変わってしまったすべて

前置き

トラウマ治療についての本を読んで、自己臨床の第一歩として自分の心に起きたことを記述したいと思い、この文章を書いている。

書き終えてから、誰かに読んでほしいと思ったらネットに載せる。秘めておきたければ載せない。だから、自由に素直に言葉にしていく。

具体的な出来事について述べる必要はない。
自分の心に起きたことを知るほうが大切だ。

私のトラウマは、これというひとつに限定できない。複数のトラウマを抱えている。それは衝撃的な出来事だったり、長期間にわたる生活そのものだったりする。中には思い出せないものもある。それぞれのトラウマに連関性があるという点で、自分の人生の大部分がトラウマになっているという見方もできる。

トラウマによって、自分の心と身体、そして世界は変えられてしまった。これは、具体的にどう変えられてしまったのかの臨床記録。次のメモでここから回復するための思索を書こうと思う。

変わってしまった心と身体

1.恥の感覚


苦しい過去は毒みたいに心と身体全体を駆け巡って、今でも私のすべてを蝕んでいる。
毒の大きな成分は、恥という情動だ。

私は辛いことを経験する度、自分を恥じるようになった。純粋な後悔や自責の念から恥を抱くこともあれば、自己防衛のために自分の存在を卑しいものだと考えて日常的に傷つけられる環境を正当化することもあった。

本に「あなたが人間一般にふさわしいと思う生活を思い浮かべてみてください」と書かれていたので、想像してみた。健康的な睡眠、安心できる住居、適切な医療。挙げたのは人が皆享受するべき当たり前のことばかりだけど、よく自分の心を観察すると、そのひとつひとつに対して「私には無理だ(あるいは、贅沢すぎる)」とどこかで考えていた。
私は自分を人間一般の中に数えていなかった。
自分は人間などという尊重されるべき存在ではないように感じていた。思えば芸術や哲学を嗜むことも、自殺未遂を繰り返すことも、自分が人間であることを確かめるための行為だったのかもしれない。(それだけが動機ではないけれど、そういう側面はたしかにある。)
そういう如何にも人間らしいことをしていないと自分が人間だと実感できなかった。
だから食事や睡眠はつい後回しにしてしまう。そんなのは、動物でもできることだから。

それから、自分は幸せになってはいけないと思っているところが強くある。勝手にたくさん規範をつくって、そこから外れている自分を常に責め立てて、気が付いたらそんな自分に罰を与えるかのように不幸になる選択をする。
私は私の中に加害者を飼っている。
自分に起きたあらゆる理不尽な不幸を、それが理不尽ではなかったと書き換えるために、与えられた痛みにふさわしい愚かな人間になるまで自己破壊を繰り返していく。厄介なことにその選択は、ほとんど無意識のうちに行われる。

幸せになるために意識的に心の羽を伸ばそうとしても、ボンレンスハムみたいにギチギチに縛られていて、うまく動かすことができない。
そういう窮屈な感覚がずっとずっとある。

2.情動の歪み、パニックと解離

そして恥以外のあらゆる情動も、トラウマによって書き換えられてしまったと思う。

情動というのは意識より前に引き出される反射に近い感情のことだ。
人は論理と感情から選択を行うけれど、感情のほうが原始的だから、強い力を持っている。
とりわけ情動はほぼ無意識の領域にあって、コントロールが利きづらい。

自分はトラウマによって情動が歪められてしまっているのだと思う。
些細なトリガーから、必要以上に強い情動が引き出されるようになってしまっている。
情動(特に恐怖や怒り)は生存における危険信号の役割を持っている。過去に強く傷つく経験をしたことで、同じ経験を繰り返さないように些細な情報から強いシグナルを送るように脳が書き換えられてしまったんだと思う。
毒というより脳を乗っ取るウイルスに近い。

強い情動が引き出されたとき、論理はもはや無力だ。考えていたことも吹き飛んでいく。
そしてトラウマで歪められた不自然な情動によって選択が行われるのだから、当然間違った行動を選ぶ。大抵は強すぎる防衛をして、自分か誰かがひどく傷つくようなことになる。
それがまた心の傷となって、トラウマが再生産されていく。

最後は思考と情動の釣り合いがとれなくなって、自分が引き裂かれて、分裂する。それが解離。

3.身体の失調

単純にトラウマによるストレスからくる不調(過覚醒による慢性的な過緊張状態や解離による睡眠障害)に加えて、自分を壊すような生活習慣を無意識に選んでしまうようになる。それは恥の感覚の項で述べたように、トラウマという毒の種を植え付けられることによって、自己肯定感、自分は健康に生きるに値する人間なんだという感覚が著しく削がれてしまうからだと思う。

他にも影響は多岐に及ぶけど、根幹にあるのはこの辺りだと思う。

変わってしまった世界

1.世界の感じ方の揺らぎ

そして私自身がトラウマによって変わってしまったら、当然私が観ている世界も変わる。

苦しい過去は止まない雨みたいなものだと思う。
その出来事が過ぎ去ったって、雨は止まない。
その雨はトラウマが増える度に強くなっていく。どんどん世界の温度が下がって、色んなものが時間から切り離されて凍っていく。光も色も失われて、味気のない世界がやってくる。

2.帰る家の消失と混乱した世界


そして何より、トラウマは心が帰る家(=世界の中の安心できる場所や存在)を焼き払ってしまった。

私は幼い頃、広い一軒家に住んでいた。
今でもたまにその家に帰る夢を見る。
夢の中で私は子どもの身体に戻って、若かった頃の母に見守られながら家中を冒険している。
最後にあの家で過ごした日のことを思い出そうとするとなぜか泣きそうになってしまう。
現実には引っ越す前から家庭崩壊の兆しはあった。でも、家中に詰まった幸せな思い出が私を支えてくれていたから耐えられた。
私にとってあの家は安心と安全の象徴だった。
家を売った日、私は物理的にも精神的にも、心休まる安全基地を失ったんだと思う。

理不尽な不幸によって自分が考えていた秩序は崩され、世界は混乱したものになった。
混乱した世界では何もかもが信じられなくなる。だからときに自分を不幸の連鎖から引き止めてくれる境界(例えば愛や医療)すら見失い、暴走列車のように誰もいない崖の方へと向かってしまう。

3.フラッシュバックと時間軸のずれ

特急列車、高身長の男性、足音と扉の音。
トラウマが増えるほど、色んなものがフラッシュバックの引き金になっていった。
何度も何度も過去に連れ戻されて、あの日の感覚を再体験する。それを繰り返すうちに外の世界と自分の世界の時計が段々ズレていく。
そうなると自分が世界の内側の存在であることすら認識できなくなり、離人感が強くなっていく。

これがトラウマという歪んだレンズ越しの世界だと思う。

気が済むまで自分の身に起きた変化を書いた。これだけでも色々整理できた感じはある。ここからどうすることが回復に繋がるかまた書く。

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