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70歳になってようやく、運が回ってきた

今の世の中で、将来明るいと感じている人はどれくらいいるだろうか。将来がとても明るいとは言えず、何となく生きづらさを抱えている人の方が多いだろうか?このnoteを書いている人でいうと、将来明るいと感じている人とそうでない人の割合は、2対8ぐらいではないだろうか。将来不安に感じているから書くことによって少しばかりの自信を回復する、というような書き手が多いような気がする。

他人の不幸は蜜の味という。他人の不幸な状況を読んで、自分はそこまでではないと安心したりすることはないだろうか。そんなことはないという人も、他人の自慢話には聞く耳を持たないだろう。自分の将来は明るいと喜んでいる人の記事を読まされるのは、うんざりで何か損をしたような気分になるかもしれない。ところで、ぼくは今日、自分の将来は明るいということを書くつもりである。さてあなたはここで読むのをやめて去って行ってしまうだろうか。ぼくはもう70歳に手が届きそうな年齢になってようやく、将来が明るいと感じ始めている。運が回ってきた感じがする。それはぼくの周りの環境がぼくの望んだ方向に進んでいる、という実感が持てたということだ。自分が若い頃に悩んで苦労して進んできた道を、周りの人たちが進もうとしていると感じられる。だから自分が優位に立てると思える。ぼくより上の年代の人は、デジタル環境にアレルギーを感じている人が多いことが、今日野々市市の文化協会理事会で明らかになった。スガシカオの歌 progressに、「本当はシメシメと思っていた」という歌詞があるけれど、その感じを味わってぼくの将来は明るいと思ったのだった。


[ 読連協活動報告:文学講演会と文学散歩 ]
野々市市読書会連絡協議会(略称;読連協)では、月一回の所属3サークルの読書会の他に、年に2回の公開の活動をしています。春5月に、文学散歩、秋11月に、椿まつり公開文学講演会を行っております。昨年秋の文学講座の方では、金沢市民文学賞を受賞された剣町柳一郎先生の椿守り武士がいた頃の江戸、加賀の文化を紹介する講演会を開き、37名の参加がありました。また時代小説家としての創作内輪話もされ、史実を調べるだけでなく想像も入れる醍醐味には興味を引かれ聞き入ることもありました。講演後の質疑応答時間には講師と市民との活発な交流があって、椿まつりらしい時間となりました。

5月24日には、文学散歩として毎回文学作品や作家のゆかりの場所を訪ねる活動をしていて、今年は徳田秋聲記念館を訪問しました。10名の参加で福祉バスを利用し、途中秋聲の生家があった横山町を通り、ほんの少し当時の面影を偲んでみました。初夏の快晴の割にはひんやりとした風が気持ちよく、記念館前の梅の橋で思わず記念写真を撮りました。

徳田秋聲記念館付近は浅野川河川敷が整備され、また卯辰山の山並みがのどかな景観を作り梅の橋を中心に金沢情緒あふれる観光場所となっています。さて記念館では若くて熱心な学芸員のレクチャーをたっぷり1時間強聞くことになりました。現在は泉鏡花に人気を大きく水をあけられた感がありますが、ゾラをはじめとする西洋の自然主義文学に出会ってからの秋聲は師の尾崎紅葉を凌ぐ文豪として活躍し、人気も鏡花と肩を並べるほどでありました。何しろノーベル文学賞作家川端康成が、「源氏にはじまり西鶴に至り、西鶴から秋聲に飛ぶ」と評し、日本文学の正当な系譜の引いているとの称賛を示しているくらいなのです。いわば日本の文学のふるさとを築いた人という位置付けです。私たちは俄然意を強くして記念館を後にして、近くの松魚亭まで散歩していくことにしました。歩いて疲れたこともありランチを美味しく食べ、会員同士の懇談にも花が咲きました。

昼食を終えると福祉バスが松魚亭駐車場に来ていただいて、卯辰山頂上近くの秋聲文学碑を訪れました。記念館の学芸員の話では、石碑ではなく文学碑としては日本最初の建造物だそうで、建築家の谷口吉郎作ということでした。郷土に愛された文豪をこれから読んでいきたいと思っています。

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