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視点の狭さが起こす残念な結果

 視野が広い人と、目の前のことしか視えない人の結論は自ずと変わる。
例えば、、、


【やりたいからやるという経営者】

 ただ、やりたいから新しい事業をやるという人がいる。それが、個人事業なら勝手だが、社員もいるそれなりの会社であれば、場合によっては、会社の存続に関わる。会社を永続的に続けるには、新規事業というのは不可欠ではあるが、成功可能性も低い、儲かっても投資分の回収すら覚束ないということでは、話にならない。それは、もはやただの趣味である。社員の生活を守らなければならない、そして、社員の家族の生活も守らなければならない経営者がすることではない。これも、会社全体、社員のこと、事業のことを俯瞰して視る人と、自分の事業だけやりたい人との視点の違いの結果である。


【本末転倒な、身近なボランティア組織】

 日常の身近なところでも、そんなことはある。都内であれば、町内会などそういう住民の集まりはあまりないかもしれないが、ちょっと都市部から離れれば、いまだに、町内会や育成会など、ボランティア組織はある。PTAも同様だ。こういう組織は、えてして、そもそもの目的から外れ、様々な行事を行う面倒な組織になっていく。こういう組織の役員には、ほとんどの人はなりたがらない。対価もないにも関わらず、仕事ばかり多いからだ。それにもかかわらず、解散という選択肢はほとんどでない。ただの面倒な組織に成り下がっているのだ。例えば、PTAや育成会などは、子どものための組織だが、役員にならない、なれないという人がいると、その人を排除しようとする。すると、集団登校に入れてもらえないという、組織の目的から大きく外れた、本末転倒なことが生じる。基本に立ち返り、目的となることだけをすればたいした労力もかからず、役員の成り手も増えるだろう。共働き世帯がほぼ半数となっている現在、仕事を休んで、このようなことに関わるということは生活にも関わる。これも、視点をそもそもの目的に戻せば、すぐに気づくことだが、ほとんどの人は、誰それがやるべきだ、誰それが気に入らない、去年もやった行事は今年もやる、、などと狭い視点でしか物事を考えない結果である。


【正しい判断のできない学校】

 子どもの話をしたので、思い出したが、近年の夏はすごく暑い。コロナ騒動でマスクをしていれば尚更だ。そこで、学校に行くときに、日傘を使う、登校時はマスクを外すなどといった提案が家庭から出された。一部の学校は、それは許可できないと言ってきた。登下校という外の環境であること、子どもがコロナにかかったとしてもほぼ重症化しないこと、コロナより熱中症の方が子どもにとっては危険であることからして、その判断は大きな誤りだと思っていたが、案の定、数日後、許可された。先生の思考停止と推測している。これまでもダメだったから、これからもダメだという判断だったのだと思う。何が許され、何がダメなのかは、その都度考えるべきことであり。これまでもダメだったので、今もダメという判断をするような大人の下で、大事な子どもを任せることは、大変不安であり、教育という本来の仕事すら不安に思える。これも、視点の狭さからくる、間違った判断だと言える。


【視点の広げ方】


 視点を広げるということは、日々意識していくことで身につけていくしかない。
1)なんらかの判断をしなければならない事態においては、一旦、冷静になる。
2)あらゆる利害は一旦頭から外す。何が正しいのかをシンプルに判断。
3)その上で、自分の利害を考慮する。
4)その利害がただの自己満足に過ぎないのか、大義があるのかを、もう一度冷静に判断。・・・
 といったように、すぐに判断せずに、一歩引いて考え、ロジカルに考える癖をつけていくしかない。

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