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フーディッド・ジゾウズ・イン・ドブヶ丘 #パルプアドベントカレンダー2023

「てめえ、その頭巾売れるまで帰ってくんなよ」
 アバヤが罵声とともに投げつけた包みをキナオは慌てて受け止めた。包みの中を確かめる。袋の闇の中で丸められた布が七色に輝いている。どうやら中身は無事のようだった。
 12枚の七色頭巾。一枚200ドブ券。それが袋の中身、キナオたちの売り物、この冬を乗り切るための命綱だ。
 廃泥蚕の繭で織ったその頭巾は七色の油色に輝き、ドブヶ丘の雨を弾く。廃泥蚕を育てるのも、そこから糸を撚り出すのも、頭巾を折るのも並々ならぬ技術が必要だ。技術には相応の値が付く。
 キナオは袋を背負いなおして歩き始める。今年の冬は特に寒い。うつむいた視界の隅に灰色が映った。空を見上げる。汚れた重金属酸性の雪がゆっくりと空から落ちてくる。キナオは半透明のフードを深くかぶりなおした。
 雪は雨よりも深刻な健康被害をもたらす。空見の婆の話しでは今年は寒くなるそうだ。雪もいつもよりも振るだろう。例年なら、こうしてキナオが七色の頭巾を売って歩いていたら、たちまち頭巾は売り切れていた。
 けれども、今年キナオに声をかける住人はいない。通りを歩く住人たちはみなスタイリッシュな半透明のPVレインコートのフードを目深に被り、通りを歩き去っていく。
 ドブンブレラ社のレインコートだ。半年前の雨季に売り出されて以来、住人たちはみなこぞってあのレインコートを買い求めた。安く、軽く、頑丈なドブンブレラのレインコートは街の雨具事情を一変させた。従来の手作りの傘や合羽は駆逐されてしまった。当然だ。どうして不便な雨具に多くのドブ券を出さないといけないのだろう。キナオでさえ、商売のときには一枚30ドブ券の安価なレインコートを着込んでいる。

 梅雨の頃、雨具長屋の隣の部屋に住む合羽づくりの老人は自嘲気味に笑って言っていた。
「もうこの年で新しいことなんざ始めれねえさ」
 夏の頃、奇妙な匂いがすると思って部屋をのぞいてみると老人が合羽の首紐で首を吊っていた。
 反対側の隣人である傘張の浪人は老人を弔い、手を合わせるとキナオたちに笑って言った。
「わしはせめて自分の腕を生かせる仕事をしまさあ」
 それ以来キナオはしばらく浪人の姿を見なかった。
 再開したのは、秋ごろに辻で倒れている人間を見た時だった。顔をのぞき込むと、見たことのある顔の浪人で、すでにこと切れていた。近くに刀がへし折られて落ちていた。どうやら辻切りになって、何者かに返り討ちにあったようだった。持ち上げたときの、やせ細った浪人の体の軽さをキナオはまだ覚えている。
 浪人を辻に埋めて、キナオは冬の予感に身を震わせた。七色頭巾も流行のレインコートに負けてしまうのだろうかと
 
 寒さが逃避していた過去から現在に意識を引き戻す。
 ドブンブレラのレインコートは安くはあるけれども、着心地は悪く、雪が染みてくるような気がする。キナオは自分の七色頭巾を持っていない。昨年まで着ていたものは雪のシーズンの終わりごろに売り払ってしまった。存外高く売れて、今年の廃泥蚕を仕入れることができた。おかげで今年は去年よりも少し多くの頭巾を作ることができた。
 今のところ、一枚も売れていないけれども。季節外れの不快な汗がレインコートの下で冷めていく。
 今日も、声の一つもかからない。
 隣人たちと同じ最期が近づいているように思えた。

