「人」という存在が前から怖い
一時的にはこの衝動が収まっていた
でも…

時は遡り2007年
俺が虐待を受けていた頃
幼いころから「人」という存在から否定の言葉を浴びてきた
どこに行っても俺という存在を否定されてきた
そんな中光が差し込まれたのは2015年
この8年という年月は短いようで長く感じた

2015年。俺にとって奇跡とも思えるぐらい優しい人が担任となった
それとは裏腹にいじめの対象にもなった
そのいじめに関して、そして家のこと
その時の担任にすべてを話した
その先生は親身になって俺の話を聞いてくれた。
今までこんなことはなかった
内心泣きたかった
でも涙が出ることはなかった

そして2016年。
また悪夢が始まった。
担任が最悪だった。
一度担任に呼ばれたことがあったが今までのことがの折に浮かび声1つ出せなかった。
そしてその担任に相談なんかできるわけもなく、昨年まで相談していた担任にも相談ができなくなりまたただ否定的な言葉を浴びる日々が始まった

そして現在2023年
今いろんな活動に手を伸ばしている
もちろん中には俺と同じような経験をしてきた人がいる
そして俺と同じくLGBTQ+で悩んでる人も多々存在していた。
でも活動場所とはいえネットの世界
中には批判的な考えを持っている人がいる
そして俺は一度その人たちによって軽い炎上をしたことがある
それでも負けずに今を過ごしている

2023年9月
今現在また人という存在が怖くなった
昨年ASD(自閉症スペクトラム障害)、鬱病と診断されてから周りの目線が変わったからだ
周りから「気持ちの問題だから治るよ」などの声
ASDは発達障害、鬱病は精神障害
なりたくてなっているわけじゃないし気持ちの問題ではない
その声が上がるたびに俺の心も体も傷が増えていく。
こんな日々はもうこりごりではあるが、そんな傷つく言葉を発している「人」が身内にいる
詳細を話したとしても理解してくれない
これからもこの声に我慢していかなければいけないのだろうか

独りで抱えなきゃいけないのだろうか…


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