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「戦う」とはなにか 〜ウェブプランニングの技術でパニック障害と向き合う〜 2/2

※この記事の続きです。

まず、前回のおさらいしてよね。

わかりました。昨日ちらっとお見せしたとおり、僕はパニック障害になって、働きながら薬でなんとかごまかしていたのですが、どんどん薬の量が増えて、立ち行かなくなっていました。そこで、仕事で培ったプランニングの技術を転用することでパニック障害と向き合っていこうと決意し、まずは自分の症状【課題】である『パニック』時にどんな状態になっているか【どんな感情になっているか】をリファレンス【参考になる感情=言葉】を元に探っていきました。それで見えてきた感情【解像度の高くなった『パニック』という状態】に対策行動を設けることにしました。それによって安心感を持てた僕は発作が激減。それでも、できないことはたくさんあった。

というところまでを前回お話しました。

で、そのできなくなっていることをひとつひとつ克服していったんですが、どうやってそれをやったかをこの記事では書いていきたいと思います。

まずは当時僕ができないことはこちらです。

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上に書かれていることをやり始めると、急に呼吸が苦しくなって、パニックになっていました。これは対策行動を行っているときでも起きてしまう。なによりも(できないかも)という不安が先行してどうしても苦しくなってしまう状態だったんです。これはまずいなぁと思い、ひとつひとつ、克服していこうと考えました。克服というか...慣れていこうと考えました。


どうやったのよ?あ、できないことを階段にする?!

そうです!昨日書いた『できないことを階段にする』です。こんな図を作ってみたんです。

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横の線はその行動をやらなくてはならない頻度、
縦の線はその行動をしたときに感じる辛さのレベルです。
頻度が高いものは右側に、そこまで頻度がないもの左側に。
本当に辛いものは上に、そこまで辛くない【頑張れるかも】と思うものは下に書いています。

で、頻度が高いものは日常の中で必ず起こりうることです。だから、まず着手しなきゃならない。
でも、無理はしないように、まずは『辛さ低い』&『頻度高い』の枠に入っているものから克服しようと考えました。それ以外は一旦置こうと。
上記の枠内の行動は以下の通りです。

1段目 家から出る
2段目 保育園に子供を送る
3段目 シャワーを浴びる
4段目 お風呂に浸かる
5段目 コンビニに入る
6段目 外食する

一段目から順に毎日チャレンジしていくんです。できなかったらもう一度前の段のものをチャレンジする。その階段登りを毎日繰り返していきました。
新しい段をチャレンジしたとき、苦しくなかったら心のなかでめちゃめちゃ褒めることも忘れませんでした。この作業も自信を取り戻すための儀式。だから、自信過剰になるくらいがちょうどいいなと思って。そのほうが次のチャレンジに物怖じせず取り組めるんです。

あとどうしてもできないときは、もう少し段を細かく分解していました。


段を分解する?

はい、実例を上げると、僕はなかなか6段目の『外食する』ということができなくて、ここを分解しました。たとえば一言で外食するといっても、色々ですよね。ファーストフード店のようにすぐメニューが出てきて、気軽に持ち帰れるところから、滞在時間30分くらいで食べ終えられるラーメン屋さんもあれば、2時間以上滞在するコース料理のレストランもある。『外食する』という行為のなかで段分けを行っていったんです。僕はこんな感じにしていました。

6.1段 ファーストフード店に入りテイクアウトで注文する。
6.2段 ファーストフード店に入り、イートインする。
6.3段 ラーメン屋さんに行く。
6.4段 いつでも出れるカフェで長期滞在してみる。
6.5段 ファミレスで文字通りファミリーご飯。
6.6段 コース料理のお店で2時間以上滞在


徐々に登っていくことで、もっと細かいところで自信を獲得していこうとしたんです。これは成功しました。今では外食も余裕のよっちゃんですよ。


よかったじゃない。
いまどこまでできるようになったのよ。

オレンジのところはできるようになりました。頻度高に所属する日常生活で必ず起こることはほとんどできるようになりましたね。あと頻度の少ないことにもチャレンジしていて、ある程度の辛さを感じるものでもできるようになりました。