「いっそのこと」
 ふとひとりごちる。
 思い出すのはドブンブレラの雇用担当、ナリトノの言葉だ。
「お二人がうちに来てもらえるなら優遇しますよ。どうです? こんなボロ小屋なんか出て、きれいな寮に引っ越すってのは」
 キナオが織って、アバヤが縫う。この街での生活を初めて、二人はずっとそう役割分担をしてきた。同じ仕事がドブンブレラのできるだろうか?  縫い子のアバヤには何かしらの仕事がある。利用価値がない人間をスカウトには来ないだろう。でも、キナオに利用価値はあるのか? PVレインコートは何を紡いでできるんだろう。
 結局、あの日はなぜだかアバヤが怒り始めて、ナリトノを追い出してしまった。もう一度連絡すれば応じてくれるだろうか。

「おう、兄ちゃん、なに売ってんだい?」
 声をかけられて意識が再び現在に戻ってくる。体格の良いスキンヘッドの男がキナオの目の前に立っていた。その側頭部には厳めしい地蔵の刺青が入れられている。キナオは慌てて笑顔を作って、袋を開く。
「ええ、七色蚕の頭巾ですよ。温かいし、頑丈です」
「頭巾、かなつかしいな。ちょっと見せてくれよ」
「ええ、どうぞ」
 もはや頭巾はノスタルジーの対象になってしまったのかと、僅かに胸が重くなる。動揺を隠して笑い、男に頭巾を一枚渡す。
 男は、ふうむと唸りながら矯めつ眇めつ頭巾を見つめる。
「いい品だな。何枚ある?」
「12枚です」
「12枚か」
 手に持った頭巾を眺めながら男は考え込んだ。
「どうしました?」
「いやな、俺の部下がちょうど12人でよ、奴らに買って帰ってやりゃあ喜ぶかなと思ってよ」
「ああ、そりゃあ結構ですね」
「ただな」
 男はにやりと笑いながらキナオの顔を見た。
「生憎、今持ち合わせがなくてよ」
 しまった、と思う。男の言葉の裏の意味はわかる。次に何をいいたいかも。わかってしまう。けれども、黙って差し出すわけにもいかない。
「これが売れないと生きてけないんです」
「おれは何も言ってないぜ」
「そうですか、それではさようなら」
「ただ、寒いアジトで待ってる子分らが不憫でよ」
「お代を頂けるのであれば」
「今持ち合わせがないって言ってるだろ?」
 戦闘力を推し量る。がっしりとした体つき、潰れた耳にまっ平らな拳骨。戦えば無事には済まないだろう。この街で生きる第一のルール。勝てない戦いはしないこと。
 渋い顔を隠しながら、袋を男に渡す。
「でしたら、持って行っていただいて構いませんよ」
「そうか? 悪いな。なんか催促したみたいでよ」
「いいえ」
「まあ、金ができたら払うからよ」
「お待ちしております」
 男の言葉はきっと果たされないだろう。この街で生きる第二のルール。約束を信じるな。
「ありがとよ」
 袋を受け取って、男は歩き出す。
 少し歩いて振り返る。
「ところでよ」
「どうしました?」
「部下どもにこの頭巾全部やったら俺が被るのなくなっちまうな」
「あー、そうですね」
 キナオが怪訝な顔で答えると、男はキナオの頭を見て再び笑みを浮かべた。
「兄ちゃん、いい頭巾被ってるな」
 第一のルールが頭によぎる。

