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【短編小説】『私のアン・シャーリー』




あんちゃんが私のいる小学校に転校してきたのは、小学五年生の時だった。この田舎町に時々転校生は来るけれど、私のクラスに来たのは初めてで転校生という存在にとてもワクワクしたものだ。

先生が黒板に大きく「高遠杏子たかとおきょうこ」とふりがなつきで書いたその隣に立たされた杏ちゃんの姿を今でも鮮明に思い出す。あの日、杏ちゃんが入ったのが私のクラスだったのは運命だったに違いない。

きつく編まれた二本の三つ編みに東京から来た女の子と言うちょっと敷居の高い情報が和らいだのは束の間だった。自己紹介をするように先生に言われた杏ちゃんはこう言ったのだ。

「私の名前の『きょうこ』のきょうは『アン』とも読めます。だから私の事はアンと呼んでください。ただのアンじゃなくてEのつくアンでお願いします」

「あら」と先生は一瞬驚いていたけど、次の瞬間にはみんなに仲良くするようにみたいなことを言っていた。

「いーのつくあん」ってどういう意味だろう? 

私はあんぐりと口を開けていたと思う。私も含めたクラスメイトの全員が呆気にとられている中、杏ちゃんはそんなクラスの空気をものともせずに先生に指示された空いている席に座った。それは私の隣だった。私はどきどきしながらこう言った。

「私、近藤月子。よろしくね。私はみんなからはボンちゃんって呼ばれてるの」

杏ちゃんの大きな瞳がこちらに見開かれた。

「何でボンちゃんって呼ばれてるの? 月子って名前素敵よ?」

「素敵」という言葉を当たり前のように使う人は杏ちゃんが初めてだったので私は少しひるんでからこう答えた。

「いつもボンヤリしてるからだって。でも気に入ってるよ、ボンちゃんって呼ばれてるの」

「ふうん。でも私は月子って呼びたいな。月子って呼んでいい?」

私の返事を待つこともなく「よろしくね月子」と杏ちゃんは言い、私はとてもどきどきした。

私の子ども時代は大きく二つに切り分けられる。杏ちゃんと友だちになる前とその後に。杏ちゃんが月子と私を呼んだ瞬間のことはこうしていつだって思い出せる。ボンちゃんだった私が月子になった日。





「月子の名前が月子だって知った時の私の方がよっぽど運命感じたよ。私にもダイアナみたいな友だちができるかもってワクワクした」

「いーのつくあん」のことはあの時すぐに杏ちゃんが教えてくれた。杏ちゃんは本を読むのが大好きでなかでも一番好きなのが「赤毛のアン」だった。

いーのつくあんは赤毛のアンのことだったのだ。

あの二つの三つ編みも赤毛のアンがしていたからだった。アンちゃんが私の名前に運命まで感じたのはアンの一番の友だちがダイアナでダイアナは月の女神の名前だから。少しこじつけたかんじもするけど、杏ちゃんにとって嬉しいことだったのは確かなのだと思う。

「でも、私たちマリラとリンドおばさんくらいになっちゃったね」

私がそう言うと、杏ちゃんは青白い顔で首を振る。

「月子はずっと私のダイアナだったよ。これからも変わらない。リンドおばさんだなんて冗談よしてよ」

「あれ? 私がリンドおばさんだなんて一言も言ってないのに」

「私がリンドおばさんなわけないでしょ。マリラかリンドおばさんから私はマリラに決まってる」

歳をとっても杏ちゃんの笑顔は変わらない。

悪戯っぽい瞳で田んぼのあぜ道を大草原に変えてしまった杏ちゃん。通学路の小さなトンネルにお化けトンネルと名前をつけて私を怖がらせた杏ちゃん。私の少女時代の輝きは杏ちゃんと一緒にいるといつでも取り出せる。

私はあまり勉強ができる方ではなかったから杏ちゃんと同じ高校に行けなかった時はがっかりさせてしまったけど、私の両親や先生だって無理だと思っていたのに杏ちゃんだけはきっとできると信じてくれていたのが嬉しかった。

