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omonpakaru

考え過ぎだと指摘されることがある。
投げかけられた言葉を頭で追い、ひとつひとつ答えていると、相手は呆れるか、どうかすると苛立ちすら抱えていたりすることすらある。
多くの人はそれほど考えないのだろうか。
「人間は考える葦」と言った人もいるくらいだから、考えることは人として大いに活用すればいいと思う。
お金もかからないし、場所も取らない。

逆に、考えのない言葉を浴びせられることもままある。
その突き刺さるような言葉を言われたら、相手がどう思うのか。
ほんのわずかな想像力でも、働かせることで避けられる諍いもあるはずなのに。
それをしない選択は何のためかと、また考えてしまう。
想像する、考えることはそんなにも面倒な作業なのだろうか。
厄介なのは、考えもなく発せられたくせに、その人の心の奥底からの言葉なのか、口から出まかせなのか、見分けがつかないとき。

人はいつも誰かと話すよりもずっと多くの言葉を、自分の中で回しながら過ごしている。
声を発しなくても、会話をしなくても、頭の中で言葉は巡り続けていて。
そこからいくつかを選び出し、目の前の相手に投げたとして、それが必ずしも正解とは限らない。
しかし、その正誤を案じ過ぎていると、結局、向かい合う人との間に深い溝ができていたりして。

さらりと流せない言葉の淀みは、ひとり考えていても、なかなか抜け出せない。




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