◆◆◆

「どうしたよ、そんな濡れて」
「いろいろあってな」
 憮然とした顔でキナオは答える。アバヤは黙ってぼろきれを投げつけた。
「売れたか?」
 キナオは頭を拭きながら黙って首を振る。アバヤはそうか、と短く言って頷いた。何も言わず焚火をいじる。
 沈黙が、流れた。
「悪かったな」
「別に、お前が行って売れなかったんなら仕方がないだろ」
「悪かったよ」
 何も聞かないのは優しさなのか無関心なのか、焚火に照らされるアバヤの横顔からは読み取れない。
「よし」
 じっと焚火を見つめていたアバヤがふいに焚火から何かを引っ張り出した。地面を転がしてキナオに押し付けてくる。
「食えよ」
 足元に転がってきたのは、薄い金属の殻に包まれた塊だった。
「なんだよ?」
「やる」
 傍らの棒きれを拾い、包みを開いていく。
「なんだ!?」
 包みの隙間から白い湯気が上がった。食欲をそそる辛い香りが二人の小さな隠れ家に広がる。
「どうしたんだこれ?」
 包みの中から現れたのはきつね色に蒸された三本足の鳥肉。
「河原で拾った」
「食えるやつか?」
「多分、臭くはなかったから」
 三本足の鳩は河原によく生息しているが、適切に毒抜きをしていないものを食べると苦しんで死ぬことになる。そして適切な手順を依頼するにはそれなりの枚数のドブ券が必要になる。
「どこにそんな金が」
 尋ねかけてふと今日は隠れ家がやけに広いことに気が付いた。その原因に気が付いて、キナオは鋭くアバヤの名を呼んだ。
「アバヤ」
「なんだよ」
「ミシンはどうした?」
 短い沈黙。
「売った」
 アバヤが短く答える。キナオの頭にサッと血が上る。気が付くとアバヤの襟元を掴んでいた。軽い手ごたえでアバヤの身体が少し宙に浮く。
「離せよ」
「どうするんだよ」
「どうでも、いいだろ」
「いいわけねえだろうが」
「すみませーん」
 言い返そうとしたキナオの言葉は能天気な声に遮られた。声は外から聞こえた。
「今出る」
「誰だ?」
「離せよ」
 アバヤがキナオの顔をにらみつける。アバヤの細い指がキナオの手首をぎゅっと握る。キナオは仕方なく手を放す。
「入ってくれ」
「失礼します」
 丁寧な声とともに入ってきたのは背広の上に染み一つない白衣を着た男だった。
「ああ、ナリトノさん。ちょっと今は取り込み中でね」
「ああ、キナオさん。大丈夫ですよ。用があるのはアバヤさんの方なので」
「もう準備できてます」
「それは、けっこうです」
 にっこりと笑ってナリトノがアバヤの手を取る。
「準備ってなんの準備だよ」
「言ってないのですか?」
「お前には関係ない」
「なんだよ」
「この度、アバヤさんには弊社で働いていただくことになりまして」
「は?」
 突然の言葉にキナオの頭は機能を止める。
 固まるキナオをよそにアバヤがわずかな荷物をまとめて立ち上がる。
「ちょっと、待てよ」
 強張る肺から声を絞り出す。
「大丈夫、稼ぎの半分はここに届けさせるから」
「アバヤさんなら二人分くらい簡単に稼げますよ」
「何言ってんだよ」
「それとも、キナオさんも一緒に来ますか?」
「やめろ」
 笑顔のナリトノの言葉をアバヤが強い口調で遮った。
「お前といるのなんかもううんざりだよ。給料は手切れ金だ。ついてくんなよ」
 キナオに背を向けたまま、アバヤは言う。反論を許さない硬い口ぶり。
「そうか」
「ああ、じゃあな」
 肩をすくめ、何も言わず、ナリトノがアバヤの荷物をそっと持つ。
「行きましょう」
 アバヤとナリトノが隠れ家の出口に向かう。そのわずかな時間がキナオにはひどく長い時間に思えた。

