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相合傘~04~

早朝にはやむ予定だった雨はまだ東京の上空を通過中だ。トタン屋根に雨粒が弾かれる音を聞きながらこれを書いている。私は傘をさすのが苦手だ。濡れても構わないカジュアルな服装を好んで着るし、サンフランシスコ在住のアメリカ人の親友が傘をささないのでその習慣を模倣している。
妻は少しでも雨を感じると傘を取り出す。折り畳みの傘をいつもバッグに忍ばせて、日差しの強い日は日焼け対策としても活用している。
ずぶ濡れになるような雨風の中を進むとき、私が「さしても意味ないよ」と言って全身で雨を感じることに楽しさを感じていても、妻は傘の骨組みが反り返ろうとも少しでも濡れないように抵抗して歩いていた。

お付き合いが始まり私が先に帰宅しているとき、雨が降っている日は目白駅まで迎えに行くようにしていた。いつもサプライズ。目立つように改札口の横に立っていると、妻がハッと気づいて「お迎えだ」とでも言いたげな顔で小動物のように走り寄ってくる。その顔が見たいがために傘をもってお迎えに行くのだ。
傘は一本。私は妻が濡れないように左肩をぐいと引き寄せて、自分の右肩を水滴で湿らすのが好きだった。今でもふたりで町を歩くときは手を繋いで歩くけど、腰に手をまわすような歩き方は恥ずかしいと嫌がる妻。だから雨の日に限られた妻と密着できる相合傘は当時から特別に感じていた。

その慣れ親しんだ傘をささない習慣は子供が生まれるタイミングで止めることにした。「身体が冷えて風邪をひいて、それが子供にうつったらどうするの?」と言われたら反論の余地はありません。でも、刷り込まれた習慣はなかなか抜けないもので、いまでも雨の日に出かけようとするとリビングから「傘は持ってね」と念押しの声を掛けられる。傘を使う習慣を作るために、愛着の湧く自分用の傘の購入も考えたけど、何処かに忘れてくるという全うな理由で却下された。

いまは妻の左肩を抱き寄せることはなくなり、娘を抱きかかえながら傘を差すことが増えた。「パパありがとう」と言ってくれる娘の愛くるしさにいつも心は奪われるけれど、目白駅の改札、嬉しそうに歩き寄ってくる妻の姿も忘れることはないだろう。

東京都上空の雨雲はこれを書いている間に抜けてくれなかった。生憎の雨模様。東京も梅雨入りしているんだから恵みの雨と思って雨の日を楽しまないともったいない。こんな日は相合傘がよく似合う。世界中のカップルが肩を寄せ合い幸福に包まれますように。

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