひそかに思っている。


モーニングの準備が整ったころ、まだ開店前だというのに、店のガラス扉の外に人影が見え隠れするので、礼子は須田さんに「open」の札をかけて鍵を開けるように言う。晴れているとはいえ、外は二月の寒さだ。お客さんも早く暖かい店内に入りたいに違いない。


開店一番の客は、大柄な体を寒さに縮めるようにして、どかどかと入ってきた。「あーるぐれい」が軒を連ねている商店街の呉服屋の若旦那、五十嵐さんだった。


「礼子ちゃん、須田ちゃん、おはよう。今日は本当に、寒いねえ」


商売柄、コートの下は今日もいなせな深緑の着物姿であるようだ。「さぶさぶさぶ」と五十嵐さんは手をこすりあわせながらカウンターの真ん中を陣取り、


「モーニングひとつ。ブレンド……じゃなくて、やっぱりアメリカンで」と注文してきた。


和服を着こなしている五十嵐さんがアメリカン好きというのはなんだか可笑しい、と須田さんは以前陰で礼子に笑いをこらえながらもらしていた。


礼子が白い丸皿に盛り付けたバタートースト、ケチャップがけのミニオムレツ、キャベツときゅうりとにんじんを刻んだサラダに、玉葱ドレッシングをかけたもの、を須田さんが運んでいくと、五十嵐さんはみるみる幸せそうな顔になった。クラムチャウダーも小さなスープ皿についで、モーニングセットの完成だ。


五十嵐さんは、食べ方が綺麗だ。老舗の若旦那らしい育ちの良さがかいまみえる。大きな手で優雅にフォークとナイフを使ってオムレツを口に運ぶし、トーストにはかぶりつかず、ちぎっては食べている。


「あー、本当に僕、週に一度か二度、あーるぐれいでモーニング食べるのほんと楽しみなんだよねえ。うちはさ、ほら、和食しか出ないから」

五十嵐さんの実家である呉服屋「しらさぎ」は、明治時代から代々続く本物の中の本物の老舗で、五十嵐さんの父である「しらさぎ」の御主人はひどく頑固者で通っている。


「日本人が、パンなどという、西洋からやってきたふわふわした食い物を朝食に食べて、一日の力が出るわけはない」


という時代錯誤で無茶な極論を家族にもぶちまけ、強要しようとするので、洋食好きな息子の五十嵐さんはたいへんに閉口しているらしい。そんな彼にとっては、たまに母親のつくる和食ではなく、礼子の店で出るモーニングやランチを食べることは、盛大な息抜きのようだった。


「五十嵐さん、そういえばこないだの見合いの話はどうなったの」

五十嵐さんの母親が彼に持ってくる見合いの話は、彼にとってはおもしろおかしい笑い話のテッパンネタでしかない。五十嵐さんが、しじゅう自分の見合いを自虐ネタとして披露したがっているのを知っていて、礼子も律儀に水を向けてやるのだ。


待ってましたとばかりに、五十嵐さんはもみ手をしながら、


「あー、こないだの鉄鋼会社の重役のお嬢さんね。美人でとりすましていたけど、見合いの会場が高級割烹でさあ、掘りごたつとかじゃなくて、正座だったんだよね。

二時間の会食のあいだ、彼女がんばってずうーっと正座してたんだけど、最後席をたつときに、足がしびれすぎたのか、派手にすっころんでさ、お茶をひっくり返したんだよ。

それでもう、僕、爆笑しちゃって。そしたら、相手の親御さんが『うちの娘を笑いものにするような旦那なんて願い下げだー!』って怒り心頭でさあ、その日のうちに破談だよ」


と饒舌に語るので、「はあ、相変わらずだねえ」と礼子も苦笑いする。

五十嵐さんは笑い上戸なうえに、相手の欠点に対して正直すぎる態度をはからずもとりがちなせいで、いままで数十という見合いをこなしてきたのに、一回も決まらないまま、四十に手が届きそうになっている。

そういう礼子も、年齢は同じぐらいで独身街道をつっぱしっているのだが、あまり恋愛にも結婚にも興味がなく、自分のやりたい「喫茶店を経営すること」にいままでもそのさきも、熱を注いでいくつもりなので、自分には到底経験のできないたくさんの見合いをこなしながら、破談にし続けている五十嵐さんのことを、珍獣でも観察するように、おもしろがってはたから見ている。