 ドン、という轟音が重苦しい沈黙を破った。
 風よけと目隠しに入り口に立てかけていたトタン板が外から蹴り飛ばされた音だった。身を震わす冷たい空気が流れ込んでくる。
「わりゃあ! なにいくそつかませんとんじゃあ!」
 怒声が響いた。
「なんですか!? あなたは?」
 ナリトノが狼狽えた悲鳴を上げる。
「だれじゃわりゃあ! よそもんはわきぃ引っ込んどけ!」
 ナリトノを怒鳴りつけたのは体格の良い男だった。七色に輝く頭巾を脱ぐと、厳めしい刺青の入ったスキンヘッドがのぞいた。剃り上げられたその側頭部には憤怒の表情を浮かべる地蔵が彫り込まれている。
「あんたはさっきの」
 呟いたキナオに男が目線を向ける。その目はぎらぎらと怒りに燃えている。
「おうおうおう、兄ちゃんのぉ、さっきはどうものう」
「どうされました?」
 おずおずとキナオは尋ねてみる。その時になって男の後ろにズラリと屈強な男たちが並んでいるのに気が付いた。目で数える。12人。怒鳴り込んできた男の手下だろうか。全員が七色の頭巾を被っている。いや
「おう、おめえちょっとこっち来て見せてやれや
 スキンヘッドの男が端の方に立っていた一人の手下を呼び寄せた。ひょろりとやせた手下だ。その手下だけは七色頭巾ではなく、半透明のレインコートをかぶっていた。そのフードには大きな穴が開いていた。穴の淵は茶色く焦げている。穴から覗く手下の頭の皮膚は黒くただれていた。
 痛々しい部下の皮膚を見せつけながら、親分は怒鳴る。
「こりゃあ、どういうことですかいのう?ちょっと雪が積もっただけで、じゅっと音立てて穴が開いたんじゃけどのう? 見てみいや、肌もこげにただれとうじゃろうが。あ? われんとこはこげな粗悪品を売りつけるんか? あ? それがわれん商売か? あ?」
「それは、その」
 勢いに押され、キナオはもごもごと口の中で言葉を濁す。半透明のフードの下から手下が恨めしそうな目でキナオを睨んでいる。
「うちの商品じゃあ、ないじゃないですよ、そのフード」
 キナオの言葉はスキンヘッドの怒りに火を注ぐ結果になった。
「はあ、そうかい。確かにこいつは兄ちゃんからもろうたはずなんじゃけどのう! 覚えとらんか? ものぉ売って、金さえ受けとりゃあ後は知らん言うんか? そうか、そうよのう、物売りたぁ無責任なもんよのう」
「あれ、旦那さん」
 口を挟んだのはアバヤだった。穴の開いたレインコートをじっと見て、軽やかな口調で親分に話しかける。
「なんじゃあ、わりゃあ」
「その雨合羽……うちのじゃないですか?」
「おう、あんたのツレの兄ちゃんからもらったんよ。それがちょっと雪積もっただけで穴あきよってよ」
「いえ、その人は別にツレとかじゃないんで」
 素知らぬ顔で答えて、アバヤはレインコートの穴の淵をそっとなぞり、ナリトノに尋ねた。
「これ、うちの、ドブンブレラのレインコートですよね」
「え?」
 顔をしかめてナリトノは聞き返す。今の状況では確認したくないだろう。だが、しないわけにもいかない。フードの淵についているタグをみて、ナリトノはしぶしぶ頷いた。
「ほう、これはそっちの兄ちゃんのとこが出しとるんか?」
「いえ、まだ正規の品とは限りませんので」
「それならそれで問題でしょう。うちの商品を真似た粗悪品が出回ってるってことですか?」
「いや」
 ナリトノは小さく否定するが、アバヤは気にせず言葉を続ける。
「旦那さん、雪で穴が開いたって言っていましたよね」
「ああ、そうよ。ほんのちょっとだったんじゃけどのう。あっというまに焼けて、被っとった中まで黒こげよ」
「ナリトノさん」
「あー、はい」
 名前を呼ばれて一瞬否定する素振りを見せたが、諦めてナリトノはアバヤの方を見た。
「ドブンブレラで耐重金属酸性雪の試験ってしました?」
「あー、いや」
 アバヤの言葉に、ハッとナリトノは顔を引き締めた。
「雨に関しては十分な耐久性テストを行っていますが……そうか、まさか」
「ええ、雨はすぐに流れ去っていきますけれど、雪は積もって留まります。雨と同じ性能を発揮できるとは限りません」
「なんて、ことだ」
 恐ろしさに顔を引きつらせて、ナリトノが叫ぶ。
「こうしてはいられません」
 ナリトノはドブフォンを取り出すと隠れ家から出ようとする。親分が服の裾を掴む。
「どしたんじゃ、急に《」
「放してください、早急に手を打たねば」
「手じゃと?」
「ええ、もうすでにうちのレインコートは広く普及してしまっています。せめて声明を出して危険をしらさなければ」