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あんまりコン詰めてやるのもよくないかなって思ってます。だって登らなくても生活できるものもあるじゃないですか。
たとえば美容室で髪を切るのはまだできないです。あの首に色々巻かれる感じとか、拘束される感じがなんともいえない焦りを生むんですよね。動けないぞ...って感じで。でも、髪の毛なんてもうそんなに気を使わなくてもいいかなって思っています。生きていけますから、髪型おしゃれじゃなくても。だから思い切って、坊主にしちゃいました。バリカンを買って自分で髪切ってます。割り切りですよ。

でも、いつかまた旅行ができるようになりたい。僕ハワイが大好きなんです。だから、また子供を連れてハワイに行ってみたい。ステーキ食べたり、浜辺を走ったり、子供とショッピングしてみたり、またしたい。飛行機に8時間拘束されるということが克服できるように頑張りたいですね。最後の大きなご褒美と捉えて、これからも続けていきたいと思います。

あんた頑張りなさいよ...
で、タイトルの「戦う」とはなにかってなによ?
どうせなんかいいこと言おうとしてるんでしょ?

そうです!この僕のパニック障害との技術的闘争の中で大きな収穫があったんです。それは「戦う」という言葉の定義が自分の中で変わったということなんです。

僕、子供が2人いて、下の子【女の子】はいま生後6ヶ月なんですが、よく泣いてるんですよね。びぇーん!と急に泣いて、僕は慌てて彼女を抱きかかえて、揺らしてみたり、おむつを確認してみたり、ミルクをあげてみたりするんです。赤ちゃんはもちろんしゃべれないから、彼女の『泣く』というコミュニケーション上では比較的抽象的な行為から、色々と原因を探るんです。愛情を持って。

ある夜、彼女が例の如く泣き始めて、僕は慌てて抱っこして、原因を探りました。どうしたんだろうって。それで色々やっているときに、ふと気づいたんです。

『この赤ん坊、彼女のように、僕の中のパニック障害も発作という抽象的な行為で、僕に何かを訴えたいんじゃないか』って。

僕の中のパニック障害は言語を持ちません。話せないんです。だから僕に発作という形でしかコミュニケーションできない。だから、受け手側が、僕自身が注意深くパニック障害の発作の裏に隠されたメッセージを汲み取ってあげなきゃいけないんだって。そう思ったら、急にあんなにいやだった発作が愛おしく感じるようになりました。僕の中のもう一つの赤ちゃんのように感じたんです。

パニック障害が赤ちゃん?
あんなにいやだったのに?

そうです。あんなにいやだったのに。なぜだかわからないけれど、暗い中、赤ん坊が泣く姿を見て、急にリンクしたんです。そう考えるようになってから、

「パニック障害と戦う」というのは、『VS パニック障害』ではなく、
『Battle with パニック障害』なんじゃないかって思ったんです。

世の中には、なんとか解決しなくてはならない課題とか、克服しなきゃいけないこと、自分と対立する意見をもつ人とか、戦わなくてはならないとされるものがたくさんあります。でもそれは対峙【VS】することではなくて、感受性を持って、まず対象(相手)がどんなことを考え、どんなメッセージを発しているのか、それを汲み取ることから戦いは始まるんじゃないかって。まずその対象に戦って勝つんじゃなくて、対象とともに【WITH】戦うべきなんだって。

へぇ〜思慮深いこというじゃない。
きれいごとに聞こえるけどね。

きれいごとでもいいじゃないですか、少なくともそのきれいごとで僕個人が気持ちよく生きていけるなら、それに越したことはないなって。

ふん!わかったわよ!...あんた頑張んなさいよ!

頑張ります。ハワイ行きたいしね。


最後に

この戦いの期間、僕を支えてくれた人たちに本当に感謝しています。家族はもちろんのこと、僕の体調を気遣ってくれて、いろいろ奔走してくれた会社の人たちにはいくら感謝してもしきれません。
あくまで個人的な戦いで、僕の心の中で起こったささやかな出来事(といいたい)ですが、その周りでは本当にいろんな人が、自分のことのように親身になってくれていた。
そして、何度か本当にあきらめそうになったとき、心の支えになってくれた息子、娘にも感謝します。僕は立派な父親ではないと思うけれど、できるだけ長い時間、二人の父親でありたいな。

この思いが叶うことを切に願いつつ、記事を終わります。(終)

もしサポートいただけたら、こどものおむつ代にさせていただきます。はやくトイレトレーニングもさせなきゃなのですが...