見出し画像

文体と構成 (「夢見る帝国図書館」) | きのう、なに読んだ?

本をよく読み、執筆もしてる友人が小説「夢見る帝国図書館」をとてもほめていた。私の読書はノンフィクション中心なのだけど、これは読み始めたら止まらない。午後に半分くらいまでいっちゃった。

物語の進行というか、構造が良く出来てるんです。主人公の一人称視点と、別の主役が主人公に断片的に語る回想と、合間に挿入される小説的なものの三重構造。登場人物がけっこう多く、特にその小説的な部分には明治以降の文豪がたくさん出てくるのだけど、人物やシーンによって口調や文体を(わざと面白くしてるのも含めて)よく書き分けてる。ここまで登場した中では、日暮里の古本屋のオヤジの口調とノリが、まあ、東京のオヤジなんですよ。とても良い。たまにタクシーの運転手さんにいい感じの東京ことばを話す人がいて、うれしくなっちゃうんだけど、あれが文章で再現されてる。ストーリーも東京ことば同様、テンポがいい。

文章って、内容だけでなく、構成も文体も楽しむものですよね。本が好きといってもいろんな趣味嗜好がありましょうけれど、構成と文体に重きを置く人は、翻訳物のノンフィクションはけっこうつらいかもなあ、と思ったりしました。内容の驚きや新しさはあれど、独特の「翻訳文体」だと頭に入ってきづらい。本全体の構成とか段落ごとの話の運びも、英語だと「うわー、そうきたか」と効果的なのに、そのままの構成で日本語訳をするとその妙味が全く伝わらないケースがあるんです。特に著者の主張と、それを支える事実や解釈のならべ方が、英語と日本語だとかなり違う。英語のノンフィクションにも、文体と構成がとても魅力的な著者っているんですが、日本語に訳すとそれは全く味わえず、内容のみで勝負になっちゃうし、論理が追いにくくなるんですよね。英語ノンフィクション好きとしては、そこんとこ、なんとかなりませんかしら…と、「夢見る帝国図書館」のような文体と構成が魅力的な小説をよんじゃうと、改めて思うのでした。

「夢見る帝国図書館」の主な舞台は上野の「国際子ども図書館」です。実は先日、初めてまいりましてね。そこでプロフィール写真を撮影していただいたんです。素敵なところでしたよー。

続きを読むのが楽しみです。

今日は、以上です。ごきげんよう。

(photo by Masaki Tokutomi)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?