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「ない」の連鎖を知るのです。

私はこの私のnoteアカウントでの記事でも、それと連動することが多いSNSでのアカウントでも、Autism 性の問題のスタート地点に「他者視点がない(または弱い)」を置いた上でお話しをしているのですが、はてさてその「他者視点」とは一体何なのでしょうねぇ…。

餅餅茶【鮹船茶】(@12theearthqq) さんのポストが云わんとするところは「その通り」で、誰もが「私と相対するあなたの気持ち」など分かるワケはないのでしょう。

では何故、私のような Autistic は「他者視点がない(または弱い)」と評されてしまうのか…と問えば、「あなたと行動を共にするのに必要な最低限の『私の配慮』を、あなたが私の言動から感じられないから」だと私は思うのですよね。
つまり、あなたは「あなたが思った通りに私が行動する」なんて思っているワケではなくて、私の言動に「あなたを慮る仕草」を感じないことに「人間味の無さ」を見出してしまう…ということなのでしょう。

それは、例えば私の過去記事「ナチュラル故に気付きません。」で書いたようなエピソード…長男がツバメの巣を見上げて写真を撮って送ってくれる…のような、私を慮る「ちょっとした心遣い」のようなものの弱さの、日々の積み重ねが作り出すものなのだろう…などと感じるのです。

ひとつひとつの行動は、さほどズレていないのかもしれません。
大体にして、定型/典型のあなたであっても全てに於いて「誰かへの配慮」が優先されるワケもなく、慮った結果「逆効果」なんてこともあるのでしょう。
ただ、そこには「あなたがいて」という意識がベースにあった上で「私はどう行動するのか」という意思が存在するとした時に、私も同じように考えられるのか…。

あなたを慮った結果として、「私にどのように行動して欲しいと思うか」を考えるのか、「私はどのように行動しよう」を考えるのか。
そこにある違いは、私という人間を能動的に動かす思考が「受動的」か「能動的」か…という部分に決定的な差があるように思うのです。

私の「あなたを慮る」は、あなたを慮るほどに前者が強く出る…結果として「あなたに合わせて私の言動を置きに行く答え合わせ」になるから、「何でそうしたの?」という問いかけに答えられないように思うのです。
「え、違うの?」とか「そうして欲しかったんじゃないの?」…とか。
その言葉に「私はこう思った」が見えて来ないからねぇ。

「他者視点がない(または弱い)」とは、結果として他者との関係性に於いて「『自分とは』の意識に弱い」ことを作り出すのでしょう。
その一方で、自己(エゴセントリック)視点は強烈に強いワケですから、誰かを慮る必要のない部分に於いては「私の存在感」も当然強く出るのでしょう。
他者との関係性で「上手く」自分を表現できない一方で、自分の世界は強くある…と周囲から見られらのなら、「自閉」という表現には「なるほど」と思う部分かあるワケでして。

さて…前回の記事「学習で改善されません。」では、定型/典型優位の社会で Autistic に期待される社会性の獲得が、自閉度の低下(改善)によって得られるワケではないのではないか…と指摘しました。

自閉度が下がる(定型/典型一般の言う他者視点を獲得する)…であれば、経験による学習によって社会性は向上するでしょう。
でも、自閉度は変わらない(定型/典型一般の言う他者視点は獲得できない)…であれば、経験による学習は、知識の積み上げでしかなく、その知識を使うために知能というリソースを割く動作(行為)が挟まることになるワケ。

note記事「学習で改善されません。」より

恐らく、定型/典型優位の社会が求める「社会性」とは、他者を慮った上で「自分とは」を明確に打ち出して、他者との調整をしながら自ら行動する…という意味ですよね。
だから、定型/典型者が求める「学習」とは、「アロセントリックな視点が作り出す『自分とは』の獲得を指す」…ということですよね。
その獲得に必要な要素として「アロセントリックな視点」があるとしたら、私は『自分とは』を獲得する自信が、ありません。

残念ながら、人間に「普遍的にある」と思われている部分が存在しない…は、私の経験上「ある」ワケで、でもその「普遍的にある」と思い込んでいるからこそ「学習で獲得できる」は成立するのだとすれば、この様な場合「定型/典型者が思う学習による獲得」は可能なのか…。

現代社会の「社会性」を作り上げている定型/典型一般の方々の感覚では普遍的に備わっている、「当たり前」であるアロセントリック視点が弱いことか作り出す Autism (自閉) の世界は、定型/典型一般の方々と同じ感覚で学習成果が出ないのだと思います。

定型/典型という社会的マジョリティは、「ない」が作り出す「ないの連鎖」という仕組みがあることを知る必要があるのだ…と、私は思うのです。

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