とはいえ、五十嵐さんから見ても、喫茶店の経営をばりばりやっている礼子もそうとう変わり者に見えるに違いないが。

モーニングを食べ終わって、須田さんとひとしきり昨日のドラマの女優の話で盛り上がったあと、五十嵐さんは帰っていった。


「須田さん、家で朝食食べてきたの? まだなら、今お客さんいないうちにさっと食べちゃえば」


須田さんがまだ何も朝から食べていないと言ったので、彼女を厨房内へと引っ込め、トーストとスープを盛り付けてやった。須田さんは働き者だけれど、将来のために貯金をしていることから、食事はいつも質素なものしか食べられてないと聞いているので、礼子は店のものはなんでもまかないとして食べていいよと言ってある。

須田さんは、礼子に頭を下げ、厨房の奥で、トーストをちぎってクラムチャウダーに浸しながら食べ始めた。


須田さんが食べ終えてすぐ、立て続けにモーニングを求める客が入ってきて、礼子と須田さんはくるくると厨房とホールを交替に行ったりきたりして、給仕した。

会社の営業で外回りをするサラリーマンや、商店街に買い物ついでのおばあちゃん二人連れ、何をしているのかよくわからない、派手な化粧に長いワンピースのすそをひきずった年齢不詳の女性などが、モーニングをそれぞれに食べ終えて、会計をすませると、客足は一気にひけていった。

モーニングタイムとランチタイムの間の、台風の目のような静かな時間だ。


「須田さん、ランチの準備するよ」


「はい。今日の日替わりはクリームコロッケカレーでしたよね」


業務用冷蔵庫の中から、昨日仕込んで置いた衣までつけて揚げるままになっている、コロッケが並んだバットを須田さんは取りだす。カレーの鍋に火をつけて、温め始める。これからが、忙しくなる一日の中でも勝負の時間だ。


「礼子さんは」
「ん?」


ふいに須田さんに言葉を掛けられ、礼子は振り向く。


「いえ、なんでもないです」
「なに、気になるじゃん。言いなよ」


須田さんは少し押し黙るようにしてから、言った。


「一人で、八年もお店をつぶさずに続けて、すごいですよね。私礼子さんみたいな人になるのが夢です」


「そうだねえ、やっと八年だよね。でも、ここの商店街なんか、それこそ何十年と続くお店のベテラン経営者ばかりだからさ、私でやっとひよっこくらいかもね」


「ひよっこかあ。またいろいろ教えてください」
「うん、もちろん」


会話をしながらも、各自手を動かすことは忘れない。須田さんはモーニングで出た汚れた食器を流しで洗いながら、礼子はその隣に立って洗われた皿やカトラリーをふきんで拭いてしまいながら、喋っている。


須田さんの話題が、彼女の所属する経営学科ゼミの教授が出す、無理難題のレポートについての話に移るころには、流しは再び朝と同じぴかぴかの状態に戻っている。


裏口がまた音を立てて開いて、「あーるぐれい」にいつもケーキやスコーン、クッキーを週に二回提供してくれる隣街の洋菓子店の桜庭さんが現れた。


「おはようございまーす」
「おはようございます。今週もありがとうございます」


桜庭さんは洋菓子店「ティンカーベル」の店員で、二十代後半の女性だ。ふっくらとした頬に、笑みを浮かべて、いつも元気に店の車で洋菓子を「あーるぐれい」に卸しにきてくれている。


喫茶店をやっていくなかで、たくさん店には卸してくれる業者の人が出入りするけれど、なかでも桜庭さんはしじゅうにこにこしているので、こちらもいろいろお願いしやすい。


須田さんが桜庭さんの持ってきた箱を空けて、ケーキやスコーンをショーケースに並べていく。


「スコーン、今週はクルミとチョコチップ、ブルーベリーとクリームチーズの二種です。ケーキはミルフィーユとショコラ、紅茶のシフォンにベリータルトですね。そろそろいちごの時期がはじまるんで。クッキーはいつも通りです」


すらすらと桜庭さんは持ってきたケーキの内訳を並べ、ブルーベリーとクリームチーズのスコーンはうちでも大人気ですよと付け加える。甘いものに目がない須田さんが「うわあ食べたい」と本音をもらして、皆で笑いあった。


桜庭さんが帰り、時計が十一時半を回るころから「あーるぐれい」は、お昼休憩に入ったサラリーマンやOL、ランチを目当てにやってくる近所のおじいさんおばあさんでいっぱいになる。