「でも」
 アバヤが口を挟んだ。
「そんなことを会社に確認を取らずにやってもよいのですか?」
「なんらかの処分が下される可能性はあります。けれども、多くの被害を出すよりはましです。それに」
 少し考えて、ナリトノは続ける。
「その方が最終的にドブンブレラの利益にもなります」
 その顔は決意の決まった顔だった。
「なるほど」
 アバヤが頷く。
「なんか知らんけど、このレインコートが危ないんか?」
「ええ、そうです。あくまでそれはレインコートでしかありません。雪が降ってしまうと、そちらの方のように穴が開いてしまう可能性があるのです」
「危ないのう」
「ええ、危ないのです」
「したら、わしらもそのこと周りに知らせほうがいいかのう? わしらぁこの街じゃちったぁ名前も知れとるけえ」
 ふむと考えてからスキンヘッドの男は尋ねた。ナリトノは男の目をじっと見つめて頷く。
「ええ、そうしていただけると助かります。どうしても我々だけでは手が回らないところもありますから。そうですね。いったん、レインコートを回収していただけると」
「ほいでも、そげなことしたらみな寒うてしかたなかろうが」
「それは……」
 男の言葉にナリトノは口ごもる。
「いくら危ない言うても、寒うて死んだらあほじゃろが」
「それは、そうです、でも」
「このレインコート、少し縫いかえれば雪が積もりにくくできるかもしれません」
 アバヤがレインコートのフードの縁を摘んだり、折りたたんだりしながら言った。
「本当ですか?」
「ええ、少し細工が必要なので、一度回収しないといけませんが」
「それはうちの工場を使いましょう」
「つかえますか?」
「すぐに手配します」
「したら、わしらは皆に知らせてくるわ。ドブンブレラの工場に持ってきゃあええんじゃの」
「はい、できるだけ多くの方に伝えてください」
「おうとも」
 威勢よく答えるとスキンヘッドの男とその手下たちは勢いよく駆け出した。
「私達も行きましょう。加工の方法を指示してください」
「わかりました」
 ナリトノの後を追ってアバヤが隠れ家から出ていく。その後ろ姿をキナオは呆然と見送った。
 隠れ家に静寂が戻ってきた。
 しばらくして、のろのろと動き始めたキナオは、すっかり冷めてしまった三本足の鶏肉を掴み、口に放り込んだ。なんの味もしない。
「どうしよう」
 誰もいなくなった隠れ家は途端にぽかんと広くて、寒く感じた。
 ぶるりと身体を震わせて、ぼんやりと戸口の方を見る。そこに影のように誰かが立っているのが見えた。
「誰だ?」
「ああ、すみません」
 影が答えて、隠れ家の中に入ってくる。ひょろりとした背の高い男だった。先ほどの穴の開いたレインコートの男だ。
「すみませんがもう少しここにいてもいいですか?」
「ええ、それは構いませんけど」
 キナオは少し考えて、ためらいがちに尋ねた。
「いいんですか? ずいぶんどやされそうですけど」
「それは、そうですね。でも」
 男は外を見て身を震わせた。薄黒い雪がしんしんと降っている。
「また雪に焼かれるのが怖くて」
「ああ」
 側頭部の爛れを抑えて、男はしゃがみ込む。キナオはため息をついて、立ち上がり、荷物置きのあたりを探った。織機の下の方、資材の隙間から何かを拾い上げた。
「良ければ、使います?」
「なんですか? それ」
「あー、布です」
「頭巾、ですか?」
 キナオは手の中の布を男に見せた。ひどく不格好な、頭巾のように見えなくもない形に加工された布。その布は焚火の明かりで鈍く七色に輝いた。
「見た目はよくないですけど、雪には負けないはずです」
「いいんですか?」
 目を見開いて男が尋ねる。キナオは目をそらし、ため息をついて答える。
「ええ、上手くできませんでしたし、渡そうとした相手はどこかに行ってしまいましたし」
「ありがたく、いただきます」
 男はキナオの手から布切れを取ると、頭にかぶり戸口に駆けだした。少しだけ躊躇ってから、思い切って外に身を乗り出す。
「おお、温かい。雪に焼けない」
 男が嬉しそうに雪の降る外に踊り出る。
「お兄さん、ありがとう。ありがとう」
 七色の輝きはひょこひょこと弾みながら、夜の闇に消えていった。
 今度こそ本当に一人になった。キナオは焚火に手をかざす。どっと疲れが出てくる。ため息をつく。膝に回した腕にぎゅと顔を押し付けて、静かに背中を震わせる。寒い夜の間中、ずっと。一人で、そうしていた。