でも、この頃からきっと杏ちゃんは遠くへ行ってしまうんだろうなあと寂しい予感がしていた。

私たちは別々の高校に行っても週末には一緒におしゃべりした。

「私、東京の大学に行く」

そう言われた雪の降る日は心臓がずくんずくんと鳴った。

杏ちゃんは第一希望の大学に合格して、私は泣きながら見送った。

「月子、泣かないでよ。アンは何度もダイアナに手紙を書いたでしょ? それにいつもグリーンゲイブルズに帰ってきた。私だって同じだよ」

私はそれからいつも、アンちゃんがこの町に帰って来るのを何度も待った。





「あの時は私だって不安だったけど、月子が泣くから何も言えなかったよ」

私は杏ちゃんのすっかり細くなった腕から目を逸らして手をとった。アンちゃんが膵臓癌で半年持つか分からないと教えられた時は二人で子どものころに戻ったかのようにワンワン泣いた。

杏ちゃんのやりたいことを全部やると決めて最初に行動にうつしたプリンスエドワード島への旅は夫と子どもたち三人に反対されたけど一番上の二十歳の孫の貴文だけが賛成してくれた。

「アンちゃんと一緒だとおばあちゃん子どもみたいになるね。いいよ。来週から春休みだし、俺がついていくならおじいちゃんも父さんもみんなも文句言わないでしょ?」

ただし、俺の分の旅費は払ってねとは言われた。でも貴文についてきて貰って大正解だった。70を前にした初めての海外旅行というだけでも大変だったけれど貴文は私たち二人をしっかりとエスコートしてくれた。結局私たちは二人とも貴文にボーナスまであげた。

憧れの景色を前に私は本当に赤毛のアンの登場人物になれたような心地だった。

グリーンゲイブルズ緑の切妻屋根が目に入った時、自然と涙が溢れた。喉が詰まって何にも言えないでいると、杏ちゃんと目が合った。杏ちゃんがプッと吹き出したので私も笑った。

「この年になってこんなに興奮することがあると思わなかった」

「そうだね。もっと早く来れば良かった」

私がそう言うと杏ちゃんは首を振る。

「ううん。今で良かった。月子と来られたから」

「そう?」

「うん。そうだよ」


こんなに遠くの外国なのに私たちにとってはとても近い場所だった。ずっと心の中にある場所だったからだ。家族の反対を押し切ってでも来て良かった。

アンちゃんが40年前に別れた元夫にも会いに行った。アンちゃんが離婚してこの町に帰ってきた時、私は何も聞かなかったけど、初めて憎み合って別れたふたりではなかったことを知った。子どもを授からなかったことが小さなひび割れになり壊れてしまったのだ。

アンちゃんがこの町に帰ってから学習塾を開いたのもそんな出来事があったからなのかも知れない。私の三人の子どもはみんな小学生の時にアンちゃんに勉強を見て貰った。


沢山あったやりたいことリストの半分までたどり着いた時アンちゃんはこのホスピスに入った。ちょうど一年が経っていた。三月だった。担当医によると、もういつ何が起きてもおかしくないと言うことだった。アンちゃんの意識のある時に楽しかったことを私は話した。

「もう思い残すことないなあ」

冗談みたいにアンちゃんが言って私の胸は冷えた。半年と言われた余命が一年も伸びたのだ。満足するべきかもしれない。でも十分だとはとても思えなかった。

「まだあるよ。今年のサンザシをまだ見ていないじゃない。うちの庭のサンザシが咲くまでは死ねないでしょう?」

アンちゃんは薄く笑った。

「そうね。花の魂の天国を見るまでは死ねないね」





「月子、ありがとう」


サンザシが咲くころ、アンちゃんは旅立った。

また、遠くへ行ってしまった。でも私はもう寂しいとは思わない。アンちゃんは私に一番近いところにいつもいるから。

あれから何度か季節が巡ってサンザシが咲く度に私はアンちゃんの思い出に浸る。古い思い出から、プリンスエドワード島まで。アルバムをめくっていると一番下の小学生になったばかりの孫の瞳が私が編んでやった三つ編みを指で触りながら不思議そうにこちらを見ている。

「アンちゃんは、おばあちゃんのお姉ちゃんでも妹でもないんでしょう? お友だち?」

私は瞳を膝に乗せて頭を撫でてからこう言った。

「腹心の友と言うのよ」

「ふくしんのとも?」

「特別で、とびっきり素敵なお友だちのことよ」

「ふうん」と分かっているのかいないのか瞳は頷いた。

私は初めて彼女を待たせている。きっといつか、サンザシの花を両手いっぱい抱えて迎えにきてくれるだろう。

待っていてね。私のアン・シャーリー。きっとあなたがうんざりするほど長くは待たせないはずだから。






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