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夢一夜

 私は夢を見ました。

ㅤ夢の中で私は大富豪に招かれた客人でございました。
ㅤ閑静な高級住宅地に居座る富豪の屋敷は、豪邸という名が相応しく、粲粲とした意匠が鏤められており、思わず息を呑んでしまうほど絢爛としていました。
ㅤ黒服の執事らしき男が「どうぞ」と重厚な扉を開けると、奥へと続く真紅の絨毯に、風流な調度品が整然と佇んでいて、更にその上には黄金色のシャンデリアが明明と輝いており、その光を誇示しているようでした。
ㅤ脱いだ靴をこれまた豪勢な靴箱に収めますと、執事は「お履き下さい」と革のスリッパを私の足元に置き、自分の靴を箱の一番下へと誘いました。
ㅤ流石執事だな、と感服しながらも、そのスリッパを履き、刺繍の施された絨毯を慎重に歩きました。
ㅤすると、又もや立派な扉が見えてきました。
ㅤこれも執事が開けるのかと思い、待っていた所、中々執事が動きません。
ㅤはて、おかしいなと思いつつ、執事の方を窺うと、「お開けになって下さい」と云うのです。
ㅤ扉を開けるのも執事の職務では無いのか、という文句を飲み込み、扉の把手に手をかけると、「穢い手で触れるな」と声を荒らげて執事が怒鳴りました。
ㅤこんなに理不尽な事がありましょうか。
ㅤ「開けろ」と言われて開ければ「触れるな」と。
ㅤ執事は我に返ったように息を一つ吸い込んで、「すみません。つい大きな声を……」と詫びましたが、私はどうも納得が行きませんでした。
ㅤ驚きと怒りの収拾がつかぬまま、白い手袋をした執事は、把手を掴み、扉を開きました。
ㅤ忿恚困惑そのままに、開かれた扉の向こうを恐る恐る見ると、シルクのクロスを纏った細長いテーブルと、それを囲むように置かれた純白の椅子、卯の花色の壁にずらりと並べられた玄妙な絵画などが目に入りました。
ㅤテーブルの一番奥には丸々と肥えた大柄な富豪が喜色満面の笑みを湛えて座っておりました。
ㅤ富豪は、「よくぞ来てくれましたな、皆待っていたのですよ」と私を迎え入れました。
ㅤ扉に一番近い椅子に座ると、黒縁の眼鏡をした如何にもインテリジェントな男や、大きなイヤリングをしている若い娘、富豪と食の趣味が合いそうな達磨男などの顔がよく見えました。
ㅤ「皆さん集まりましたね。ではディナーと行きましょう」
ㅤ富豪がそう言うと、窓に見えていた太陽は突如として沈み、暗い夜を携えた月が訪れました。
ㅤ客人達は黙ったまま、口を開こうとしません。
ㅤ私はこの常ならぬ状況に口を挟もうとしましたが、広間は息苦しいまでの静寂に占拠されており、とても水をさせるような雰囲気ではありませんでした。
ㅤすると、富豪は手招きで執事を呼びつけ、何やらぼそぼそと指示をしました。
ㅤ執事が大きく頷いた所で、富豪は「分かったなら行け」と云わんばかりに、顎で奥の扉を指しました。
ㅤ私は扉の奥に何があるのか思案していましたが、直ぐにその疑問は解かれました。
ㅤ執事が白銀の四角いトレーに載せて来たものはクロシュだった為、恐らくあの向こうには厨房があるのでしょう。
ㅤ我々の前に置かれた大きなクロシュには、私達の顔が映っていました。
ㅤ私は驚きました。
ㅤ何故なら、クロシュに映った私の顔は生気を失っていたからです。私だけではありません。他の客人も皆、青白い顔をしています。
ㅤ何とか顔の筋肉を動かそうと試みましたが、掻い暮れ効果が無いのです。今し方からも感じていた違和感が頂点に達しました。
ㅤ富豪は屈託のない、しかし狂気を孕んだ笑顔で「さあ、召し上がれ」と静かに促しました。
ㅤ気は進みませんでしたが、掌はクロシュへと吸い寄せられていきます。
ㅤ銀の半球を持ち上げると、皿には白妙の頭蓋が小さく畏まっていました。
ㅤその須臾、私は身をよじって椅子を蹴飛ばし、死に物狂いで出口へ向かいました。
ㅤ素手でドアを乱暴に開け、絨毯を踏み荒らし、著大な鉄扉を奔流の勢いで開け放って、スリッパのまま外に出ました。
ㅤ門を通り過ぎて家の方を向くと、不思議と誰も追って来てはいませんでした。
ㅤ一先ず胸を撫で下ろし、帰途に就こうとしたとき、私は違和感を覚えました。
ㅤ一つは、屋敷の中では夜だったはずの空が昼の色に染まっていた事。それと────。

ㅤ私の帰るべき道が家々に押し潰されていた事です。

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