礼子はさっきからずっとクリームコロッケを揚げ続け、温まったカレーと一緒に皿に盛り付け、ホールで給仕する須田さんに次々と渡す、という作業を繰り返している。


「あーるぐれい」のある商店街の近くには、会社がいくつも並ぶ区域があり、そこからお昼ごはんを食べに働いている人が流れてきてくれる。忙しいがありがたいことだと礼子は思う。すっかり顔なじみになり、礼子や須田さんと話をするのを楽しみにしている常連さんも多い。


近所の小さな印刷会社の営業社員である森重さんは、厨房のすぐ向かいのカウンター席に腰掛けるなり、正面でコロッケを揚げている礼子に、話しかけてくる。四十代半ばの、ちゃきちゃきとした、明るい女性だ。


「聞いてよー、うちの息子、イギリスに留学することになっちゃった」
「それはまた、すごいですね」


揚げ物鍋から目を離さずに礼子が答えると、森重さんはため息をついて、


「あの子、日本の大学よりも、じかに高校出たら海外の大学に行くって、中学生のときから言ってたんだけど、どうせ周りに流されて日本の大学に行くって直前に言い出すかもって、思ってたのね。でも意思は変わらずで、アメリカ行くって」


困った困った、お金をどうやって工面しよう、とぼやきつつも、森重さんの頬は紅潮して嬉しそうで、実は息子の選択を喜んでいるのがわかる。


「あの子料理ひとつできないのに、大丈夫かしら、一人暮らしを、それも海外でだなんて」


「私も大学時代は料理できなかったですよ」
「えー、礼子ちゃんが!?」


「はい、コーヒーだけは好きだったので本格的に淹れられましたけど。コーヒー出すお店をやりたいって思い始めてから、喫茶店メニューだけ覚えました」


「人って、どうしてもやらなきゃなくなると、勝手に覚えられるのかしらねえ。うちの息子もそうだといいんだけどねえ」


森重さんは、クリームコロッケカレーを話しながら器用に平らげると、食後のコーヒーを飲んでいる。


森重さんの座っているカウンターの向こうの、窓に面したテーブル席には、背広姿のサラリーマンが三名、スーツ姿の女性が二名、老夫婦が一組、と、どの席にも客がおり、ランチを食べている。日替わりランチ一種類しか、礼子の店は昼に提供しないのに、味を気に入ったお客さんがついてくれている。


客足は一時半を過ぎるころようやくひけだして、礼子と須田さんがお昼をそれぞれとることのできる時間となる。客の少なくなったホールと厨房を、須田さんにまかせて、礼子は厨房の奥で、少々ぬるめのカレーと焦げたクリームコロッケを食べる。


カレンダーにまた目をやり、バレンタインデーが近いことをふと思い出し、毎年この時期になると桜庭さんがショコラやチョコレート関係のお菓子を入れてくれるから、今年もそうだといいな、と期待する。礼子はチョコレートの味のお菓子が実は大好きで、コーヒーに合わせても紅茶に合わせてもどちらもとても美味しいと思っている。


バレンタインそのものには、あげるような相手もいないし、特に思い入れはないのだが、桜庭さんが毎年仕入れてくれるようになってからは、少しこの時期が楽しみになってしまった。


お昼休憩を終え、須田さんと交替する。須田さんは「クリームコロッケカレー大好きだから、今日の日替わりで嬉しい」と言って厨房奥へと消えた。須田さんは「ハンバーグ大好きだから」「ナポリタン大好きだから」といつも同じことを違う内容で言っている気もするが、とくにお世辞とは思わないし、礼子も素直に味をほめてもらって嬉しいと思う。


三時ごろになると、入り口のドアが開き、高桑先生が現れた。高桑先生は、白髪の髪をパーマでふわりとさせた老嬢で、薄い紫の眼鏡をかけている。商店街の皆から高桑先生、高桑先生、と慕われているが、なぜ「先生」かといえば、商店街からほど近い駅ビル内のカルチャーセンターで、ペン習字の講師を三十年も続けているからだ。


「アッサムティーひとつ、あとミルフィーユをお願い」

高桑先生は、御年六十七歳と聞いたが、本当に雰囲気が上品だ。根ががさつな礼子は、見習いたいとすら思う。高桑先生は、いつも教室が四時半からなので、その前の時間「あーるぐれい」に来てくれて、三時のお茶をしていくことが平日は多い。


「こんな寒い日は、熱々のお紅茶がいちばんよ」
「ほんとうですよね」


礼子はアッサムの紅茶を茶葉から丁寧に淹れると、ティーポットにキルトのティーコゼーをふわりとかけて、ショーケースから出したミルフィーユとともに、高桑先生の座る奥のテーブル席へと運んだ。礼子先生は、キルトのティーコゼーをしげしげとながめ、


