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ホテルオーナー探訪記 第7話 興和

沖縄から始まり、北上を続けてきて、ようやく名古屋までやってきた。今回は名古屋の雄・興和。そして、ケロちゃんコロちゃんのコーワ

どんな企業か

1894年に繊維問屋として、服部兼三郎商店として始まった。この祖となる服部兼三郎という人物は相場で失敗して1920年に自殺したようだが、その頃には株式会社にもなっており、既に組織が確立していたようで、長い年月をかけて紡績、商社、光化学、医薬品、観光と事業を拡げ、名古屋のコングロマリットとしての今に至っている。

さて、多少興和のことをご存じな人は、まず、ここで疑問が生まれると思うが、興和と言えば、三輪一族。現社長は三輪芳弘氏だし、先代はその父親の三輪隆康氏。でも、元々は服部兼三郎商店だった。この服部と三輪の関係だが、やはりドラマがあったようで、このサイトから少し抜粋してみる。

兼三郎の死は周囲を驚愕させたが、真っ青になったのは明治銀行だった。常務の生駒重彦は息を切って駆け込んできた。明治銀行は兼三郎を見込んでいて、1千万円という巨額の融資を行っていた。万一、これが焦げ付くと、銀行にとって由々しき一大事になった。
生駒重彦は顔面蒼白のさまで返済を求めた。だが、常次郎は逆に「緊急融資をしてほしい」と依頼した。生駒重彦はあっけにとられながら「それには担保が必要だ」と答えた。
常次郎にとっては、生きるか死ぬかの真剣勝負だった。もはや駆け引きも何もない。「担保? そんなものは無い。私を信用してください。命のある限りやります」とストレートに言い切った。

この常次郎というのは、服部兼三郎の遠い親戚だったようだが、興和=三輪の構図が誕生したのは上記のようないきさつが背景にあった。

もう一つ、不動産屋として興和に注目すべきは栄の再開発である。興和の子会社である丸栄という百貨店は既に閉鎖し、建替え工事が進められているが、これは単体の建替えは再開発のフェーズ1で、その後のフェーズ2として、丸栄の北側にある栄町ビル(=閉館済の名古屋国際ホテル)とニューサカエビルも含めた大規模再開発の構想がある。

フェーズ1であるはずの丸栄の建替えによる商業施設は開業が当初予定の2020年末から2022年2月以降とコロナの影響で1年以上遅れることになり、それは当然、その後のフェーズ2計画にも影響はあるはずだ。元々、フェーズ2の実現は2027年以降、というかなり先の話だったが、いずれにせよ、名駅前に押されっぱなしの栄地区が盛り返す姿は当面見られそうにない。そうこうしている間にリニアが開通してしまい、名駅前と栄の格差が決定的になってしまったら、栄には大きな公園もあるし、気が付いたらレジが最有効になっていた、というオチもあるかもしれない。

どんなホテルを持っているか

ホテルナゴヤキャッスル

元ウェスティンだが、冠を外してしばらく「ホテルナゴヤキャッスル」として営業を続けていたが、2020年9月30日に営業終了しており、2024年度を目処にラグジュアリーホテルに建替えられる予定である。駅からのアクセスはあまりよくなく、目の前の名古屋城に行くにもグルっと回らなければならず、裏は完全に住宅街なので、ホテルとしての適地かというと?だが、名古屋を代表するホテルの一つには違いない。

キャッスルプラザ

こちらも既に営業終了している。単純に定借満了とのことなので、土地・建物は別な会社が持っているようだ。

名古屋観光ホテル

通称「メイカン」だが、唯一営業しているホテルがここである。ここがなければ、この「ホテルオーナー探訪記」に興和を登場させることもなかったと思うので、そういう意味では重要なホテルだが、営業終了したホテルの人材の受け皿としても重要なのだろう。2024年度のキャッスルの建替え開業後までは、きっと人材もサービスも手厚いんだろう。

個人的な新たな発見

発見というほどの発見でもないんだけど、どうやら三輪社長のご自宅は東京都大田区にあるようです…別にいいんですけどね。


サポート→ホテルで使う→note→サポートというサイクルが回ると素敵ですね。