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さようなら、2DK

僕の住んでいる部屋は、他の部屋より4万も家賃が安い。

理由を話すと、たいてい驚かれる。







新宿区にあるこの部屋を内見したとき、僕は一瞬で庭の虜になった。コンクリートで無機質で広い庭。これだけ広かったら……



女の子と花火ができる😏



部屋も2DKと広く、寝る部屋と仕事をする部屋を分けられるのがよかった。

大家さんは70代くらいの品のいいおばさまで、言葉の端々から美しさが漏れていた。内見で興奮気味の僕に、笑顔で丁寧に説明してくれたのを覚えてる。

明日までに申込むかどうか決めます、と僕が言うと、大家さんは「よかったら、お茶でもいかが?」と誘ってきた。



知り合って間もない大家さんに連れられて、駅前の洋菓子屋に入り、大家さんは紅茶、僕はコーヒーを頼んだ。大家さんが昔の写真を見せてくれた。

若い頃の大家さんは、加賀まりこ、という女優さんに似ていた。家庭科の教師をしていたらしい。面影はしっかりあって、今も昔も美人だと思った。

「絶対におモテになりましたよね」

「え?」

「あ……(声を張って)この頃、相当モテたんじゃないですか?」

なぜか笑われて、

「ううん、けっこうこの頃ね、性格もきつかったから」

「そうなんですか?」

「そうなの」

大家さんがお手洗いに立っている間に、僕は会計を済ませておいた。逆に失礼に当たるかな、と思ったけど、これから部屋の借主としてお世話になるかもしれないし、と思って。

戻ってきた大家さんは会計済みだと気づいて、最初は恐縮してみせたけど、すぐに「じゃ、ごちそうさま」と可愛く笑った。

一日経たずと、やっぱりあの部屋がいいな、と思って、不動産屋に電話をした。すると、不動産屋さんから「大家さんのご好意で家賃を下げてくれるそうで」と言われた。



「え、4万も!? ……ですか」



ここまで読むと、僕がカフェでお茶代を奢ったことで、家賃を爆下げしてもらったみたいだけど、それだけが全てじゃない。

この部屋は、というかマンションがだいぶ古くに建てられたもので、耐震の問題からいずれは建て壊さないといけなかったのだ。その日はいつ訪れるかわからない。そういう意味でも安くしてくれたらしい。



そして、その日は急に訪れるーー。







この2DKの部屋を引っ越しにあたって、いま、僕は断捨離をしている。新しい部屋が少し狭くなるからだ。

あらためて、部屋と向き合うと、いろんなところに元カノや、恋人にはならなかったけど好きだった人たちの面影が、時間を越えていまも呼吸しているのがわかる。

最近ハマってる曲を聴かせるためによく使ったスピーカー。いっしょに読んだ本を飾ったりした本棚。ベッドの上から必死にゴムを取ろうと手を伸ばした木の小棚。

夜、し終わったあと、アイスが食べたくなってふたりでミニストップに行くために乗ったスケボー。僕だけ乗れて、たいていの女の子は乗れないのが可愛い。けど、ひとりセンスのある子もいたな……元気かな?

その子とは、近くの酒屋さんからビールケースをもらってきて、それを庭に置いていっしょに花火もした。

そんな面影息づく家具や雑貨をほとんど捨てたり、友人にあげたりしている。思い出を手放すことは、やっぱりどこか寂しい。

DJのターンテーブルとミキサーは、買取業者に売った。業者はシンガーソングライター志望の若い男の子だった。彼は社用車に乗ってきていたので、僕は思い切って「家具とかいらないですか?」と聞いた。「え?」って返されつつも仲良くなって、ブランケットも全身鏡も引き取ってもらった。全身鏡は、よく髪を梳かしたり化粧をしてる最中の女の子に後ろから抱きついて、本気でうざがられた。

業者の彼は、いろいろもらったお礼にと言って、からあげくんとレッドブルをくれた。夢に向かって頑張れ。



大家さんが亡くなり、大家さんと行った洋菓子屋もチェーンの喫茶店に変わり、部屋の家具もだいたい無くなり、僕だけが変わらずここに残っている。寂しいけれど、いま、体がとっても軽い。




これから新しい部屋で、僕はどんな子と楽しい時間を過ごすんだろう……。



さようなら、2DK。

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