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⑨【水上優 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

「何か人がやっていないことをしたい!」
と言って能楽師になった父が
息子のために書いたノートの中身とは?

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昨年2020年3月に延期となりました五雲能が約1年半越しに上演されます。今回、インタビューさせていただいたのは「葵上」を勤める水上優先生。お父様が能楽師となるまでの貴重なお話や、ご子息との共演のお話など、「親子」がテーマの内容となりました。

ーー優先生が「受け継いできたもの」は何ですか。
父が書いた子方の型付ですね。私が子方になったときに、父が子方の型(動き)をノートに書いたもので、僕が何を勤めたかという記録も兼ねています。亘さんのインタビュー回でも型付をご紹介されていましたけど(※第7回にインタビューを掲載)、謡本の文句の横に「~へ行く」というように、どこで何をするかを記入したものが一般的なんです。父もシテの付を他の方たちと同じように謡本に書付してありますが、この子方の型付にはさらに謡の文句も書いてあるんです。

「鞍馬天狗」の型付を見ていただきますと、
「シテ名乗リ クツログ時、出ル 一ノ松に立チ(一足ツメ)」と書いてあります。

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どなたかの型付を写していると思いますが、もとになるものがどなたの物であったのかは僕は聞いていないので、それが父の師匠であった佐野萌先生がお持ちになっていたのか、別の先輩だったのか分かりません。


ーー表紙裏の、曲の下にある「正」の字は何を表しているのですか。
僕が子方時代に勤めた曲の数です。全部数えたら84番ありまして、なかなか頑張ったなと思いますね(笑)。この間、次男の嘉(よし)が子方として出た曲数を数えてみたら50数番でしたので、僕が勤めた番数の方が相当多かったですね。忙しかったです。

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これが、僕が初舞台を勤めた「西王母」です。渡邊三郎先生がシテを勤めていたということを父が書き残しています。
 
「船弁慶」は同年代の小倉健太郎君も伸二郎君(※第8回にインタビューを掲載)もこの曲を勤めていたので、僕の回数は意外と少ないんです。
 
子方の稽古は宝生英照先生に稽古してもらいました。一度勤めた曲は何度も勤めました。僕がやっていない曲を健太郎君がやっているので、たぶん英照先生が振り分けていたんじゃないかなと。
 
僕は覚えていないんですけど、こんなこともありました。「富士太鼓」は最初、シテと子方がしばらく一緒に謡うんですよ。そのときシテを勤めていらっしゃったのが某先生だったのですが、年齢のせいもあり、声がすごく小さくて、子方の僕は教えられた通り大きい声で謡うから、囃子方が僕の謡に合わせて打ってしまいまして。舞台が終わってから「あんなにでかい声で謡わせるんじゃねえ。」と某先生から怒られたと父から聞きました(笑)。
 
ーーお父様はどのような方でしたか。
父はすごくマメな人で、型付を見ると、舞台に出た日付や、シテがどなたかだったかということまでちゃんと書いているんです。
 
父はもともと能楽師の家の出ではなくて、高校を卒業して一般の企業に就職しました。福井県出身で、地元の企業に就職したけれども、その仕事では満足できず、
「何か人がやっていないことをしたい!」ということで、子どものころ謡を習っていたことから能に携わる仕事がしたいと思ったそうです。

ただ、職分に習っていたとかではなくて、おそらくその町にいた嘱託みたいな方に祖母が習っていたようですね。父は祖母から手ほどきを受けるというくらいだったと思うんですけど。どうすれば能楽師になれるのか全然分からないので、いきなり上京して当時の家元(宝生九郎重英先生)のお宅にアポ無しで訪ねたそうです。そのとき英雄先生の妹の公恵先生が対応してくださったと聞いています。

父は自身の来歴が恥ずかしかったのか、詳しくは僕に語らなかったんですけど、たぶん最初は門前払いされて、その後何度か家元のお宅に伺ったと思うんです。何度も伺っているうちに、公恵先生が田舎の若者を哀れに思ってくださって、「じゃあ、私が稽古してあげるから、気が済んだら田舎に帰りなさい。」と、稽古してくださったと聞きました。しばらくの期間、公恵先生が稽古してくださって、改めて「能楽師になりたいんです。」と話したら、公恵先生が「この世界は子どものころから稽古して舞台に立つのが普通だから、すでに大人のあなたが能楽師になるのは難しい。ただし、藝大に入って囃子の勉強なども全部すれば、謡のお師匠さんくらいにはなれるかもしれないから、藝大を受けてみたら。」と勧めてくださって、父は藝大受験を決心したそうです。
 
無事合格できまして、そのときに藝大の教官をしていたのが、佐野萌先生でした。父は藝大を卒業して謡のお師匠さんになれればいいというつもりでいたようですが、佐野先生や他の方々がせっかくだから舞台に立てるようにと当時の家元や流儀の主だった方に相談してくださったようです。