◆◆◆

 どすんという音で、キナオは目を覚ました。ゆっくりと目を開ける。壁の隙間から陽の光が差し込んでいる。いつの間にか夜が明けたようだった。
 薄暗い視界に映ったものを認識して、キナオは目を見開いた。跳ね起きる。
「アバヤ!」
 そこに横たわっていたのはアバヤだった。青白い顔で目を閉じている。
 キナオは飛びつくように、アバヤの身体を抱きしめる。安堵の息を漏らす。アバヤの身体は凍えきっていたけれども、薄く細く寝息を立てている。
 しばらくその疲れ切った寝顔を見つめていた。ずいぶん経ってアバヤはうっすらと目を開けた。
「キナオか」
「どうしたんだよ」
「あんクソどもめ」 
 忌々しそうにアバヤが吐き捨てる。
「何枚か直したとこで、あの禿のおっさんの部下たちが来てよ、あとは自分らでやるからって、帰らされたんだよ」
「ナリトノは?」
「あのくそリーマンもそれでいいってよ。まだまだ、直さねえといけねえレインコートはたくさんあったのに。やり方はもうわかったからいい、って」
「ひどいな」
 興奮して起き上がろうとするアバヤを抑えながら、キナオは相槌を打つ。
「だろ、どういうことだよ、本当。俺が直せば一枚につき20ドブ券もらえるはずだったのが、誰かに直されたら5ドブ券だぜ。ふざけた話だろ」
「5ドブ券?」
「デザイン料とか言ってたけど、そんな雀の涙じゃあ」
 頭の中でそろばんが鳴り響く。何度か計算をし直す。間違いはない。なおもぶつくさと苛立たし気に呟くアバヤに、キナオは尋ねる。
「おい、アバヤ」
「なんだよ」
「直さないといけないレインコートってどのくらいあるかわかるか?」
「知らねえよ」
「この街中のコートだぜ。ドブンブレラの。みんな着てだろ。何万枚あると思うんだよ。ドブンブレラだぜ、何枚回収すると思ってんだよ。それ一枚につき5ドブ券? 全部でいくらだ」
「え、そんなの、知らねえけど...…いくらなんだよ」
 興奮した調子のキナオの声に、あっけにとられてアバヤは答える。
「知るかよ。知らねえけど、すげえ額だよ」
「冬超えられるのか?」
「超えられるさ。楽にな。来年も、再来年もだって」
「二人でか?」
 アバヤの問いをキナオは最初理解できなかった。黙り込んだキナオにアバヤは不安そうに問を重ねる。
「お前と、俺の二人とも冬超えられるのか? 来年も、その先も?」
「ああ、それはそうだよ」
 ためらいがちにキナオは答える。それを聞いてアバヤはようやく大きな笑顔を顔に浮かべた
「本当かよ」
「本当だよ」
 アバヤが目を見開き、ぎゅっとキナオに抱き着いてくる。キナオもアバヤをぎゅっと抱きしめる。
 隠れ家に二人の狂喜の叫び声が響いた。

