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人に恋するということは難しい

Q 好きとは

 好きになるとはどういうことなのだろう。最近の私は、自分の好きという感情をよくわかっていない。

 最後にパートナーがいたのは3年ほど前だろうか。あの時、私は確かに人に恋をして、好きになっていた。1日中相手のことを考えるときだってもちろんあった。相手が異性と話していると醜くいほどに嫉妬さえした。しかし、今はどうだろうか。今私は、恋愛とは無縁な生活を送っている。社会で生活しているため、私に好意を寄せてくれる人も何人かいた。しかし、私の気持ちは動かなかった。なぜなのだろう。

 私は友人から、「あんたは惚れやすいタイプだから気をつけなよ。」とよく言われていた。その忠告を蔑ろにする気が全く起きないほど、私は惚れやすいタイプだったはずだ。それなのになぜこのようになったのか。その原因を稚拙ながら、探究してみようと思う。

私はオタクである

 そう。私は世間一般でよく言われるオタクというものだ。現在大学生の私は、2次元と若手俳優のオタクをしている。これまでに、LDHやKPOPなどさまざまな界隈を渡り歩いてきたが、今はこの2つに落ち着いている。

 オタクをしていて思うのは、一方通行だということ。もちろん、応援される側として素晴らしい舞台を魅せるなど、私たちに対価を示してくれている。だが、両思いになることはない。当たり前のことだが、私たちは片思いをしているのだ。この片思いがあまりにも楽なので、大学生でもオタクを続けている。

 オタクというものは、私も含め勝手なものだと思う。勝手に好きになって、勝手に離れていくのだから。

 だが、恋愛はそうはいかない。両思いなのだから。勝手な行動はしてはならないのだ。

 そしてオタクをしていると理想が高くなる。そう。相手は汚いところを見せないからだ。綺麗なところばかりを見せられている私たちは、それがあの人の全てだと錯覚し、妄想する。また、少し汚いところを見せられたとしても、それは大体が許容範囲に収まるものだ。

私は1人が好きだ

 そう。私は1人が好きだ。人といるのが嫌いなわけではない。場合によっては人といる方が好きなこともある。

 なぜ1人が好きなのか。それは気を許すという工程がないからだ。気を許した相手を恋人にすればいいじゃないか。ええ。その通りだ。だが、最初から気を許して隣に居られる相手など、この世に存在するのだろうか。私はまだそのような人に出会ったことがないので、居ないと思う。その気を許すに至るまでの過程が面倒くさいのだ。

大人っぽい?

 私はよく長女でしょ?と言われる。否、私は三女である。周りと比べると少し冷静な方ではあると思うが、社会出るとそうでもないだろうという程度で冷静だ。

 大人っぽいと思われるとどうなるのか。よく人から甘えられ、頼られるようになる。「私は甘えたいのだ!」と声を大にして言いたい。誰だって甘えたいし甘やかされたいだろう。なのに周りから勝手に、大人っぽいねと評価される私は、私の意思に関係なく、甘えられる、頼られる立場に位置させられてしまうのだ。

  だから、私は好意を寄せられてもそれに応えることはできない。私に甘えたいと思う人からしか、好意は寄せられていないのだから。

 そして私はまだ機嫌に左右される子どもだ。こんな私を守って、リードしてくれる人がおそらく好きなタイプというやつなのだと思う。なんせ、私は7年間オタクをしてる。理想もそれはそれは高いことだ。そのような人に出会うことはできるのでだろうか。未来の私に託そう。

幸せを多く掴んだものが勝者

 他にも原因はたくさんありそうだなと書いていて思う。恋愛は自然にするものだと言うが、私の性格上、周りが恋愛していると羨ましく思い、私も恋愛で幸せを得たいと思ってしまう。パートナーがいることで幸せの要素は増えると思うと、当然その幸せも得たいと思ってしまうものだろう。なんせ、この世は幸せを多く掴んだものが勝者なのだから。




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