「あなた、これいいものね」と笑う。

礼子は、正直に、大学生のときにイギリスへ旅行したときに蚤の市で見つけたものだ、と述べた。このティーコゼーは、キルトのパッチワークでできたもので、薄い水色の地に黄色い鳥が二羽、向かい合って並んでいるかわいらしいものだ。汚さないよう、大切に使ってきたから、物持ちがいいとよくお客さんに褒められる。


 高桑先生は、熱いアッサムティーに口をつけ、


「ああ、あたたかい。礼子さん、外はすごい寒さよ」と身を震わせた。

「そうですね。店のなかにいると、わかりづらいですけどね」

礼子が答えると、先生は言う。


「家もカルチャーセンターもあたたかいけれど、外の移動が寒いのよ。骨身にこたえるわ」


高桑先生がミルフィーユをつつきはじめたのを見て、礼子はさっきのお客が使った皿を、流しで洗い始める。昔から、皿洗いは嫌いではない。汚れた皿を、またもとの白くぴかぴかな状態に戻していくことで、気持ちも洗われる気がする。ただ、年中洗い物には湯を使うので、お湯のない昔の人はどうしていたんだろう、とふと思いを馳せた。


高桑先生が帰ると、今度は入れ替わりに中学生の女の子三人連れが現れた。前も顔を見たことがあるような気がするが、この年代の女の子たちは似ていて、判別がつかない。


三人でもじもじしながら、彼女たちは奥のテーブル席に座ると、


「スコーンセットお願いします。三人分」


と小さな声で中の一人が、注文を聞きに来た須田さんに言う。

須田さんは、今日は二種類のスコーンがあることを説明して、皆にどれがいいか聞く。三人は顔を寄せ合って相談し、結局一人がくるみとチョコチップ、二人がブルーベリーとクリームチーズを頼んだ。


飲み物は三人ともホットミルクがいいとのことで、須田さんが厨房に戻ってきてその旨を礼子に告げる。

礼子は鍋でミルク、レンジでスコーンを温めながら、五時の閉店まであと三十分なので、長くいてもらえなくて申し訳ないな、と彼女たちに対して思う。


「あーるぐれい」は九時開店、五時閉店で、夜は開けない。この商店街自体がそもそも、夜まで開けている店が少ないので、礼子も倣った。礼子自身の体力を考えても、このくらいの時間働くのが一番いいと思う。


三人分のホットミルクとスコーンは、礼子が中学生たちの席まで運んだ。テーブルにスコーンとミルクが並べられると、少女たちは歓声を上げ、口々に「ありがとうございます」と礼儀正しく礼子に言う。


「ごめんね、五時で閉まってしまうから、あまりゆっくりできないけど」

礼子がそう謝ると、中学生の中の一人が「また来ます。それに私たち、これから図書館で勉強するから」と言った。


「そうなの、偉いわね」
「だから今、食べて元気を貯めとくの」


 また別の子が言い、皆して笑った。


少女たちはにぎやかに談笑しながら、食事をすませる。彼女たちの声で「あーるぐれい」の中も少しあたたまる気がした。

一人一人が会計をすませ、寒い外へと出ていくのを見て、礼子は須田さんに「closed」の札を入り口にかけさせる。礼子は少女たちの食べ終わった皿を流しに運びながら、須田さんに声をかける。


「須田さん、今日金曜日だから早上がりしていいよ」
「いつもすみません」


須田さんは、いつも平日金曜日は所属大学で、夜の授業がある日なのだ。一日働いて、授業も夜受けなければならないのは大変そうだが、須田さんに言わせると、元気がありあまっているから大丈夫、とのことだった。


「あ、永瀬さんからメール来てます。明日は勤務に来れますって」
「ならよかった。風邪、大丈夫だったのかな」
「治りました、って」


須田さんがばたばたとコートやマフラーを着こんで出て行ったあと、礼子は流しの掃除をし、ホールに掃除機をかけ、明日のためにテーブルクロスを取り替えた。明日は土曜日だから、きっと今日よりたくさん人が来るだろう。永瀬さんの力が必要だ。

すべて明日への準備を終わらせ、礼子は業務用冷蔵庫を開けると、明日の日替わりはチキンソテーにしよう、と決めて大きく息をついた。

さあ、これから家に帰って、自分のためだけに料理をしよう。ほんの少し、ワインもあっためて飲もう。そう決めると、礼子は、自らもコートを着込み、火の始末ができているかを、最終確認した。

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