そんな幸運が重なって、父は能楽師として舞台に立つことも許されるようになりました。スタートは遅かったですが、歴代の家元からお役をいただいて、他の方たちと変わりなく、「道成寺」や「翁」などの披きの曲も勤めさせていただきました。結婚して僕が生まれて、僕は2代目というか家の子になるので、子供の頃から舞台に立つことができました。父とは別の苦労もありましたけど。
 
父は子方を経験していないので、僕に教えるために子方についてものすごく勉強したと思うんですよね。それがこの細かく書き込まれた型付から伝わってきます。

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ーー優先生ご自身は、能楽師になることに悩んだ時期はおありでしたか。
僕は子方を卒業してから、このまま能楽師の道へ進んでいいのかな、と考えた時期がありました。
高校受験の時はその後に能楽師か、他の道か迷っていましたけど、高校生のころから楽屋の手伝いを始めて、小倉健太郎君ともそのころから一緒に働き(楽屋働き、舞台には出ないが楽屋でサポートすること)とか、若手の勉強会に出させていただいたりしているうちに、能楽師になりたいな、と思うようになりました。藝大を受験して、藝大に入るのと同時に内弟子に入りました。悩んだ時期はありましたけど、短かったですね。
 
この世界は一時期能の世界から離れて戻ってくる人もいますし、子方を卒業して別の道に進む人もいます。父もそうでしたが、子方を経験していなくて、大人になってから能楽師になる方もいますね。
父は、そのような大人になってから能楽師になった後輩を特に気にかけていたようです。

ーーお父様のお稽古はいかがでしたか。
稽古のときは結構厳しかったですね。謡はできるようになるまで何度もしました。
先ほど子方を84番勤めたと言いましたが、その中で、父と一緒に子方を勤めたのは3番くらいかな。わりと少なくて、「生田敦盛」「歌占」あと何だったかな…。
「生田敦盛」は2年前に僕は夜能でシテを勤めさせていただいて、そのときは次男の嘉が子方でした。父の謡本に父と私が共演したときの番組が貼ってありました。2代続けて本当の親子で親子役を演じるというのは弟子家としては珍しいことかもしれませんね。

(表紙の写真)

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ーー優先生には反抗期はありましたか。
僕の母は「なかったと思うわ」と言っているんですけど、僕自身は、一応、ちょっと鬱屈したときはあったと思います。母は気づいてくれなかったのかもしれません(笑)。僕はよくある反抗期のように、怒鳴ったり物を投げたりはしなかったですけど、中学後半くらいのときは親の言われることが面倒くさいと思うときはありました。
次男の嘉はまだですが、長男の達(たつ)には反抗期らしいときはあったような気がします。なんかいつも不機嫌なときがありました。それでも「うるせえ、くそじじい!」とか言われたことはないですね(笑)。
 
どちらかと言うと、僕は次男の嘉と似ています。僕ね、今では想像できないかもしれませんけど、わりと子どものころはよくしゃべったんですよ(笑)。嘉みたいに調子に乗って(?)しゃべっていました。
達は大人しい感じですね。小学2・3年生のころはおしゃべりでしたけど、その後は落ち着いた感じです。兄弟で全然違いますね。

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ーーご子息との共演はいかがでしたか。
次男の嘉と「生田敦盛」を親子で共演できたことはとてもありがたいと思いましたね。能の中でも親子の話でしたし、お客さんも見ていて面白いというか、少し感情の入り方が違うのかなと感じました。
 
嘉も子方をもうすぐ卒業します。達の初舞台が11年前でしたので、長男、次男とずっと続けた子方の稽古をしていたのが終わるのかと思うと、ほっとしたような少し寂しいような。
今度は二人が大人になって、ツレの役がつけば、シテとツレとか、地謡とか後見で共演することになるんでしょうけど、それは楽しみではあるけれどもまた新たな責任や不安もでてくるんでしょうね。
 
親子で共演しますと、子方から親に対しては緊張がないというより、むしろ知らない人がシテを勤めるよりも安心感があると思いますけど、親は自分のことでいっぱいいっぱいな上に子どもの心配もしないといけないので、僕の場合は自分の子が子方の時はよりいっそう緊張するしプレッシャーも感じました。

ーーご子息に教えていて、今までで1番感動したことを教えてください。
長男の達が6歳くらいだったか、初めて「西王母」の子方を勤めた時に、申し合わせの直前だったと思いますけど寝ている時に「つぎ、どこに行くんだっけ?」と悲壮感いっぱいの寝言を聞いた時にかわいそうな気持ちというか、この小さな体で役の責任のようなものを感じているのかなと感動しました。
次男の嘉とは「生田敦盛」と「歌占」を一緒に勤めさせてもらいました。「生田敦盛」は子方が父親へ「お父さん!」と寄ってくる場面、「歌占」は父から子へ「わが子よ!」と言う場面があって、そのとき、「ああ、自分の子に会えて本当によかったな。」というふうに思いましたね。それが感動したというか印象的でした。
 
長男の達と嘉の二人が勤めた子方の型付はだいたいこのノートにあるもので済みました。それ以外は2〜3番くらいで、他の方からお借りしました。
うちの子どもたち以外にも、他の子方を教えている方から「型付ある?」と聞かれると、だいたいこの型付からお伝えしています。かなり役に立っています。
 