 ◆◆◆

「あー、でもよ」
 ひとしきり喜びを分かち合った後に、焚火の前に寝転がってアバヤが口を開いた。焚火の反対側に同じように寝転がっていたキナオはアバヤの方を向く。アバヤは眉間に深い皺をよせ、なにか真剣に考えているようだった。
「これからどうするかな」
「これからって? いいじゃないかドブ券はあるんだから」
「いや、だから、なんでもできるだろ、だからどうしようかなって」
「好きなことすりゃあいいだろ。なんかやりたかったことねえのか?」
「あー」
 しばらく考え込んでアバヤは首を振った。
「なんだよ」
「いや、もういいや」
「なんなんだよ」
 歯切れの悪いアバヤに問いを重ねる。
「今度は好きなように七色蚕の布縫ったりとかできねえかなって」
「ああ」
「まあ、でも、お前はもうやめるんだろ? じゃあおれも」
「やめねえよ」
 慌てて付け足すアバヤにキナオは言葉を重ねた。
「え?」
「アバヤが続けたいなら。俺も続けるよ」
「本当かよ」
「本当だよ」
「でも」
 とアバヤは口ごもり、焚火に視線を移した。その目は焚火の向こうを見つめている。そこは昨日まで、アバヤのミシンがあった場所。今はぽかんと開いた空白が所在なげに佇んでいる。
「ミシン売っちまったから」
「また買えばいいさ。ドブ券はあるんだ」
「高いぜ」
「また服売ればいいさ。アバヤが縫っていやあ、売れるさ。ドブンブレラのお墨付きだぜ」
「ありがとよ」
 アバヤは笑って、キナオに答えてみせる。けれどもキナオもわかっている。あのミシンがアバヤの体の一部みたいに馴染んでいたこと。別のミシンでは前みたいに自在に縫えはしないだろう。
「まあ、新しいのも使ってたら慣れるさ」
「ああ、そうだな」
 アバヤは寂しそうに笑った。アバヤの手放したミシンは街のどこかに消えてその行方はもう誰にもわからない。余程街の事情に通じているものでもなければ。
 その時、どん、と大きな音がした。隠れ家の外からだ。
「なんだ?」
 キナオとアバヤは立ち上がり、恐る恐る外を覗いてみる。
「え!?」
 アバヤが驚きの声を上げた。
 すっかり積もった灰色の雪の上に、ピカピカと黒光りするミシンが鎮座していた。見覚えのあるミシンだ。アバヤがぎゅっと回し車を握る。吸い付くように馴染む手触り。自分の体の一部のよう。
「なんで、これが? こんなとこに?」
「さあ?」
 キナオも首をかしげる。その視線の端になにかがきらめいた。
「あっ!」
「え?」
 きらめきは見えたと思ったときには、遠くの角に消えた。
 キナオの目にはそのきらめきは見覚えのある七色の輝きに見えた。七色の蚕の糸で織った頭巾。その頭巾の下で、いかめしい顔の地蔵が笑ったような気がした。

【おしまい】



◆◆◆

https://note.com/tate_ala_arc/n/n8f135efeb35a

この作品は桃之字さまの主催する年末パルプの恒例イベント、「パルプアドベントカレンダー2023」への飛び入り参加作品です。
書き終えたからには……読むぜ!
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