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「断罪パラドックス」   第5話

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 自分がしていたことがなんだったのか分かるようになるまでは時間がかかった。けれど、なんでいけないのか分からない方がまだましだったかもしれない。なんとなく分かるようになってからは、なおさら自分が汚らわしいものに思えたからだ。

 そして、お母さんはテレビでドラマや映画のラブシーンに差しかかると決まって私にこう言うようになっていた。

「あら、汚らわしい。でも、瞳ちゃん、こういうの好きなんでしょう?」

「そんなことない」

「嘘おっしゃい! 好きだからあんなことをしていたんでしょう?」

 かあっと顔が熱くなるのに頭の中は真っ白になって、なんにも言い返せなかった。

 中学生になるとお母さんの抜き打ち検査がはじまった。夜寝ているといきなり布団を剥がされるのだ。私が何もしていないことを確かめるために。何もしていなければいいけれど、うっかり何かしていた場合、お母さんの罵声がとんでくる。

「こんなことをしていたら死にます」

「こんな、汚らわしいことをしていたら瞳ちゃんはお嫁に行けません」

 中学三年生の時に家の改築があった。キッチンとトイレとお風呂の水回りがメインの工事だった。だから私の部屋は何も工事の必要がないはずだったのに、なぜか私の部屋のドアは磨りガラスが入ったものに付け替えられた。

 この時に私は悟った。お母さんは見張りたいのだ。見張らないと気が済まないのだ。私が汚らわしいことをしないように。

 そして、そんなに見張られても私は「汚らわしいこと」をやめることができなかった。 

 私は汚らわしいから、お母さんの言うとおり結婚はできないかもしれない。だから、ひとりで生きていかなければならない。それなら、ひとりで生きていくだけのお金が必要だと、当時の私は本気で考えていた。

 女の人がひとりで生きていける職業はなんだろう? この田舎町で、中学生の私に見つけることができた具体例は、士業か学校の先生くらいだった。それなら、勉強は人一倍がんばらなければいけないなと思って、勉強をがんばったら、そのことはお母さんも喜んでくれて、私の進学には大賛成だった。まだ気が早いのに中三の受験が終わるころには、

「瞳ちゃん、大学は私立だって、県外だっていいんだからね。好きなところに行っていいのよ」

 その言葉は私の励みにはなったけど、今、色んなことを思い返してみたら、とても、皮肉なことだなと痛感している。



 勉強のことだけは褒めてもらえた。でもお母さんにとって私が汚らわしい存在であることは変わらなかった。中学の三年間で私は段々と胸が膨らんできた。ブラジャーのサイズが変わるたびに、お母さんはぶつぶつとこう言っていた。

「いやあね。嫌らしい」

 汚らわしいに嫌らしいが追加されて、私はますますいたたまれなくなった。お母さんがこういうことを言う時、お父さんはその場にいないか、すっといなくなる。だから、お父さんもお母さんと意見は同じなのだと思っていた。私は嫌らしい汚らわしい存在なのだ。女の子が性に興味があることはいけないことなのだ、と痛感していたし罪悪感も抱いていた。でも私の興味と欲望は膨らんでいく。同級生が彼氏を作るのを横目で見て羨ましくて仕方がなかったけれど、お嫁にも行けない汚らわしい嫌らしい私を好きになってくれる男の子なんていないと思っていた。同級生の男の子を好きになることさえ許されない気がした。

 中学二年生の時に、通学路で露出狂に遭ったことがあった。怖くてたまらなかったけれどどうにか走って逃げ出して、家にたどり着いてお母さんにそのことを話したらお母さんの態度はとても素っ気なかった。リビングでテレビを見ていたお母さんは、おかきだかせんべいだか分からない何かをバリバリと音を立てて食べたまま、こう言ったんだ。

「瞳ちゃんに隙があったんじゃない?」

 露出狂に遭遇した恐怖を受け止めてもらえなかった時の気持ちは今もうまく言い表せない。「隙」ってなんだろう? 私はいつも通り制服を来て通学路を歩いていただけだった。それが隙を見せたことになるというなら、私はいつも隙だらけだ。

 見知らぬおじさんに、通りすがりに胸を掴まれた日には、もうお母さんに言う気にはなれなかった。ひとりで泣いて家で体を洗った。皮膚が真っ赤になってもごしごし洗い続けた。こんなことがあっても、私の興味と欲望は少しずつ育っていって、とうとうSNSで知り合った男の人とDMで話をするようになった。大人の男の人たちはみんな優しくて、そして、私が中学生だと言うと、すぐに私の写真を欲しがった。気持ち悪いなあと思ったことだって何度かあったけど、それでも、私のことを汚らわしいとか嫌らしいとか思っていない大人の人と話すのは楽しかった。 

 でも、そんな大人の男の人の優しさは見せかけなんだとそのうち気づいてしまった。写真を送らないし、会おうともしない私のことを本当は中学生の女の子じゃないと疑いはじめたり、どうしても会いたいと言われて、それを断ると手の平を返したかのように怒り出したりする。そうか、この人たちは中学生の女の子と会いたい。そのためだけに優しいんだということに気づいた。それでも、SNSで男の人たちと話すのをやめられなかった。


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