子方の稽古をしていると、シテ方だけじゃなくてワキや、子方の相手する役のことを勉強しないといけないので、その辺はすごく自分自身の勉強になりました。今まではシテ方を知っていればいい、という気持ちでしたが、ワキはこう動くとか、子方はこう動くとか、より深く能を知ることができるようになりました。

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ーー小さい子たちに伝えるときに気をつけていることを教えてください。
僕の稽古は他の方からしたらあまり厳しくないかもしれないですね。それこそ、昔だったら物が飛んできたりしたこともあったようですが。私は父に手をあげられることはなかったですが、ただしつこくできるまで何度もやらされました。自分の子どもたちにもできるまで何度も稽古しますけど、わりとゆるめかな。嫌にならない程度に。ただ甘やかす訳ではないんですけど。子方は1時間ずっと座っていないといけない役もありますので、舞台に出るのが嫌にならないように。
 
あとは能のストーリーを、こういうストーリーなんだよと教えておきます。例えば、「お母さんがあなたのことを一生懸命探しに来るから、その間じっとしてね。あなたが動くとお客さんがあなたの方を見ちゃうから、動いちゃだめ。」というようなことを言ったり。

 
ーー今回の五雲能で「葵上」を勤められますが、お稽古していかがですか。
「葵上」のシテは初めてですけど、地謡で何十回も謡って、ツレも何度も勤めている曲になります。なんといってもテーマが重いです(笑)。難しいですね。
 
シテの稽古をしていくと、地謡とかで座っているときは、実際にシテが動き始めて、後の「イノリ」の場面が面白いなと思って見ていましたけど、シテのお稽古をし始めてからは始めに最初出てきて、恨み辛みを語っている所が重要なのかなと思うようになりました。
 
去年の3月に勤める予定でしたので、だいぶ飛んじゃいましたね(笑)。延期が決まったのも、公演の2週間くらい前でしたね。
時間があった分、ちゃんと稽古ができていないといけないでしょうけど。稽古する時間が長くあったという面ではプレッシャーですが、曲に対する考え方は変わりません。

ーー「葵上」で注目して観ていただきたい所を教えてください。
先ほどと重なってしまいますが、見た目で面白い、小袖を打つシーン。その後の枕の段と呼ばれる地謡に合わせて動く型所。それから後半の般若の面になってからの「イノリ」は見た目では面白い見所だとは思うんですけど、そこまでに至る、抑えていた感情がだんだんと高ぶっていく過程が出せたらいいかなと思います。難しいですが、そこが大切だと思うので。

ーー女性の役を演じるときに気をつけていることはおありですか。
稽古のうちから歩幅を小さくしたり、「平卧(へいが)」といって胡坐になったときに膝が開いたらいけないというような所は稽古の段階から先生に言われます。拍子を踏むときにしても膝を乱暴に上げるなとかですね。

ーー能を今まで観たことない方にどのようなアプローチをしたら良いとお考えですか。
あまり難しく考えずに、能ってどんなものなんだろうと思って気楽に観に来てほしいです。ただ、何も予備知識がないと辛いと思うので、あらすじや登場人物を頭に入れておくことをおすすめします。あらかじめあらすじを知るのがいやな方もいるらしいですが(笑)。

あとは、謡の言葉が聞き取れない、とよく言われますが、謡をきちんと聞き取れるほどになるには10年、20年かかると思います(笑)。自分で習わないと難しいですね。所々なんとなく聞き取れる言葉が入るくらいで、外国語のオペラを観ているくらいのつもりで良いと思います。

 
ーー最後にお客様に向けてメッセージをお願いします。
本来昨年の3月に演じる予定でした「葵上」を、1年以上かけてようやく勤めることができます。気持ち新たに心して演じたいと思いますので、ぜひお越しください。

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日時:6月17日(木)、インタビュー場所:宝生能楽堂楽屋、撮影場所:宝生能楽堂楽屋、7月五雲能(2020年3月延期公演)に向けて。

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水上優 Mizukami Yutaka
宝生流シテ方能楽師
水上輝和の長男。1977年入門。18代宗家宝生英雄、19代宗家宝生英照に師事。初舞台「西王母」子方(1977年)。初シテ「吉野静」(1997年)。「石橋」(2002年)、「道成寺」(2005年)、「乱」(2006年)、「翁」(2016年)を披演。
 
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おまけ話~YouTube出演について~
能楽師親子の水上家に親子関係や稽古の様子についてインタビューしています。(去年の5月頃、学校が休校になっていたときに撮影)
宝生会スタッフ「あのときは、コロナ禍に家族でよくあるトラブルやすれ違いをどう乗り越えていますか、とお伺いしたかったのですが、もともとそれがあまりないご家庭で(笑)。インタビューが難しかったですね。」
優先生「二人ともあれから1年立ったので、このときよりはもうだいぶ成長していますが、ぜひご覧いただければと思います。」


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