見出し画像

「断罪パラドックス」   第4話

前話へ  /  このお話のマガジンへ  /  次話へ

第二章 二村瞳



 家の周りにはカメラやマイクを持ったマスコミの人が詰めかけていた。いかにもそれっぽいワゴン車が何台も家の周辺に連なって停まっている。私が生まれたころにできたというかつての新興住宅地はドールズハウスをきっちり並べた美しい箱庭のようで、平穏な未来の象徴のようだったと思う。でもそれは私が勝手にそう思っていただけで、実際の中身は村社会そのものだ。この美しい箱庭では少しでも変わったことがあれば近所の人の噂話の種になる。

 一条くんのお母さんが、緊急全校集会であんなことを言ったせいで、私は学校にも行けていないし、外に出ることさえできない。はっきり言って一条くんのお母さんの言い分には、その場で言い返したいくらいだったけど、あの時拡声器もマイクも持っていなかったから、私にそのチャンスは訪れなかったし、一条くんが自殺したという事実は十分に私を動揺させていて、言い返す気力もなかった。

 毎日毎日、新聞や週刊誌の記者やカメラマンが飽きもせずインターホンを鳴らしたり、私の両親が外に出るたびにマイクを向けたりするから、お父さんは家に帰ってこなくなった。一条くんのお母さんは私が一条くんを殺したと言いたいのだろうか。お門違いもいいところだと思うけど、あの場にいた人みんな一条くんのお母さんの言うことを信じてしまったみたいだ。確かにお医者さんで、PTA会長もやっている人だから、あの人の言うことを信じたくなる気持ちはよく分かる。でも、少なくとも私はあの人がとんでもない人だということを知っているし、もしかしたら、それを知っているから私を一条くんの自殺の原因だと臭わせておきたいのかもしれない。あの長ったらしいスピーチは一見攻撃にしか見えないけど、実はあれは私に何も言わせないための最大の防御なのかもしれない。

 それにしても、一条くんのお母さんのあのスピーチの内容はちょっと……。ううん。かなり変だった。息子が自殺した。本心がどうであれ、それがあの人にとっての一番の関心事であるのが自然だ。いったい、なんでずいぶん昔に起きた自分の妹が殺された事件の話を持ち出したんだろう? それに私が見た一条くんとあの人の関係はあの時あの人が話していたかんじとは、かなり違うと思う。少なくとも、あの人は子どものことなんて、一条くんのことなんて一つも理解してなかったと思うけど……。

 でもまあ、それはどこの親だって同じかもしれない。私だって人の家族のこととやかく言っている余裕なんてない。一条くんのお母さんがあんなことを言ったせいで、私は自分のお母さんから責められた。
「瞳ちゃん、一条くんのお母さんはあんなことを言っていたけど、嘘よね? 瞳ちゃんが男の子とお付き合いをしていたなんてあり得ない。そんな汚らわしいことするはずないものね?」
 じんわりと背中からつま先にまで鳥肌が走ったけれど私はお母さんの質問に頷いた。



 うんと小さかったころの私の毎日は幸せそのものだった。お父さんは仕事で忙しいらしく帰ってくるのは私が寝静まってからで、平日はほとんど朝しか会えなかったし、土日もどちらかはゴルフに行っていたけど、私には優しかったし、ゴルフじゃない土日のどちらかは家族を外食に連れて行ってくれた。お母さんは専業主婦でお料理やお菓子作りが上手な人で、幼稚園から帰って来たとき、焼き菓子の焼ける甘い匂いが家の中に漂っているのが私は嬉しかった。家の中はお母さんが完璧に清潔を保ってくれていたので、とても快適だった。

 あの時のまま幸せでいられたらどんなによかっただろうと思う。でも、自分の人生の分岐を何度考え直してみても、起きてしまったことや、過去はどうにも動かせるはずがない。 私の幸せが崩壊した日を今もはっきりと思い出せる。あれは小学五年生の夏休み。午前中、お友だちと遊びに行って、お昼を食べるために家に帰ったら、お母さんがいなかった。家の鍵はかかっていなかったから、中には入れた。

私は冷蔵庫からオレンジジュースを出して飲んだ。しんとした家の中にいるのが心細くて、ジュースを入れたグラスを持ったままリビングに行ってテレビをつけた。両親がいる時であればお行儀が悪いと言われるのが分かりきっているから、いつもはそんなことをしないのに、テレビを近くで見るために、リビングの応接セットのローテーブルの角に座った。ちょうど、角を太ももで挟むような形になった。その瞬間、何かが、とても素晴らしい何かが這い上がってくるような心地がして、私はその正体を確かめるために、太ももや腰を動かしていた。

 いよいよ、素敵な何かの正体がつかめそうな、そんな瞬間だった。

「瞳ちゃん、何しているの!」

 後頭部に平手が飛んで来るのと同時に、いつもはとても優しいお母さんのそれまで聞いたことのない怒声が耳をつんざいた。

「何をしているの? 汚らわしい!」

 何をしているのかをその時の私は知らなかった。でも、この日から私はお母さんの可愛い瞳ちゃんではなくなってしまった。

 この日から私はお母さんにとって汚らわしいものになってしまったんだ。


前話へ  /  このお話のマガジンへ  /  次話へ


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?