ウィンディ/江戸雪

もういい加減に聞き飽きたひとも多いかとおもうけれど、今年ももう終わろうとしていることだから、最後にもう一度言っておく。2023年は日本のプロ野球(NPB)において阪神タイガースが38年ぶりに日本一になった。
あの、そう、あの、アノ(アレではない)、負け続けていた阪神タイガースが、である。

野球を見るのは好きだし、阪神以外にも好きな球団はある。ただ、ごく自然に阪神百貨店のポイントカードは虎のマークのついたものを持っているし、黄色と黒のツートンカラーには気持ちがひきしまる。ペナントレースが始まると夜には「今日は阪神勝ってる?」と家族に聞くのが常だし、甲子園球場のそばを電車で通過するときは心の中で「阪神がんばれ」と念じる。行きつけのバーには、阪神の現状を語り合ういわゆる「虎談義」をする友人もいる。

このようにDNAに組み込まれたように阪神タイガースが好きな理由は、多くの関西人がそうであるように、家族の影響がある。

わたしの場合は、父だ。
 
38年前の1985年4月、わたしは大学一回生。普通運転免許は春休みの間に取得ずみだ。それにも父の強い後押しがあった。どうおもっていたのか分からないけれど、父はわたしが希望することは何でも「やってみたら」と云うひとだった。

当たり前だけれど、車は自転車とは比べものにならないほど速い。荷物もいくらでも積める。密室であるおかげで友人たちとの恰好のおしゃべりの場でもあった。

とにかく自分で運転していろんな場所に行ってみたかった(遊び回りたかった)のだが、父の車ではそれは叶わない。乗るたびに父の許可がいるし、何より家族用の大きな車は自分の身の丈に合っていないと感じていたから。

だから、5月に入るとわたしは冗談まじりに「車が欲しいなあ」と父に向かって呟くようになった。もちろん買ってもらえるなんて夢にもおもっていない。父だって買うつもりなどさらさらなかったはずだ。(今からおもえばそれはちょっと怪しいが)

それでも、あまりにしつこく私が呟いたからか、父はある日言った。

「阪神が日本一になったらな」
「え?阪神が日本一になったら車を買うと云った?」

忘れもしない。父の一言をわたしは逃さなかった。

その年の阪神は奇跡のように打ちまくり、みごと日本一になった。西武との日本シリーズの頃はちょうど大学祭で、わたしはイヤホンでラジオを聴きながら模擬店の店番をするという色気のない大学生となっていた。
今のように携帯電話もなく情報が溢れていない時代である。

阪神が日本一になってすぐ、ウィンディという赤いスリードアの車が届いた。あのときは気づかなかったけれど、車は注文してそんなにすぐ届くものだろうか。保険やら各種証明やら様々な手続きが必要なはずで、おそらく父は9月に入った頃から10月末の日本一に向けて準備していたのだとおもう。

なんとしても阪神を日本一にしたかったのか、それともわたしに車を買ってやりたかったのか。どちらであっても本気なのかと尋ねたくなる思い入れの強さ。

半分驚きながらわたしは、よろこんでウィンディを頂戴した。それでもさすがに申し訳なかったので成人式の振袖は辞退を申し入れた。中学生になるときから地元を離れていたせいで家の近所には友人もおらず、成人式に出席するつもりもなかった。そもそも成人の集いのようなものがどこであるのかさえ興味がなかった。保守的な考えの母はずいぶん残念がっていたけれど、父は「着たくなければ着なくていい」と一言。ずいぶんあっさりしたものだった。

それから8年ほどの間に、車でいろんな経験をした。そのたびに父は面白がってくれた。勉強をしろとは言われたことはないが、なんでも経験してみろ、なんでも遊べ、のひとだった。

父は60歳ごろに、先輩と経営していた職場から独立して、個人で開業した。とにかくゴルフが好きで、事務所は母に留守番をさせて自分は週に3度はゴルフ場へ。忙しくしている母を見て、父のことを酷いひとだとおもったことがあった。単刀直入に「仕事と遊び、どちらが大事なの」と嫌味たっぷりに訊いたことがある。すると父は迷うことなく「遊びに決まってるやろ」と応えた。逆に「何を聞いてくるのだ」とでも言いたげな、自信たっぷりの父の真面目な顔が忘れられない。いわゆる、バブル時代の企業戦士とはかけ離れた風貌の父であった。

そんな父の影響を多大にうけてしまったわたしもまた、「遊び」が何よりも大事な人間になった。さいきんつくづくとそう感じる。
あのときの父の真面目な顔は、「今におまえにもわかる時が来る」という顔だったのか。

ウィンディが私の手元に来たときから38年。阪神優勝を大喜びしただろう父は、4年前の12月12日、わたしの誕生日に亡くなった。亡くなる日の朝、「今日はわたしの誕生日よ」と話しかけると、意識が薄らいでいくなかで父は大きく頭を振って応えた。

父からもらった最後のプレゼント。命の終わり。ほんとうにいつも、とんでもない、大事なプレゼントをしてくれる父であった。


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